第61話 賢者は弓兵の考えを聞く
夜の街並みに、赤々とした光が点在する。
あちこちの建物から火の手が上がっていた。
闇夜を人々が逃げ惑う。
私はその中を闊歩していた。
「止まれェッ!」
前方から殺気と共に怒声が飛んできた。
この都市を守る兵士達だ。
彼らは白光に包まれた矢を山なりに放ってくる。
聖属性の付与されたそれは、私だけを狙って落下を始めた。
私は瘴気の槍を生成する。
それを回転させることで、降り注ぐ矢を残らず弾いた。
身体にはただの一本も刺さっていない。
第二射が来る前に、私は瘴気の槍を投擲する。
一直線に飛んだ槍は、弓を持つ兵士を数人まとめて貫通した。
肉が抉れ、鮮血の迸る音がする。
槍を受けた者は痙攣を経てグールとなり、他の兵士達に襲いかかっていった。
(あとは放っておいて大丈夫だろう)
そう判断した私は踵を返す。
辺りを無数のグールが跋扈していた。
元はこの都市に住んでいた者達である。
彼らは一心不乱に生者に喰らい付いていた。
魔巧国のゴーレムを鹵獲してから数日。
ここは魔王領の都市の一つで、元は帝国領だった地である。
先日、領主が帝国に帰属すると宣言し、対アンデッド用の武器や道具を生産し始めた。
こちらからの警告も無視したため、やむを得ず実力行使に出たのであった。
別に放っておいてもいいのだが、あまり黙認しすぎると他の都市でも同様のことが起きてしまう。
そうなると魔王領の統治に差し支える。
言うなれば見せしめに近かった。
今後の活動を円滑に運ぶための犠牲である。
魔巧国ばかりに気を取られている暇はない。
私の敵は全世界だ。
各国が私を討伐しようと目論んでいる。
それとは別に、世界の意思による英雄の覚醒にも注意しなければいけなかった。
同じ過ちを繰り返すつもりはない。
地道な活動も疎かにできないが、常に大局を俯瞰する必要があった。
人間の国同士での争いは、着実に減り始めている。
水面下で手を結ぶ国も散見されるほどだった。
魔王君臨という現状を深刻に見て、各国が協力すべきだと考えているのだ。
少しずつだが、私の狙い通りに動き始めていた。
この調子で前進できればと思う。
通りを歩いていると、頭上からガラスの割れる音がした。
窓を突き破って落下してきたのは兵士だ。
そこに数体のグールがしがみ付いている。
「うあああっ、放せッ!」
地面に倒れる兵士は必死に抵抗する。
グールは構わず兵士を貪り、その四肢を引き千切った。
肉の咀嚼音に合わせて苦悶の声が響き渡る。
それに釣られた周囲のグールが、呻き声を上げて集まってきた。
私はそのすぐ横を通り過ぎる。
断末魔を聞いても、あまり心は痛まない。
少し同情の念を覚えるだけだ。
幾度も惨劇を目にしたことで麻痺している。
人間性をすり減らしている気がした。
(……身も心も怪物になり下がったか)
もっとも、これは今に始まったことではない。
いちいち気に病んでいては、とても魔王など続けられなかった。
客観的に考えれば悪くない傾向だ。
冷徹な心は魔王に適している。
悲観すべきことではない。
私は人間に憎しみと絶望を感じていた。
だから、殺戮という形で不満を発散している節もあるかもしれない。
それも仕方なかった。
自ら志した役割と目的から逸れないのなら、この醜悪な欲求をも許容しようと思う。
都市の中央部に到着したところで、前方からヘンリーが歩いてきた。
弓を携えた彼は、悠々とした態度で片手を上げる。
「やあ、大将」
「任せた区域の戦線はどうなった」
「もちろん完璧だ。ヘマの一つもしちゃいないさ、っと」
ヘンリーはこちらを見たまま弓を動かし、背後に潜む兵士の片目を射抜いた。
射抜かれた兵士は固まり、静かに後ろへ倒れる。
終始、ヘンリーはこちらを向いており、一度も振り向くことはなかった。
相変わらず超絶的な技量である。
ヘンリーは魔王軍に入ってからも鍛練を続けていた。
その腕は日ごとに磨かれているのだ。
類稀なる才能に加え、たゆまぬ努力がこの男の強さを形成している。
彼が魔王軍の戦闘訓練において教官を務め、配下からも支持を受けるのはこういった側面があるからであった。
合流した私とヘンリーは、徒歩で領主の館へと向かう。
現在、アンデッドが襲撃を仕掛けているところだ。
到着する頃には、ちょうど制圧が済んでいるだろう。
移動中、ヘンリーは思い出したように話題を切り出した。
「そういや、新しい武器を作ったんだって? 確か弓に代わるって評判だったな。肝心の名前を忘れちまったが」
「鉄砲だ。あれが普及すれば、間違いなく次世代の主力武器になるだろう」
