第76話 賢者はもう一人の発明家と対話する
「お前は本当にジョン・ドゥなのか。先ほどまでと別人に思えるが」
私は思わず尋ねる。
それほどまでの豹変ぶりだった。
とても信じられなかった。
しかし、まったく理解できないかと言えば、そういうわけでもない。
口調があまりにも異なるが、先ほどまでと声は同じなのだ。
最初の気弱な態度は演技だったのかと疑うも、そのようなことをする意味が分からない。
怪訝に思う私をよそに、ジョン・ドゥは魔道具越しに話す。
『いちいちフルネームで呼ばれるのも面倒だ。気軽にジョンと呼んでくれよ』
「では、ジョン。お前は何者だ」
『ずばり二重人格者って奴さ。知ってるかい?』
「ああ、知っている」
私は頷きながら納得する。
二重人格とは、一つの身体に二つの人格が宿っていることだ。
実際に会ったことはないが、そういった珍しい人間がいるという話を聞いたことがあった。
誰かの虚言かと考えていたこともあったが、こうして会話をすると信じざるを得ない。
本当に別人そのものなのだ。
巧妙な演技で私を騙そうとしていると考えるより、よほど合点がいく。
『主人格は、さっきまで喋ってた弱虫君だ。今は眠っているがね。昔からそうなんだ。あいつは追い詰められると人格が入れ替わる』
「入れ替わった間、表層化するのがお前か」
『ご名答。あいつはオレのことを曖昧にしか認識していない。さすがに存在は把握しているようだが、今まで誰にも打ち明けていないんだ。情けないよなァ。心が塞ぎ込んでるのさ』
ジョンは愉快そうに嘆いた。
まるで他人事のような口ぶりである。
いや、彼にとっては実際に他人だろう。
ただ同じ肉体を共有しているだけなのだ。
『こいつは親に捨てられた孤児でね。俺はその頃から見守っている。たまに手を貸してやったりもしたな。懐かしいよ』
ジョンはしみじみと言う。
遠い目をして話しているような口調であった。
他人とは言え、ある程度は親しみを覚えているのだろうか。
少なくとも邪険にしている感じではない。
性格はまるで異なるも、嫌っているわけではないようだ。
こうして断片的に聞いた印象としては、友人や幼馴染に近いかもしれない。
『ジョン・ドゥも実はオレの名前で"身元不明の死体"って意味があるんだ。どうだい、洒落ているだろう』
「つまり主人格にも別に名前があるのか」
『イエス。まあ、滅多に使うことはないがね。軍属の技術者になる時、肉体の主導権をオレが握っていてな。咄嗟にジョン・ドゥと名乗っちまった。それ以降、こいつも揃ってジョン・ドゥだ』
ジョンは苦笑しながら思い出話を語る。
その話を信じるのなら、どうやらジョン・ドゥは偽名のようなものらしい。
便宜上、別人格が名乗ったものに過ぎず、それが彼個人の名として浸透してしまったようだ。
主人格が訂正することもできず、今に至るのだろう。
そこで私は、ふと一つの可能性を思い付いた。
気になったのでジョンに質問する。
「まさか、お前が兵器開発の知識を提供しているのか?」
『おお、よく分かったなァ。こいつが主導権を握っている時、閃きという形で囁いてやったんだ。あとはさりげなくアイデアのメモを書き残したりな』
ジョンは得意げに語った。
経緯は不明だが、彼は様々な知識を持ち合わせているらしい。
二重人格者の特性なのだろうか。
私もあまり詳しくないので分からない。
『ただ、一年前までは最悪だった。せっかくのアイデアも失敗しまくりで持ち腐れでな。技術や知識が不足しているせいで、とにかく何もかもが上手くいかなかった』
「最近は絶好調のようだがな」
『そうなんだよ! あんたという魔王が登場した頃から上り調子さ。やり方を変えたわけでもないのに、急に研究開発が成功するようになった。きっと神の導きか何かだろう』
