第8話 賢者は魔王軍を熱狂させる
王城にある会議室。
円卓の前に着席するのは、私とルシアナの二人だ。
グロムは姿勢良く立っている。
彼はなぜか片眼鏡――モノクルを装着していた。
牛頭の頭蓋ながらも、上手に位置を合わせている。
グロムは紙の資料をめくりながら話し始めた。
「では、魔王領の今後に関する軍議を始めて参ります。よろしいですかな」
「問題ない。進めてくれ」
「承知致しました」
グロムは優雅に一礼する。
執事を彷彿とさせる洗練された動作だ。
一方、頬杖をつくルシアナは意地の悪い笑みを浮かべていた。
彼女はちょうどいい間を見計らってグロムを茶化す。
「眼鏡、似合ってないわよ」
「この小娘ェ……我の司会を邪魔するとは、いい度胸をしておるではないか……ッ」
グロムが激昂し、眼窩の火炎を噴出させた。
圧倒的な熱がモノクルを溶かす。
このままでは話が進行しないため、仕方なく私が仲裁することにした。
「グロム」
「はい!」
「続けろ」
「かしこまりました!」
グロムはいい返事をすると、モノクルの残骸を剥がし取った。
次に私は、油断していたルシアナにも注意をする。
「ルシアナ、お前もだ。無意味に煽るな」
「……はーい」
ルシアナは気だるそうな返事をする。
一応は反省しているようだ。
グロムは円卓の上に視線を向けた。
そこには大きな地図が広げられている。
この大陸を大まかに描いたものだ。
地図の横には、いくつかの駒が置かれていた。
魔術で作った模型で、何種類かの色に分けられている。
グロムはそれらの駒を手に取ると、地図上に配置していった。
「現在、王国領の大半は魔王領へと塗り替えられました。事実上の征服が完了したと評しても過言ではありませぬ」
「辺境や一部の大貴族の領地はまだ支配できていないがな」
「いえいえ、それらの攻略も時間の問題でしょう。彼奴らは補給路を断たれております故。手出しせずとも、いずれ降伏するかと思われます」
グロムは黒い駒を持つ。
それを使って、孤立する青い駒を弾いて倒した。
彼は黒い駒を代わりに置く。
続けてグロムは、地図上の黒以外の駒が置かれた部分を指でなぞっていった。
全体図で見ると広域に及ぶ。
黒い駒は、ほんの僅かな部分だけを占めていた。
「我々の次なる攻撃対象は、周辺諸国となります。これは間違っておりませんね?」
「ああ、大丈夫だ」
私が頷くと、グロムは地上の一点を指差す。
「数ある国々の中でも、早急に対応すべきものがあります。それがこの小国でございます」
「小国についてはルシアナからも聞いている」
私が話を振ると、彼女は涼しい笑みを見せた。
「そうね。こっそりと調査させてもらったわ」
起立したルシアナは大雑把に説明を挟む。
王国南西部に隣接する小国が、怪しい動きをしている。
そのような情報が舞い込んできたのは、つい最近のことだ。
なんでも王国側との国境に軍を集結させているのだという。
陥落した王都を奪い取り、あわよくば領地を拡大したいのだろう。
かつての戦争で王国に大敗した小国は、半ば従属のような扱いを受けていた。
此度の王都陥落により、偶発的に独立を達した形となる。
その経緯もあってか、私からの服従勧告も無視を決め込んでいた。
偵察に向かったサキュバスによると、妙に装備が揃っているらしい。
このことから、他国から戦力提供も受けている疑惑が濃厚だった。
小国については、一気に攻め込んで占領するつもりである。
国外に対しては初となる攻撃だ。
気を抜かずに支配に動く予定であった。
「――というわけで、他国から支援を受ける小国は、魔王領への侵攻を始めるつもりのようね。そして私達は、それを潰しておきたい。どう? 何か補足はあるかしら」
「ぐぬぬ……」
勝ち誇るルシアナを前に、グロムが悔しがる。
