第6話 賢者は新たな配下を迎える
「先代の魔王……それに四天王ですと!? 一体どういうことなのですかっ」
グロムが驚きを露わにする。
彼が生まれたのはつい最近だ。
素体となった死者から知識や技術は習得しているが、細かな情報は知らないらしい。
「詳しいことは後で話そう。今は挨拶が優先だ」
早々に話題を切り上げた私は、外壁から跳躍した。
風魔術で落下速度を緩め、元四天王のサキュバスの前に降り立つ。
「私の支配地に何の用だ」
「えーっと、アナタが新しい魔王サマ?」
サキュバスが小首を傾げて問いかけてくる。
なんとなく緊迫感に薄れた口調だ。
そして、懐かしい声音だった。
蘇る過去の記憶を横に置いて、私は彼女の疑問に応じる。
「今のところ、魔王は自称だがな」
「へぇ、そう。なるほど、なるほど……」
サキュバスはじろじろと私を観察する。
なんとなく愉快そうで、品定めをするような視線であった。
「――小娘。それ以上、無礼な真似をしてみよ。我が貴様の首を即座に斬り落とす」
地上に降りたグロムが冷徹な口調で告げる。
いつもの彼とは違う。
初対面の時と同じ雰囲気だった。
私以外への態度は特に軟化していないようだ。
脅迫を受けたサキュバスは自らの肩を抱いて震えてみせる。
「嫌だ、怖いこと言わないでよ」
大袈裟でわざとらしい。
明らかに演技だ。
グロムの殺気を見事に受け流している。
ふざけた言動の彼女だが、ふと真顔になる。
私に歩み寄ってくると、おもむろに顔を近づけてきた。
どうやら匂いを嗅いでいるらしい。
しばらくして顔を上げた彼女は、嬉しそうに声を上げる。
「何か知ってる魔力だと思ったら、賢者のドワイト君じゃないっ! ねぇ、正解でしょ?」
「この小娘が、魔王様に向かって何たる口を……ッ!」
「グロム、よせ」
私は前に踏み出そうとしたグロムを手で制する。
グロムは眼窩の炎を弱らせた。
叱られたことで気を落としている。
「魔王様……」
「私に任せてくれ」
悲しげなグロムに告げて、私はサキュバスと対峙する。
凛とした美しい容姿に、身体を包む黒い衣服。
その佇まいや眼差し、動作の一つひとつが相手を煽るように計算し尽くしていた。
彼女の毒牙にかかった者を何人も知っている。
無論、現在の私が魅了されることは無い。
「久しぶりじゃないか、ルシアナ」
「そうねぇ。アナタの大切な勇者様に半身を吹き飛ばされた時以来よ。もう十何年も前のことかしら」
元四天王のサキュバス――ルシアナは懐かしそうに目を細める。
その際、桃色の長髪が揺れた。
月光を受けて、髪は微妙に色彩を変化させている。
「ドワイト君ったら、随分と変わったわね。そういうお年頃なの?」
「お前なら察しは付いているだろう。死者の谷の権能だ」
「あ、やっぱり? だと思ったわ」
ルシアナはにっこりと笑みを深める。
後ろでグロムの機嫌が悪くなる気配がした。
私が無言で一瞥すると、グロムは我に返って背筋を伸ばす。
「ところで立ち話は疲れるし、できれば中に入れてくれない? この子達も休ませてあげたいの」
「分かった。案内しよう」
私が頷くと、グロムが控えめに意見を口にする。
「魔王様、よろしいので?」
「問題ない。もしも何かあれば――私が全力で対処する」
間を置いて宣言した私は、全身から炎のように瘴気を放射した。
夜闇でもくっきりと浮き上がるほどの漆黒だ。
その状態でルシアナ達を凝視する。
魔物達が露骨に委縮していた。
間近で受けたルシアナも呆然として、乾いた笑いを洩らす。
「あ、あはは……本当に変わったのね、アナタ。人間の頃より魅力的に感じるわ」
「そんなことはどうでもいい。ついてこい。来客として歓迎する」
私は踵を返して王都内へ入った。
後方をぞろぞろと魔物達がついてくる。
「この街、ちょっと瘴気が濃すぎない? 魔物にも影響が出るほどって相当よ」
道中、ルシアナが呆れた口調で結界を張る。
通り道の瘴気を除去しているのだ、
さりげなく部下の負担を押さえている。
確かに現在の王都は、生物の滞在を想定していない環境だ。
今まではアンデッドしか存在しないために支障がなかった。
人間より適性があるとはいえ、この濃度は命ある魔物には厳しいのである。
城に到着したところで、私はルシアナを手招きする。
「これより先はお前だけが来い。他の者は好きに建物を使え」
「まあそうなるわよね。了解したわ」
ルシアナは再び結界魔術を行使した。
彼女は近くにあった損壊の少ない建物群をまとめて結界で覆う。
これで瘴気の薄い空間が形成され、部下を待機させるための安全地帯が確保された。
私とグロムとルシアナの三人は城内へ向かう。
会話の場所として、今は使われることのない応接室を選んだ。
室内は手入れが行き届いている。
グロムが熱心に掃除しているのだろう。
私達は対面のソファに座り、ローテーブルを挟んで会話を始める。
「改めて問うが、何の用でここを訪れた」
「そんなに凄まないでよ。アタシとドワイト君の仲でしょう?」
「ま、まさか魔王様は、この小娘と……ッ!?」
グロムは驚愕に震える。
眼窩の炎の揺れが妙に激しい。
彼にとってはよほど衝撃的な言葉だったようだ。