「はぁ、そんなに便利なものかね。既存の武器で十分じゃないか?」
ヘンリーは訝しみながら矢を放つ。
屋根の上に隠れていた兵士が転がり落ちてきた。
彼の位置からは完全に死角だが、壁と屋根を貫通させることで射抜いたのである。
「鉄砲を使わせれば、ただの子供が魔術師を殺し得る」
「――ほう。そいつはすげぇな」
それを聞いたヘンリーは強い関心を示す。
彼は新しいものに対して懐疑的だが、鉄砲の有効性は伝わったようだ。
ヘンリーほど戦いに明け暮れる者もいない。
そんな彼だからこそ、鉄砲の価値はよく分かるだろう。
「研究所に行けば試射できる。一度、確認してみるか?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
ヘンリーは嬉々として了承した。
気に入るかはともかく、体験してもらうのが手っ取り早い。
魔巧国と戦争になった際は、向こうが装備している可能性も高かった。
今のうちに特徴を知っておくのは悪いことではない。
「鉄砲とやらが主力というと、弓が時代遅れになるってことか……」
ヘンリーはしみじみと呟く。
心なしか寂しそうな顔をしている。
長年に渡って戦場を駆けてきた男だ。
大きな変動を前にして、思うところがあるらしい。
私は少し考えてから彼に告げる。
「お前には今後も前線で活躍してもらう。時代遅れになることはないだろう」
「ははは、そいつは嬉しいな。これで追い出されたら敵わねぇや」
ヘンリーは冗談めかして笑った。
これは形ばかりの慰めではない。
たとえ鉄砲が戦場の主力武器になろうと、彼の弓は非常に強力だ。
あらゆる面で鉄砲を凌駕している。
彼の力を不要とする事態は訪れないだろう。
私達はそれから暫し無言で歩く。
辺りはどこも喧騒に包まれていた。
遠くに見える門は開いたままで、そこから人々が避難している。
彼らはアンデッドに追い立てられるようにしてこの都市を去っていった。
それを眺めながら、私はふと発言する。
「ヘンリー」
「何だい」
「お前は、永遠の命を望むか」
私に問われたヘンリーは、片眉を上げてみせた。
彼は肩をすくめて苦笑する。
「また突然だな。どういう風の吹き回しだ?」
「別に何もない。ただの興味だ」
以前から漠然と疑問に思っていた。
この戦場に他の幹部はいない。
尋ねるにはちょうどいい機会だと思ったのである。
「俺が永遠の命を望めば、アンデッドにしてくれるってわけかい」
「そうだ。自我を持つ高位の不死者に変貌させる」
今の私ならそれが容易に可能であった。
ヘンリーほどの人間なら、さぞ強力な不死者になるだろう。
老いや寿命といった概念から解放され、永劫の時を生きることができる。
「ふうむ……」
ヘンリーは腕組みをして考え込む。
熟考の末、彼は珍しく真面目な調子で答えた。
「面白い提案だが、俺は人間のままでいい。定命で死ねる幸福もあるんじゃないかと思ってね。もちろん大将のことを貶しているわけじゃない。あくまで俺個人のことだ」
「…………」
私は意外な答えに沈黙する。
戦い好きなヘンリーなら、迷わず不死者になる道を選ぶかと思ったのだ。
「まあ、当分は死ぬつもりなんてないがね。愉快にやらせてもらうさ」
ヘンリーは思い出したようにおどけてみせた。
そして、名案とばかりに付け加える。
「もし俺に子供や孫ができたら、大将の下で働くように勧めるよ。その時はよろしく頼んだぜ」
「そうか。楽しみにしている」
私はしっかりと頷く。
ヘンリーの意外な一面を知れたのは良かった。
私は彼の考えを尊重する。
無理やりアンデッドに仕立て上げるような真似はしない。
実際、ヘンリーの言う通りだった。
定命で死ぬことができるのは、代え難い幸福である。
既に私は放棄し、グロムを巻き込んでいる。
人間を捨てた身では、穏やかな死も望めない。
そもそも魔王である私は、死ぬことを許されない。
永遠に悪の頂点に君臨しなければならなかった。
それは果てしない苦行だろう。
ともすれば気が狂いかねないものである。
そのような行為を他者に無理強いできない。
いつまでも付き従うなど、正気の沙汰ではなかった。
ヘンリーのように割り切った協力関係はあって然るべきだろう。
それを改めて認識させられた。
その後、私達はアンデッドに包囲された領主の館に侵入し、命乞いをする領主を粛清した。
さすがに許すわけにはいかない。
他の都市への牽制を兼ねている以上、甘い対応はできなかった。
こうして戦いを終えた魔王軍は、王都に帰還した。