神の導き。
その言葉を聞いて、私は胸中に引っかかりを覚える。
やはり何らかの力が働いているのか。
事前情報の通り、私が魔王になった時期にジョンも出世し始めている。
しかも彼自身が直接的な要因を知らない。
どうにも不可解な現象だ。
形こそ違えど、勇者や聖女の覚醒と符合する部分があった。
やはり世界の意思が絡んでいるのだろうか。
『あんたを殺すための兵器はどんどん開発が進む。正直、メカニズムが不明な部分もあるが、成り立っているから放置している。どうやら運命は魔王を滅ぼしたいらしい』
「…………」
『どうした? ショックで言葉が出ないのかい。気持ちは分かるよ』
ジョンは優しげな声音で話しかけてくる。
本気で気遣っているというより、私に対する憐憫と皮肉であった。
私はこれまでの戦いを振り返りながら言葉を返す。
「運命に嫌われている、か。今に始まったことではない。もう慣れている」
『ハハッ、さすがは天下の魔王様だ。覚悟は決めているらしい。まあ、雑談はここまでにしよう。単刀直入に言うが、あんたはもうすぐ死ぬ。オレが殺してやるからだ』
ジョンは自信に満ちた様子で断言する。
彼は自らの勝利を微塵も疑っていなかった。
主人格とは正反対である。
「大した自信だな」
『自信に見合った備えがあるからな。こいつは対話で解決しようと考えていたが、そんな甘ったれた展開は無理だろ?』
「当然だ。我々は秘石を奪還しなければならない」
何を言われようとそこを曲げるつもりはなかった。
大精霊が暴れると、私の計画に支障を来たす。
どうにかして止めねばならない。
『さっきの話を聞いてたが、本当に大精霊に返すつもりなのか?』
「そうだ」
『マジかよ! あんた、見た目の割にとんだお人好しだなっ! 笑っちまうぜ』
そう言ってジョンは大笑いする。
こちらを小馬鹿にしているが、別に腹を立てたりはしない。
ジョンの主張は正しく、魔王がこんな真似をしているのがおかしいのだから。
ともすれば滑稽に感じるだろう。
笑い終えたジョンは、深く息を吐いた。
『……まあ、あんたの目的なんて関係ない。オレは世界一の発明家として魔王を殺すだけさ。金や地位や名誉なんざ興味はないが、歴史に名を残すのも一興って奴かね。二回目の人生としては上出来だろうさ』
そう言って彼は黙る。
少々の間を置いてから、ジョンは私に告げた。
『刮目しろよ。これがオレ達の最高傑作だ』
その言葉を最後に、魔道具は機能を停止する。
不穏な言葉を残して、一切の声が聞こえなくなった。
同時に感知を終えたローガンが、緊張した面持ちで私を見る。
「ドワイト」
「秘石と彼はどこだ?」
私は手短に尋ねる。
ローガンは息を呑むと、静かに答えた。
「――地下だ」
その直後、突如として地響きが発生した。
私は足元深くに魔力反応を感知する。
それもゴーレム等の比ではなく、常軌を逸した質量を内包していた。
明らかに大精霊の因子を含んでいる。
揺れが大きくなり、まともに立っていられないほどになる。
私はローガンの手を引いて空中へと退避した。
すぐに地面に深い亀裂が走り、眼下の建物が次々と倒壊していく。
私達が入ろうとしていた高層建造物も、ゆっくりと傾き始めていた。
割れた石畳が陥没して、断層が上下にずれていった。
(一体何が……)
私は周囲に防御魔術を張り、どのような攻撃にも耐えられるように備えた。
状況は依然として不明だ。
下手に動くべきではなかった。
ほどなくして地面一帯が爆発する。
舞い上がる瓦礫。
崩壊した建造物が宙を舞った。
付近が一瞬にして都市の形を失っていく。
瓦礫の雨が降る中、私は地面を突き破る物体を発見した。
一見すると塔のようなそれは、五本指を持つ金属製の巨大な腕だった。




