第96話 賢者は魔獣を糧にする
私はユゥラを連れて魔王領の南部の街へ転移した。
街では悲鳴と怒声の合唱が織り成されていた。
人々が逃げ惑い、あちこちの家屋からは火の手が上がっている。
その中を暴れ回るのは、肥大化したオーガやリザードマンだ。
濃度の高い魔力が肉体を変色させている。
理性の感じられない様子で破壊の限りを尽くしていた。
あれが魔獣だ。
生前、私も対処に手を焼いたものである。
体表を覆う魔力が、魔術の効きを悪くするのだ。
尋常でない生命力も備えており、致命傷を与えても早々に活動を停止しない。
魔獣達の身体には無数の傷がついていた。
おそらく兵士や傭兵が反撃を試みたのだろう。
ただ、有効打にはなっていない様子である。
やはり実力差が大きすぎるのだ。
魔獣が相手では、並の戦力だと時間稼ぎにすらなり得なかった。
私は感知魔術を行使する。
この街にいる魔獣の数は四体で、付近の街や村も同じように襲撃を受けていた。
誰もいない地帯を徘徊している個体も含めると、合計三十五体。
どう考えてもおかしい。
仮に十分の一程度の数でも異常なくらいである。
(一体何が起こっているのだろう)
少し探ってみるも、魔獣から特定の術式は感じられなかった。
すなわち何者かに操られているわけではない。
そもそも魔獣を操れるほど強力な術者がいれば、私の感知が捉えられる。
とは言え、自然発生とは考えにくい状況だ。
偶然が重なり続けたとしても、このようなことにはならないと思う。
それほどまでに違和感のある事態に陥っていた。
頭の中でいくつかの可能性を挙げるも、断定できるだけの証拠がなかった。
この場での推察だけでは真相の究明ができない。
まずは魔獣の対処を優先すべきだろう。
材料さえ集めれば、自ずと事態の全容も見えてくるはずだ。
「敵性個体を視認――警戒態勢に移行します」
ユゥラが魔獣を凝視する。
今回、彼女は専用機のゴーレムを持参していた。
研究所に寄り道して借り受けてきたのである。
模擬戦闘で負った破損は修理済みで、若干の改良も行われているそうだ。
所長からも、実戦で通用するか試してほしいと言われてきた。
「マスター、命令をお願いします」
「少し待ってくれ。然るべき処置を行う」
私はユゥラに応じながらそう返す。
前準備を行うために意識を集中させた。
ユゥラの教育に時間をかけたいが、悠長にやっていると他の街の被害が出てしまう。
さすがにそれは避けなくてはならなかった。
その問題を解決するための前準備だ。
私は感知魔術の再使用により、三十五体の魔獣の位置を正確に捕捉した。
そのうち前方の二体を除いた全個体を禁呪で拘束する。
対象の魔力を吸収して耐久度を上げる茨だ。
力任せに引き千切ることは不可能である。
たとえ遠く離れていようとも、これくらいの芸当は可能だった。
(ふむ、問題ないようだな)
これで魔獣は動けなくなった。
私が自らの意思で術を解除しない限り、魔獣達は完全な無防備状態となる。
たとえ赤子が近寄っても問題ないほどに安全だろう。
本来はこのように迅速な無力化など不可能に近い。
それにも関わらず実現できたのは、私が魔王としての力を発揮したからだ。
確かに魔獣は魔族をも凌駕する。
しかし言い換えれば、魔族程度の力しか持たないということになる。
加えて魔獣は知性も乏しく、術への対応力も皆無であった。
私が片手間に対処できない道理などない。
むしろ格好の獲物と評しても間違いなかった。
これで残る脅威は、前方にいる二体の魔獣のみとなった。
他に邪魔は入らない。
ユゥラに色々と学ばせる機会を与えることができる。
そう判断した私は彼女に指示を送った。
「まずは人々の避難と救助が最優先だ。最適な戦闘空間を構築しろ」
「マスターの命令を受諾――作戦行動を開始します」
専用機に憑依したユゥラは疾走する。
彼女は負傷して倒れる人々を掴むと、遠くに向かって投げ飛ばした。
それを連続で実行していく。
「……嘘だろう」
避難と救助を指示したが、まさかこのような方法とは思わなかった。
一瞬だけ唖然とするも、私はすぐに風魔術を行使する。
柔らかな風で怪我人達を受け止め、そのまま安全な場所まで運ぶ。
ついでに魔術で応急処置もしておいた。
魔獣のせいで重傷だった者も少なくないが、ひとまず死なない程度にまで治癒する。
そうしている間にも、ユゥラは強引に人払いを完了させていた。
彼女は二体の魔獣と対峙すると、オーガの魔獣へと接近する。
ユゥラを察知した魔獣が殴打を繰り出した。
対する彼女は、その腕を掴んで背負い投げに繋げる。
宙を舞った魔獣が家屋に叩き付けられ、轟音と共に地面に陥没した。
無論、下敷きになった家屋は倒壊している。
ユゥラは魔獣の上に飛び乗ると、目にも留まらぬ速さで拳を連打を浴びせた。
魔獣は抵抗できずに肉体を粉砕されていった。
それなりの距離があっても、絶え間ない炸裂音が聞こえてくる。
(動きの鋭さが増している……鍛練を重ねているのか)
最終的にユゥラは、魔獣の頭部を一気に踏み砕いた。
魔獣は一度だけ四肢を痙攣させると、力を抜いて動かなくなる。
いくら生命力が高いと言っても、それには限度があった。
ああやって頭部を潰されれば即死するのだ。
ユゥラは続けてリザードマンの魔獣に向かう。
今度は魔獣から突進していった。
空気を割るような咆哮が辺りに響き渡る。
それを真正面から受けながらも、ユゥラは冷静だった。
彼女は両手から光線を放ち、魔獣の体表を融解させていく。
最初は鱗のみが削れていくのみだったが、やがてそこに血肉が混ざり始めた。
大精霊の力を源とする光線は、半端な魔力の保護など穿つのだ。
甚大な損傷を受ける魔獣は、それでも突進を敢行する。
腹部に穴が開きながらも、口を開けてユゥラに跳びかかった。
噛み付かれる寸前、ユゥラは宙返りを披露する。
彼女は飛行して体勢を調節すると、光線で魔獣の顔面を薙いだ。
両目を焼かれた魔獣が絶叫し、滅茶苦茶に暴れる。
一方、ユゥラは魔獣の頭上に陣取り、そこから加速して踵落としを放った。
奇妙な音を鳴らして、魔獣の頭部が胴体に陥没する。
断続的に飛び出す鮮血。
魔獣はふらつきながら徘徊し、静かに倒れた。
起き上がってくることはない。
オーガの魔獣と同様、頭部の著しい破壊で死んだようだ。
二体の魔獣を倒したユゥラは、颯爽と私のもとに戻ってきた。
彼女は直立不動で報告を述べる。
「戦闘行動を終了――敵対個体を討伐しました。今回の批評を求めます」
「見事な立ち回りで戦えていた。ただし、人間は投げるものではない。建物も不必要に壊すな。そうすればさらに良くなる」
魔獣を相手に凄まじい格闘戦を発揮したユゥラだが、やはりその他の面に難点が残っていた。
手放しで褒めるのではなく、課題として伝えておくべきだろう。
ユゥラにはそれを反省して次に活かす力がある。
「マスターの評価を理解――以降の改善に取り入れます」
少し思案した後、ユゥラは専用機の身体で頷いてみせる。
まだ各地に魔獣は残っていた。
その中での成長を見せてもらおうと思う。