何の勝負をしているのかと言いたくなる。
私の視線に気付いたグロムは、わざとらしく咳払いをした。
骨だけの身体だというのに器用なものだ。
「……其処なサキュバスの説明通り、我々は小国を滅亡させるべきです。魔王様、ご決断を」
「決まっている。滅ぼすぞ」
私は即答する。
魔王を討伐しようという小国の心意気は悪くなかった。
ただし、代理戦争という形式に落とし込み、犠牲と責任を小国に押し付ける他国のやり方は感心しない。
国家間での細かい事情や力関係はあるのだろうが、私にとってはどうでもいいことだ。
これは世界全土を巻き添えにするための動きである。
そろそろ人類には、本格的に危機感を持ってもらわねばいけない。
いつまでも他人事だと思い込まないことだ。
現状、小国を滅ぼしたところで大勢に影響はない。
人類の存続に直結する場所でもない。
むしろ、このまま周辺諸国の使い走りにされると面倒だ。
早期退場を促すのが得策である。
小国には、平和へ至るための糧となってもらおう。
「さすが魔王様です! 今すぐに準備を始めましょうッ! 何なりとお申し付けを!」
「アタシも頑張っちゃうから、用があったら教えてね」
グロムとルシアナはやる気に溢れた様子だった。
国外への侵攻を待ち望んでいたのかもしれない。
こうして打ち合わせは終了し、戦争の準備が始まった。
◆
深夜の謁見の間。
玉座に腰かける私は、隣に設置された結晶を見る。
その中には封じられた遺骨があった。
私は水晶の表面に触れるも、何も感じられない。
不思議なほど権能が働かなかった。
「勇者様、あなたは……」
私は続きを言えずに口を閉ざす。
度重なる侵略で私の力は強まった。
それにも関わらず、彼女を蘇らせることができない。
まだ彼女を迎え入れるほどの準備が整っていないからなのか。
世界平和への基盤を整えれば、再び会えると思いたい。
彼女の目指した世界を築き上げるのだ。
私だけが実現できる。
「――王様? 魔王様っ!」
誰かが呼んでいる。
それに気付いた私は我に返った。
目の前には、眼窩に炎を宿す牛頭がある。
「……何だ、グロムか。もう時間か」
「はい。それでお呼びに来た次第ですが……ご気分が優れないので?」
「すまない。少し考え事に耽っていただけだ」
私が謝ると、グロムは大袈裟に手を振った。
「滅相もございません! 私こそ魔王様の思考を妨げてしまい、誠に申し訳ありません」
「別に大したことではない。気にするな」
私は玉座から立ち上がる。
その足で移動して、城のバルコニーへ赴いた。
バルコニーから地上を見下ろす。
月明かりの中、整列する魔物達が望めた。
十年の時を経て新生した魔王軍である。
闘争を好む者。
人間への逆襲を望む者。
私への恩返しを考える者。
ここに集う者の動機は様々だ。
無論、どういった考えだろうと構わない。
やってもらうことは同じなのだから。
「壮観だな」
「誰もが魔王様のお言葉を心待ちにしておりますぞ」
「そうか」
私はグロムの言葉で気を引き締める。
重要な局面だ。
魔王としての在り方に大きく影響する。
横ではグロムが、魔物の軍勢に向けて声を発した。
「――静まれ。魔王様のお言葉である。心して聞くように」
場に沈黙が訪れた。
数百の息遣いだけが聞こえてくる。
静かな熱気を伴って、視線が私に注目していた。
私はそれらを堂々と受け止める。
「かつて賢者と呼ばれる男がいた。勇者と共に幾多もの死闘を切り抜け、その果てに魔王を滅した人間だ」
「……っ」
隣でグロムが息を呑むような気配がした。
私は気にせず話を続ける。
「賢者の末路はどうでもいい。しかし、彼の見い出した真理には一考の価値がある」
そこで私は両手を広げた。
魔物達の反応は悪い。
話の方向性を掴めておらず、何とも言えない表情をしていた。
