第83話 賢者は大精霊に問う
魔巧国における目的は達成した。
発明家ジョン・ドゥを殺害した私は強化鎧を解体し、そこから秘石を奪取する。
それは手のひらに収まる大きさの青い結晶だった。
こうして触れるだけで、膨大な力の波動を感じられる。
私は秘石を手に魔王軍のもとへ戻ると、彼らをまとめて転送して帰還させた。
一人残った私は、魔巧国の兵器や開発資料を拝借していく。
手当たり次第に王都へ転送していく中で、特に戦車や強化鎧に関しては念入りに回収した。
これらの兵器は、まだ大量生産されていない。
魔王軍を警戒して王都のみに配備されているはずだった。
ここで私が完全に奪い尽くすことで、第三者による再開発を防げる。
いずれ類似品が生まれてしまうだろうが、多少の時間稼ぎにはなるだろう。
進みすぎた兵器は、早期に普及すべきではない。
密偵を使って、他の街に広まっていないかも確認するつもりだ。
人間同士の戦争の火種を広めてはいけない。
もっとも、これは今後の計画である。
現段階においては、魔王軍は完勝を果たした。
概ね予定通りに進行し、あとはこの秘石を返却するだけだ。
ほぼ全壊した首都から転移で離脱した私は、そのまま帝国領へと赴いた。
荒野の只中、青い人型の光が立っている。
大精霊だ。
宣言通り、最初に出会った場所で彼女は待っていた。
私は近寄りながら話しかける。
「秘石を持ってきた。確かめてほしい」
「いいでしょう」
こちらを振り向いた大精霊は、片手を差し出してくる。
すると、所持していた秘石が浮遊した。
そして彼女の手の中に着地する。
大精霊は暫し秘石を触って確かめる。
やがて顔を上げた。
「紛れもなくわたしの秘石ですね。内包された魔力がほとんど枯渇していますが、この程度は許しましょう。わたしは寛大ですので」
「感謝する」
巨人ゴーレムの動力源となったことで、秘石は相当な消耗を強いられていたらしい。
破損していなかったのが幸いである。
大精霊は秘石をその身に取り込んだ。
分体を経由して本体のもとへ送り届けられたのだろう。
「夜更けから秘石の脈動を感じていました。奪還に苦労されたようですが、よくやってくれました」
「約束通りに行動しただけだ」
「その約束を守れる者が少ないのです」
大精霊は断言する。
そこには幾分かの含みがあった。
永劫とも言える時を生きてきた存在だ。
過去に色々と問題があったのかもしれない。
「結果次第ではあなたの領地を根絶やしにするつもりでしたが、どうやらその必要はないようですね。歪んだ形ではありますが、今代の魔王は調停者として機能しています」
「私が調停者だと?」
「ええ。あなたはあなたの望み通りに世界を動かしつつある。自信を持つべきですよ。歴代魔王とは異なる道を歩んでいます」
大精霊は静かに語る。
その口調には、心なしか優しさが感じられた。
秘石を返したことで、彼女から認められた節があるようだ。
魔王領の根絶やしについては、触れないでおく。
あまり言及しても良いことはあるまい。
怒り狂った大精霊が何をするかは知っている。
こうして会話をしている場所こそ、かつて帝国の街だった場所だ。
脅しではなく、魔王領が同じ惨状を晒す恐れがあった。
改めて秘石を返却できて良かったと思う。
「あなたが調停の魔王でいる限り、防御機構が邪魔をすることはありません。それを肝に銘じてください」
「了解した」
私は素直に頷いた。
異論などあるはずもない。
「…………」
大精霊が無言でこちらを見ている。
何かするわけでもなく、ただ視線を私に固定していた。
感情が窺えない。
少なくとも殺気立ってはいないものの、その意図は不明だ。
微妙に気まずい雰囲気の中、私は沈黙を破って大精霊に尋ねる。
「用件は済んだ。もう帰っていいのか」
「お待ちください。此度の礼として、あなたに進呈したいものがあります」
「何だ」
続きを促すと、大精霊はいきなり詰め寄ってきた。
握手ができるほどの距離で止まると、彼女は私の顔を見て告げる。
「わたしを進呈します」
「……どういうことだ」
それを聞いた私は、不意に頭痛のようなものを覚える。
突拍子もない提案からは、厄介事の予感しかしなかった。
とても流せるような内容ではない。
こちらの心境をよそに、大精霊は平然と話を続行する。
「言葉が足りませんでしたね。正確にはこの分体を進呈しましょう」
「…………」
胸に手を当てて述べる大精霊に、やはり返す言葉がなかった。
ため息を吐きたい気分である。
彼女の言葉を信じるのなら、分体とは言え大精霊を貰えるらしい。
正直、あまり歓迎できないことであった。
強大な力は魅力的だが、それ以上に問題を招きかねない。
そんな問題を抱え込みたいほど戦力が困窮しているわけでもなかった。
むしろ分体の進呈を辞退する方がよほど平和だと思われる。
管理できない力が危険であるのは、此度の魔巧国との戦いで痛感した。
