第88話 賢者は模擬戦闘を実施する
接近するユゥラが回し蹴りを繰り出してくる。
こちらの顔面を削ぐような軌道だった。
攻撃に一切の遠慮がない。
(手を抜いていては、あっという間に負ける)
私はゴーレムを飛び退かせる。
眼前を専用機の爪先が通過していった。
少しでも反応が遅れていれば、頭部を粉砕されていただろう。
回避に成功した私は、指の鉄砲を連射する。
対するユゥラは両手を高速で動かした。
突き出された指の間には、弾が挟まっている。
飛んでくる弾を見切って受け止めたらしい。
凄まじい動体視力と精密な動きである。
「攻撃速度と間合いを修正――完了」
弾を捨てたユゥラは大きく踏み込み、拳を打ち込んできた。
先ほどの蹴りよりも鋭く速い。
(回避は間に合わない、か)
そう判断した私は、ゴーレムに搭載された防御魔術を起動した。
数瞬後、ユゥラの拳が障壁を砕き割る。
抉り込むような威力だ。
明らかに防御力が不足している。
私は防御魔術を連続使用することで強引に距離を取った。
内蔵する魔力が大幅に減ったものの、こればかりは仕方あるまい。
消耗を気にしていられる局面ではなかった。
(これは厳しい戦いだな……)
試作ゴーレムと専用機では、基本性能に大きな差があった。
反応速度に限界があり、魔力量もこちらが劣っている。
格闘攻撃の当たり所によっては、たちまち形勢は覆し難いものとなるだろう。
何らかの奇策を打とうにも、今の私はゴーレムに搭載された機能しか使えない。
私は結界の外にある身体でユゥラに尋ねる。
「その格闘術は、誰に習ったんだ。我流ではないだろう」
「質問に回答――個体名ヘンリーから学習しました」
「なるほどな」
私はユゥラの答えに納得する。
弓兵であるヘンリーは、無類の格闘能力も有している。
その分野においては他の追随を許さない。
訓練場でも、自身より大柄な魔物を次々と打ち倒しているのを目撃していた。
彼は人間の範疇にありながら、その限界値を常に発揮している。
そんなヘンリーから格闘術を学んだというのだから、ユゥラが強いのも理解できる。
おそらくは、彼が興味本位で教え込んだのだろう。
ユゥラの学習能力が極めて高いのは、幹部の間では公然の事実である。
訓練相手を欲するヘンリーが、ユゥラを育成しようとしているのかもしれない。
(皆からも受け入れられているようで何よりだ)
私はゴーレムが装備する魔力剣を起動させた。
現状、こちらが明確に勝っているのは技術の一点に尽きる。
すなわちあの人の剣術だ。
このままあっけなく倒されては、ゴーレムの性能が確かめられない。
ユゥラに力の使い方を覚えさせる目的を兼ねる以上、みっともない戦いはできなかった。
いくら不利とは言え、私もそれなりに頑張らねば。
「マスターの脅威度が上昇中――測定不能。推定能力を修正します」
ユゥラが迫り、蹴りを放ってきた。
今までよりさらに速い。
既に試作ゴーレムの反応速度では追えなくなりつつあった。
唸りを上げる蹴りに対し、私は魔力剣を当てて受け流す。
魔力で構成された刃はとても脆い。
壊れないように慎重に行った。
「攻撃に失敗――回避行動を最優先」
ユゥラが僅かに体勢を崩す。
すかさず私は魔力剣を一閃させた。
ユゥラは床を蹴って飛び退く。
刃は専用機の腹部を掠めていった。
彼女は視線を落とす。
金属の外装に、うっすらと裂け目ができていた。
「ま、魔力剣で斬れてしまうのですかっ! 専用機の硬度と内包術式を考えた場合、まず傷付けられないはずなのですが……」
驚嘆する所長の声が聞こえた。
しかし、そちらに意識を割く余裕はない。
ユゥラは足裏から炎を噴射して飛ぶと、私を見下ろす位置に維持した。
そこで片手を差し向けてくる。
魔力が圧縮し、すぐに光線となって放射された。
飛来する光線を前に、私は魔力剣を往復させる。
真っ二つに切断された光線は結界に命中し、その表面を融解した。
術式に綻びが生まれている。
何度か直撃を浴びれば壊れそうだった。
「攻撃の失敗を確認――戦法を変更します」
ユゥラは飛行状態で突進してくると、回転しながら踵落としを放ってきた。
私はそれを魔力剣で弾く。
衝撃で前腕が嫌な軋みを立てた。
膝も勝手に震えている。
ユゥラは着地せずに横回転し、連続で蹴りを打ち込んできた。
飛行能力を活かして苛烈に攻め立ててくる。
私は後退しながら魔力剣で対処する。
細心の注意を払いながら防御していった。
技術的に劣ることはない。
堅実に防ぎ続けて、あとは反撃の隙を窺うだけだった。
その時、私は唐突に後退ができなくなった。
見れば背後に結界がそびえている。
追い込まれてしまったらしい。
(迂闊だな。誘導されていたのか)
反省もそこそこに、私は魔力剣を構え直す。
着地したユゥラが跳ね上がるようにして蹴りを繰り出してきた。
