第66話 賢者は大精霊と邂逅する
転移先には半壊した街並みが広がっていた。
帝国領土の街である。
周囲に人はおらず、瓦礫の隙間に屍が覗くばかりだった。
そこまで認識したところで、前方に大量の魔力反応を察知する。
上空を突っ切るようにして無数の粒が飛来してきた。
(なんだ?)
私はそれらを注視する。
落ちてくるのは魔力を帯びた氷の粒だった。
粒は豪雨のような勢いで私達のもとへ迫ってくる。
決して自然現象ではない。
姿が見えないが、大精霊の仕業だろう。
方角的にも合致している。
(いきなりか……)
私は防御魔術を使い、自身とローガンを守るように障壁を張った。
直後、氷の粒が周囲一帯に降り注ぐ。
付近の建物が粉砕され、地面が耕された。
文明の痕跡が破壊によって塗り潰されていく。
展開させた防御魔術にも亀裂が走る。
そのまま割れそうになったので、私は重ねて追加の防御魔術を行使した。
状況把握に努めながら耐え凌ぐ。
氷の粒は一向に止まる気配がない。
延々と降り注ぎ、絶え間ない破壊をもたらしていた。
辛うじて残っていた街並みは、とっくに原形を失っている。
一方、ローガンは隣で手を組んで集中していた。
彼は目付きを鋭くしながら私に告げる。
「大精霊を捕捉した。今から精霊語による対話を試みる。もう少し時間を稼げるか」
「問題ない」
私は防御魔術をさらに多重発動しながら答える。
氷の嵐は恐るべき威力だが、捌けないほどではない。
私は死者の谷から供給を受けており、ほぼ無尽蔵の魔力を持つ。
魔力の回復速度が消費速度を超えていた。
その気になれば、半永久的に防御することもできる。
ローガンの魔力が高まり、彼は目を閉じて何事かを呟く。
魔術の詠唱ではない。
練り込まれた魔力は、氷の粒が飛来する方角へと投射された。
ローガンはその作業を何度か繰り返す。
「――終わったぞ」
やがてローガンは目を開けて構えを解く。
同時に氷の粒が止んだ。
彼自身に異変がない様子を見るに、上手く対話できたらしい。
さすがエルフの族長である。
私だけでは対話の余地を得られず、このまま戦うしかなかった。
その場で待機していると、先ほどから探知していた魔力反応が接近してくる。
空中を滑って移動してきたのは、人型の青白い光だった。
顔の造形は曖昧で、人らしき凹凸がある程度だ。
長い髪とおおよその身体つきから女性であることが窺える。
あの人型の光こそ大精霊だろう。
こうして対峙することで、圧倒的な魔力をはっきりと認識できる。
次元の違う強さを秘めているのは明らかであった。
ただ、その姿になんとなく違和感を覚える。
内包する魔力の質と量は紛れもなく一級だが、魔力の流れが不自然だった。
魂や核に値する箇所も探知できない。
莫大な力に反して、存在感に妙な揺らぎがある。
「…………」
疑問に思った私は、意識を集中させて解析する。
結果、大精霊が魔力供給によって形成されていることが判明した。
とは言え偽物でもない。
目の前の大精霊は本体ではなく、疑似的に生み出された分体なのだろう。
本体の居場所が気になるも、そこまでは探れなかった。
脳裏を巡る思考をよそに、大精霊は私達の前に降り立つ。
「エルフと不死者とは。珍しい組み合わせですね」
澄んだ女声だ。
感情をあまり感じさせず、どこか達観した印象を受ける。
私は臆せず問いかけた。
「大精霊だな?」
「ええ、如何にも。あなた達は何者でしょう?」
「私は魔王だ」
こちらの答えを聞いた大精霊は、少し雰囲気を変えた。
心なしか関心を抱かれた気がする。
魔王の名は、それに値するものだったらしい。
「――ほう。魔王を名乗る者は過去に何人もいましたが、あなたの起源は別格ですね。そちらの方は?」
「ローガン・リィン・フリーティルト。世界樹の森で族長をしている」
「世界樹の守り人でしたか。いつの時代もご苦労様です」
