第95話 賢者は配下の変化に気付く
魔王軍が奴隷自治区に向かってから三日。
首尾は上々だった。
彼らは前触れもなく襲撃を行うと、圧倒的な戦力で自治区内を蹂躙している。
グロムが敵対兵士をアンデッドに変えられるのが大きいだろう。
彼は私に次ぐ瘴気の持ち主である。
ちなみに今回は試験的に魔導砲を導入していた。
設置式ではなく、砲の部分と馬車を合体させたような移動式だ。
研究所の努力によって小型化に成功したのであった。
予め魔術師が魔力を充填し、複数のオーガが本体を掴んで押さえ付けた状態で発射するそうだ。
グロムから念話で報告を受けたところ、いくつかの改善が必要だが、絶大な威力を誇るらしい。
それを所長に伝えると、彼女は涙を流して喜んだ。
実戦でも役に立つことが証明されて感激したのだという。
帰還した魔王軍から詳しい話を聞き次第、改良に取りかかっていく予定だと言っていた。
そんな中、私は持ち込まれる書類を消化していた。
油断すると山のように積み上がってしまうのだ。
魔王領には、常に様々な課題が内在する。
その中でも私が判断すべき案件は膨大だった。
できるだけ配下に任せながらもこの量である。
不死者でなければ、とっくに過労死していただろう。
(暴力だけでは統治など不可能だな……)
王という立場の難しさを考えていると、部屋の扉が勢いよく開かれた。
飛び込んできたのは見覚えるのある二人である。
「個体名ドルダに警告――ただちに追跡を中断しなさい」
ユゥラが緊迫感のある声音で述べる。
彼女は床を滑るようにして移動していた。
それを追いかけるのは、両手を正面に突き出したドルダである。
狼頭から獰猛な声を鳴らしながら、彼はゆっくりと歩みを進めていった。
「首ィ……首ダァ……」
「マスターに仲裁を要請――個体名ドルダの暴走を止めてください」
ユゥラは堪らず私の陰に避難した。
ドルダは正面で足を止めて首を傾げる。
瞳は不思議そうにユゥラを見ていた。
そこに敵意はなく、むしろ穏やかな眼差しさえ感じられる。
(なるほどな……)
私は状況をなんとなく理解する。
ドルダは悪ふざけのつもりでユゥラを追いかけていたのだろう。
しかし、ユゥラはその禍々しい姿を怖がってしまった。
どちらも意外な行動である。
ユゥラがこのように恐怖するとは思わず、ドルダが悪ふざけしているのも初めて見た。
私が把握していないところで、二人の心情も発展しているらしい。
その事実に感心しつつ、私はドルダを注意する。
「ユゥラが恐怖している。やりすぎだ」
「マスターの苦言を訂正――恐怖していません」
私の袖を引いたユゥラは即座に否定した。
容姿が人形の光なので表情は分からないものの、明らかに怯えていた。
それを察せないほど鈍くはない。
「首、ヲ……」
肩を落としたドルダは、少し落ち込んだ様子で踵を返した。
そのまま大人しく退室する。
彼なりに反省しているようだった。
私はユゥラに告げる。
「少し加減が下手だが、ドルダに悪気はない。大目に見てほしい」
「マスターの希望を了承――個体名ドルダに対して寛容な態度を努力します」
ユゥラは頷くと、不意に沈黙した。
彼女は私の顔と部屋の扉を交互に見る。
何事かを考え込んでいた。
どうしたのかと思っていると、ユゥラは唐突に宣言した。
「マスターに報告――個体名ドルダの動向を追跡します」
「別に構わないが、どうした」
「素行指導を実施します。彼には必要と判断しました」
ユゥラの述べた理由は、たぶん建前だろう。
落ち込んだドルダを気にしているのではないだろうか。
彼女も無下に扱いたくなかったに違いない。
素行指導と表現する辺りにユゥラらしさがある。
今回のユゥラとドルダのやり取りは、子供の喧嘩に近いだろう。
ちょっとしたすれ違いである。
本人達だけで解決できるのなら、それが一番だと思う。
あまり首を突っ込んで仲介すべきではない。
そう考えた私は、静かに頷いた。
「良い判断だ。気を付けて行ってくるといい」
「それでは出発します」
素早い動きでユゥラは部屋を出て行った。
今度は入れ替わるようにルシアナが登場した。
彼女は楽しそうに微笑んでいる。
「話は聞いてたわ。ユゥラちゃん、苦労してるみたいねぇ」
「彼女にとっては良い経験だろう。これを機に学ぶこともあるはずだ」
「まるでお父さんね。子育てに向いてるんじゃない?」
ルシアナが冗談めかして言う。
私は硬直するも、すぐに言葉を返した。
「……不死者の魔王が父なんて、冗談にもならないだろう」
「そうかしら。ドワイト君ならそつなくこなせると思うわよ」
「ふむ……」
生前でも考えたこともなかった。
自分が家庭を持つ光景を想像できない。
もはや叶わない身である。
それを抜きにしても、あまりに現実味が薄かった。
我ながら子育てには向かない性格だろう。
上手くやれる自信がなかった。
新たな魔術を開発する方が遥かに簡単に思える。
その後、私とルシアナは、それから無言で事務作業を開始する。
これも日常的な風景だった。
どれだけ繰り返しても、新たな仕事がやってくる。
手を止めるわけにはいかなかった。
途中、部下が報告書をルシアナに持ってきた。
それを読んだ彼女は、僅かに顔を曇らせる。
何か良くない報せらしい。
「ねぇ、魔王サマ」
「何だ」
「領内の南部で魔獣の群れが暴れてるみたい。いくつかの街が襲撃を受けているそうよ」
「魔獣だと?」
私は怪訝な口調で言う。
魔獣とは魔物の変異種で、理性を失った怪物だ。
人間では太刀打ちするのが非常に難しく、強力な個体にもなると魔族をも凌駕する。
その性質は自然災害に近いだろう。
しかし魔獣など滅多に誕生するものではなかった。
私も生涯で戦ったのは数度だ。
そんな存在が群れを作るとは考えにくい。
明らかな異常事態である。
(不可解だ。何者かが差し向けたのか?)
そのような状況になった理由が気になるも、まずは魔獣の対応を急がねばならない。
人間では到底解決できない問題であった。
放っておけば、襲われた街は崩壊するだろう。
さすがに見捨てるわけにはいかない。
「どうする? アタシが向かえばすぐに済むと思うけど」
「いや、私が行こう。魔獣を捕獲して原因を調査する」
「誰か連れていくの?」
ルシアナの問いかけを受けて、私は考える。
ほどなくして回答を口にした。
「ユゥラを同行させる。私がいれば問題あるまい」
被害が発生しているのは人間の街だ。
ただ力を振るえばいいわけではなく、かと言って判断に迷う複雑な問題でもない。
彼女に足りない部分を教える良い機会になるはずだ。
もし何かあっても、私が対応すればいい。
諸々の打算を含めて答えたところ、ルシアナが意味深な笑みを見せた。
彼女は頬杖をついてこちらを見やる。
「そう、あの子の勉強も兼ねてるのね……やっぱりドワイトお父さんって呼んだ方がいい?」
「……父になった覚えはない」
私は苦々しく返すと、城内にいるユゥラのもとへ向かった。