十分な間を持たせてから、私は話を再開する。
「今の世界には、無数の悪が蔓延っている。誰もが他者を蹴落とし、不当に咎め、悦に入ることを許容し、それを望んでいる」
魔物達から怒気や殺気を感じる。
私の言葉を聞く者達は、それぞれ何かを思い出しているようだった。
それらはどれも苦い記憶に違いない。
「私達は犠牲者だ。時代の流れに淘汰された存在である」
返事はない。
しかし、強い共感の情が場を満たしていた。
決して悪くない流れだ。
私は拳を握って彼らに告げる。
「淘汰された者には、抗う術は残されていないのか。答えは否だ」
私は体表から瘴気を洩らした。
闇夜でも認識できる漆黒が、炎のように絶えず揺らめく。
魔物達はどよめいた。
「私達は奮起できる。世界が私達を拒むのなら、その世界を踏み潰せばいい」
バルコニーの柵を叩き、魔物達の反応を待つ。
それに呼応するかのように、私への視線に熱望が混ざりつつあった。
彼らの中の感情が刺激されている証拠だ。
今にも弾けそうな高揚感が満ち溢れている。
はっきりとした語気で、私は一つひとつの言葉を曝け出していく。
「蹂躙の時は来た。心身を悪に染めよ。激動する歴史の一片となれ。新たなる魔王の顕現だ」
軍勢の誰かが熱に浮かされて呻く。
決して苦しみによるものではない。
堪え切れない歓喜である。
それを皮切りに、沈黙が音を立てて亀裂を走らせた。
膨れ上がった衝動は臨界点を迎えかけている。
それを察した私は、ここぞとばかりに問いかける。
「我々は唯一絶対の悪となる。その覚悟はあるか」
次の瞬間、雄叫びが雷鳴のように轟いた。
魔物達の感情がついに爆破したのだ。
地面が震え、空を突き破らんばかりの騒ぎとなる。
ひとしきりの熱狂を目にしてから、私は片手を真っ直ぐに掲げた。
それだけで魔物達は口を噤む。
少しの言葉も聞き逃さないように集中していた。
私は発散する瘴気を止めて告げる。
「よろしい。お前達は今代の魔王の使徒だ。その残虐な力を存分に振るえ。私達は悪だ。何も遠慮はいらない。下らない大義名分を捨て、本能のままに暴れ狂うがいい」
再び魔物の軍勢は沸き上がる。
歓声とも絶叫ともつかない声があちこちで巻き起こった。
しまいには魔王を称える声となって一体化し、尽きぬ喝采が夜の王都を埋め尽くす。
それらを聞きながら、私はバルコニーから灯りを消した室内へ戻った。
グロムが慇懃な調子で称賛する。
「いやはや、お見事な演説でした。さすが魔王様です」
「ただ焚き付けただけだ。彼らは私の本当の目的を知らない」
私がそう言うと、グロムは気まずげな雰囲気になった。
幾分かの躊躇を見せつつも、彼は小声で尋ねてくる。
「……伝えなくてよろしいのでしょうか?」
「どこから情報が漏洩するか分からない。たとえ味方でも知られてはいけない」
現状を踏まえて考えた結果、真の世界平和については口外しないことにした。
これが人間側に露呈した時点で、私の魔王としての立場は崩れ去る。
人間に本当の恐怖と滅びの予感を与えられないからだ。
そのため、配下には真実を伝えるべきではない。
グロムやルシアナのように限られた者にのみ伝える方針とした。
今宵の演説によって、魔物達は歓喜して殺戮を展開する。
手綱を締めるのが私の役目だろう。
「過酷な道を選ばれるのですね……」
「私を愚かだと思うか?」
自嘲気味に言う私に、グロムは静かに首を横に振った。
「まさか。貴方様ほど優しいお方は他におりません」
「優しい、とは。面白い冗談だ」
「…………」
グロムは沈黙してしまう。
意地の悪い返しをしすぎてしまった。
謝罪しても却って恐縮させるため、私は早足で出口へと向かう。
「少し休む。用があれば声をかけてくれ」
「はっ、かしこまりました」
優秀な配下の言葉を背に受けて、私はその部屋を後にした。