大精霊は私の時よりも優しい口調で述べる。
やはりエルフと精霊は縁が深く、その関係は良好らしい。
ローガンが同行していてよかった。
挨拶を終えた大精霊は私達を交互に見る。
「そのようなお二人が何のご用でしょうか」
「これ以上、人間の国を荒らさないでほしい」
「なぜですか? あなたは魔王でしょう。人類を庇う理由が分かりませんが」
私の望みを聞いた大精霊は、理解不能とばかりに疑問を呈する。
当然の反応だ。
魔王が人間を守ろうとするなど到底信じられる話ではない。
だから私は、予め用意していた答えを述べる。
「この地を占領する予定だからだ。あまり壊されると不都合が生じる」
「その希望は受理できません。この地の人間は、わたしの秘石を持ち出しました。それが返却されるまで、破壊を止めるつもりはありません」
大精霊は首を振った。
私は彼女の告げた内容に触れる。
「まだ取り戻していないのか」
「小賢しいことに、隠蔽の術で所在が判然としません。反応が消えた大都市を滅ぼしましたが、残念ながら見つかりませんでした」
大精霊は冷淡な口調で語る。
言葉の端々に、微かに苛立ちを感じられた。
若干ながらも冷静さが保てなくなっている。
大精霊にとって、秘石がそれほど大切ということだろう。
盗まれたことに対する怒りが滲み出ていた。
(しかし、まだ盗まれたままだったのか……)
私は新たな情報を意外に思う。
秘石は既に取り返されたものかと思っていたのだ。
大精霊の力を以てすれば難しいことでもない。
実際、帝都は消滅したと聞いている。
つまり秘石を持ち出した人間は生存しており、行方を眩ませていることになる。
大精霊を出し抜くとは、なかなかに大胆かつ命知らずだ。
何をするつもりなのかは知らないが、その行動力には感心してしまう。
話を聞いて状況を察しつつあった私は、続けて大精霊に質問をする。
「秘石が見つかれば殺戮を止めるのか」
「首謀者及び関係者は決して許しませんが、ひとまずは怒りを収めましょう」
大精霊は宣言する。
首謀者と関係者の抹殺は仕方ない。
彼女が持つ正当な権利である。
私も原因となった人間まで救いたいと思うほどお人好しではない。
「分かった。では私が秘石を取り返そう」
「あなたに可能なのですか?」
「可能だ」
私は即座に断言する。
対する大精霊はこちらを無言で凝視してきた。
私は同じく無言で視線を返す。
息苦しい静寂の中、私達は互いを見合う。
先に視線を外したのは大精霊であった。
肩の力を抜いた彼女は、穏やかな口ぶりで私達に告げる。
「いいでしょう。あなた達に任せました。わたしはここで待っています。三日以内に持ってきなさい」
「分かった」
私は深く頷いた。
そして余計なことが起きないうちに、ローガンを連れて王都へ転移する。
戻ってきた謁見の間だ。
辺りを見回したローガンは、脱力して絨毯に座り込む。
彼は大きく息を吐くと、じろりと私を見やった。
「強気な交渉だったな。おかげで肝を冷やしたぞ」
「もし戦闘になっても、倒せるだけの自信はあった。本体ならまだしも、分体なら私でも手に負える」
まずは瘴気の結界に閉じ込めて、本体からの魔力供給を強制的に切断する。
相手の強みを潰せば、あとは魔術と剣術で確実に屠れる。
後から別の分体がやってきたとしても、同様に捻じ伏せるつもりだった。
無策で挑めばまず勝てないだろうが、相手の力の仕組みさえ分かれば対処できる。
こういった解析と対策は私の得意分野だ。
生前、魔族と戦っていた頃はこの能力を存分に活かしていた。
格上を相手にする際には、知略と小細工で対抗するしかないのだ。
現在のように強大な力で押し切る戦法などまず使えなかった。
そういった過去もあったので、今回は少し懐かしさを感じていた。
「……不死者になって恐怖を失ったのではないか?」
「そうかもしれないな」
呆れ果てるローガンに、私は静かに応じた。