私がジョン・ドゥと同じ過ちを犯さないとも限らない。
一方、大精霊は私の顔を覗き込んでくる。
「どうしましたか」
「大精霊の分体など身に余る礼だ」
「行方知らずとなった秘石を取り返したのです。これくらいが妥当かと思いますが」
大精霊は当然といった様子で言う。
彼女は最初から礼として分体を渡すつもりだったのだろう。
今、それを確信した。
「分体には無垢な人格を与えて譲渡します。わたしにとっては、娘のようなものになりますね。性質は赤子に近いですが、あなたなら悪いようにはしないでしょう」
大精霊はさらに重たい内容を付け加える。
もはや礼ではない。
なぜか彼女は分体を押し付けようとしている。
その理由は不明だった。
少なくとも気に入られたのは確かだろう。
「如何でしょう。受け取っていただけますか?」
「……有難く頂戴する」
大精霊の視線に耐えかねて、私は仕方なく了承した。
これしか言えなかった。
断った場合、彼女の機嫌を損ねてしまう可能性がある。
まだ厄介事が起きたわけではない以上、ここは素直に応じるのが一番だった。
「話は以上です。わたしはこれにて失礼します」
「待ってくれ。最後に一つ、訊きたいことがある」
私は大精霊を呼び止める。
彼女は不思議そうにこちらを見た。
「何でしょう。可能な範囲ならお答えします」
許可を得た私は話し始める。
主な内容は、魔王になってからの出来事だ。
その中でも勇者や聖女、そして此度の発明家について触れた。
私が見聞きし、疑問に感じていた不可解な部分を列挙していく。
「私はこれらの現象を世界の後押し、世界の意思と称している。明らかに作為的なものを感じるが、防御機構の一種なのか?」
「違います。我々、防御機構は強大な存在として顕現します。曖昧な現象という形はとりません」
大精霊はあっさりと否定した。
なんとなく予想していた答えだった。
性質が些か異なると思っていたのである。
「では、世界の意思とは何なのだ」
「世界の意思ではない何かです。世界が人間を贔屓することはありません」
「はっきりとは教えてくれないのか」
「これは助言ですが、あなた自身の力で答えに辿り着くべきです。今代魔王の在り方に関わる部分ですので」
大精霊は粛々と語る。
単に誤魔化している口ぶりではない。
私のことを考えた上での発言であった。
「あなたが世界の意思と呼ぶ現象は、防御機構と比べて遥かに不条理です。言うなれば運命そのものでしょう。防御機構すら滅ぼされてきた過去があるほどです。しかし、同質かつ相反した力を持つあなたは対抗できます」
「同質かつ相反した力……」
「あなたが人類の敵であり続ければ、いずれその意味も分かるでしょう」
そう言って大精霊は話題を区切る。
結局、明確な答えは得られなかったが、謎の一端には触れられた。
今はそれで満足するしかないだろう。
執拗に訊いたところで、彼女が応じるとは思えない。
「質問は以上ですか」
「ああ、参考になった」
「それは良かったです」
大精霊は微笑むような仕草をした。
彼女は宙に浮き上がると、私を見下ろしながら別れを告げる。
「魔王。いずれあなたと再会できる時をお待ちしております」
言い終えた大精霊から光が放出され、天に向かって突き抜けていく。
やがてそれが消えると、その場には青い光の分体が残された。
地面に落下した分体は座り込む。
先ほどまでと比較すると、明らかに力が弱まっている。
光の勢いも小さくなっていた。
何段階も格落ちしたような様子である。
本体が抜け出たためだろう。
分体がゆっくりと顔を上げる。
そして私を凝視した。
「魔力及び瘴気反応を探知――マスターを認証。これからよろしくお願いします」
「……こちらこそよろしく頼む」
無機質な声を受けて、私はなんとか返答する。
残された分体は、大精霊の本体から魔力供給を受けていない模様だ。
完全な個として独立している。
弱体化したとは言え、紛れもなく大精霊の力を感じた。
その性質上、放置できるような存在ではなかった。
受け取りを了承した以上、連れて帰るしかない。
(……何か騙されたような気分だな)
そんなことを考えるも、口には出さない。
どこから大精霊に聞かれているかも分からなかった。
じっとする分体を一瞥して、軽く肩をすくめる。
激戦の果てに、魔巧国の発明家は死んだ。
此度の出来事によって、過度の技術発展は毒だと悟った。
私の存在が遠因なのだろうが、到底看過できるものではない。
ゴーレムやその発展型が量産される世界が訪れれば、きっと戦争の形は変わる。
今回のような戦いが延々と繰り返されるのだ。
まず間違いなく、魔王と人間が戦うだけの構図では終わらない。
そういった時代を歓迎し、危うい均衡を保つ努力をするのか。
或いは破壊によって文明を停滞させるか。
いずれ決めねばならない。
他にも様々な判断を迫られることになるのだろう。
世界の行方は私の手に委ねられている。