私は屈んでの回避を試みて、それが不可能であることに気付く。
試作ゴーレムの構造上、素早く身を沈められないのだ。
おまけに今までの負荷が祟ったのか、既に全身各所の駆動が怪しかった。
仕方なく私は、魔力剣で蹴りを逸らす。
不十分な対処の結果、蹴りが試作ゴーレムの肩を粉砕した。
私は衝撃で結界に叩き付けられる。
「戦況の優勢を把握――攻防の比重を変更します」
目の前に立つユゥラが、追撃の拳を打ち下ろしてきた。
私はそれが当たる前に魔力剣を振るう。
拳は試作ゴーレムの胸部に命中した。
外装に亀裂が走り、隙間から黒煙が漏れ出す。
ただし、痛手を負ったのは私だけではない。
「腕部損傷を検知――動作不良を確認」
専用機の肘部分から火花が迸っていた。
魔力剣が破損させたのだ。
ユゥラは退避して腕を動かす。
損傷具合を確かめているらしい。
動きが目に見えて悪い。
高速の殴打はできなくなったろう。
私も試作ゴーレムの駆動を確認する。
蹴りを受けた肩は完全に故障し、連動して片腕が機能不全に陥っていた。
胸部の破損も無視できない。
関連術式が潰れたのか、鉄砲と防御魔術も使用不能のようだ。
やはり魔力剣でやり切るしかなかった。
(ここまで来たら徹底的に戦う他あるまい)
下手に長引かせたところで、緩やかな敗北しか待っていない。
覚悟を決めた私は、専用機に向かって疾走する。
そこからは高速戦闘の応酬となった。
ユゥラは拳と蹴りを多用することで、隙の少ない格闘攻撃を繰り返してくる。
一撃が重く、そして速い。
試作ゴーレムの性能では、見切るのが精一杯であった。
対する私は魔力剣で対抗していた。
迫る攻撃を防ぎ、或いは受け流して反撃に転じる。
純粋な技量で勝っているからこそ、このやり取りが成立していた。
徐々に増える試作ゴーレムの損傷。
被害を最小限に抑えているものの、そもそもこのような戦いを想定していないのだろう。
消耗も早く、内蔵する魔力がかなりの勢いで減っていた。
専用機に比べて、機動力が圧倒的に劣っている。
戦いはやがて佳境に達した。
ユゥラの猛攻は依然として衰えを知らず、果敢に私を追い詰めてくる。
私は魔力剣でいなしながら、ユゥラの動きを観察していた。
そうして彼女の癖を把握する。
こちらの虚を突くように立ち回っているが、そこには規則性があった。
(――そろそろ仕掛けるか)
私はユゥラの動きを先読みし、体重移動の瞬間を狙って魔力剣を振るう。
二度の斬撃は、専用機の両膝を切り裂いた。
ユゥラは大きく体勢を崩して、前のめりになって床に手をつく。
私はそこに追撃を加えようとするも、身体が動かなかった。
魔力の循環を調べてすぐに気付く。
試作ゴーレムが過熱し、操作系統の術式が破損していた。
視界共有も不調で、闇が差しかかって見えづらくなる。
さらに魔力剣が霧散するのを目にした。
ついに限界を迎えたのである。
「マスターの致命的な隙を検知――反撃に移行します」
次の瞬間、ユゥラによる強烈な打撃が胴体に打ち込まれた。
外装が大きく陥没して穴が開く。
内部の部品が変形して飛び出した。
刈り取るような動きの鋭い蹴りが頭部を直撃し、爆発音を響かせる。
この時点で視界の大部分が暗転した。
平衡感覚が失われ、堪らず試作ゴーレムは倒れる。
仰向けの視界に映るのは、脚を振り下ろす専用機の姿であった。
(……ここまでか)
私はゴーレムとの接続を切る。
本来の身体から結界内の様子を確認した。
試作ゴーレムは、頭部を専用機に踏み砕かれていた。
あれでは動けるわけがない。
他の部位の破損も著しく、完全に大破している。
専用機から抜け出たユゥラが、結界の外に移動してきた。
彼女は私の前で足を止める。
「模擬戦闘を終了――マスター、協力に感謝します」
「こちらこそ参考になった」
ユゥラの戦闘能力を知る良い機会になった。
疑うまでもなく彼女は優秀だ。
しかも未だ発展途上であり、成長の余地が十分に残されている。
今後も学習次第でさらなる強さを会得するだろう。
大精霊の分体として恥じない存在になるはずだ。
「いやぁ、本当に素晴らしい戦いでした! おかげで貴重な資料が得られましたよ! これを参考に、破損したゴーレムを修理しようと思いますっ!」
所長は大興奮といった様子で語る。
拳を握る彼女は、早口で私達を讃え続けた。
一連の戦闘はそれほど満足できるものだったらしい。
ひとまずの目的は果たせたようだ。
「近日中に改良版を製造しますから、期待していてくださいねっ! きっと魔王様を驚かせちゃいますよ!」
「楽しみにしている」
今にも卒倒しそうな所長に応じつつ、私はユゥラを見る。
彼女の視線は、結界内に立つ専用機に固定されていた。
言葉にはしないが、気に入ったのかもしれない。
その後、ゴーレムの改善点や希望する機能を伝えた後、私達は研究所を後にした。