「グロム、落ち着け。私はルシアナを見知っているが、深い仲ではない。敵同士だった」
勇者の従者と、魔王軍の四天王だ。
必然的に殺し合う宿命であり、幾度も死闘を繰り広げた。
最終的には決着せず、彼女が人間軍の妨害工作を行っている間に、私達は魔王を討伐した。
「敵同士"だった"ねぇ……過去形ということは、今はもう違うと考えているの?」
意地悪な顔をするルシアナ。
私は迷わず首肯する。
「お前の仕える魔王は死んだ。あれから十年も経過している。私達が争い合う理由が無い」
「割り切った考えね。アタシが魔王サマの敵討ちに来る可能性だってあるはずよ」
「それならば、叩き潰してアンデッドにするまでだ。お前達の屍を有効活用させてもらう」
私は威圧感を込めて宣言する。
今のは脅しではない。
必要なら実行するまでだ。
ほんの少しの労力で完遂できることであった。
「……っ」
息を呑むルシアナの頬を、汗が伝い落ちる。
彼女は息を吐いて落ち着くと、ゆっくりとソファにもたれかかった。
「……冗談よ。アタシ達は新しい魔王サマの配下になりたいだけなんだから」
「どういうことだ」
私が問うと、ルシアナは事情を話し始める。
魔王の死後、魔王軍の残党は人間により蹂躙されたらしい。
戦おうにも頂点に君臨する魔王が不在で、有効な反撃ができなかったという。
そのうち残党の統率は乱れ、組織内での主張もずれていく。
やがていくつかの派閥に分裂し、それぞれ別の道を歩むことになったそうだ。
当時、四天王という地位に就いていたルシアナは、彼女を支持する者を連れて辺境へ赴いた。
彼女達は残党内において"穏健派"と呼ばれていたらしい。
そんな穏健派は、人間の目の届かない場所で細々と暮らすことにした。
いつか新たな魔王が現れることを信じて、彼らは十年の苦境を乗り越えてきたのである。
「腑抜けた紛い物が魔王になろうとしているのなら乗っ取るつもりだったけれど、その心配はなさそうね。だってアナタ、先代魔王サマより強いもの」
ルシアナは私を素直に称賛する。
言葉の端々には若干の呆れも含まれていた。
私の強さは、彼女の予想を幾分か超えていたようだ。
「それにしても、まさかドワイト君が新たな魔王になるなんてねぇ。アナタと勇者が処刑されたのは知ってるけど、本当に何があったの?」
ルシアナが身を乗り出して尋ねてくる。
興味津々といった様子だった。
別に秘匿したいことでもない上、彼女の事情も聞かせてもらった。
お返しというわけでもないが、説明してもいいだろう。
そう判断した私は、魔王討伐後から現在に至るまでの流れを語った。
内容はそこまで複雑ではない。
話し終えるのに、そこまで時間はかからなかった。
「つまり、魔王殺しの英雄を蔑んだ人間共は、結果的に新たな魔王を生み出して滅ぼされたってわけね! あっはっはぁ、人間って救いようのないお馬鹿さんだわ」
ルシアナはソファの上で笑い転げる。
よほど話の内容が愉快だったらしい。
笑うようなことではない気がするのだが、彼女の心の琴線に触れたようだ。
一方、私は彼女の感想に反論する。
「確かに人間は愚かだが、救いようはある。私は彼らに永劫の平和を与えるつもりだ」
「律儀ねぇ。完全に滅ぼしちゃおうとは考えないのかしら」
「私は世界の平和のために力を尽くす。それが生前からの方針であり、あの人の悲願だ」
平和への道筋が変わっただけだ。
根本の想いは揺るがない。
現在のやり方が最善だと考えたからこそ、私は躊躇いなく実行している。
姿勢を正したルシアナは、優しい微笑みを見せた。
「まあ、そっちの事情と目的は分かったわ。それで、どうするの?」
真意を探る視線。
彼女は私の反応を待たずに話を続ける。
「アタシ達は安寧の土地を求める。代わりに技術と戦力を提供できる。アナタ達は優秀な部下を求める。報酬として王都全域を提供できる」
「私達の利害関係は一致しているということか」
「その通り! 互いに損しない条件だと思うけれど?」
ルシアナは涼しい顔で言う。
こちらが乗ると確信している表情だった。
その時、グロムが私に耳打ちをする。
「魔王様、少々お話がございます」
「何だ」
「こちらへ来て下さいませ」
私はグロムに連れられて部屋の端へ移動する。
そこで彼は魔術で防音の壁を生成した。
声がルシアナへ届かないように細工をする。
「あのサキュバスを信じるのですか?」
「ルシアナが優秀なのは確かなことだ。油断ならない性格だが、そこは監視すればいい」
向こうの真意など関係なく、監視は必要だ。
保護した彼らが人類を滅ぼし始めたら目も当てられない。
そこさえ気を付けていれば、存外に悪い話ではなかった。
かつての因縁など、私にとってはどうでもいい。
現在の利用価値だけを考慮する。
「彼女が率いる魔物の軍は魅力的だ。たった五百とは言え、配下に加えられるのは大きい。互いに利用し合う関係になる。それだけだ」
「魔王様がそうおっしゃられるのでしたら、我も異論はございませぬが……」
そう述べるグロムはやや心残りがありそうだ。
彼が私の未来を真剣に考えてくれているのは分かる。
あまり無碍にするのは申し訳ない。
私はグロムの肩に手を置いた。
「いざという時は、お前の力を頼らせてもらうよ」
「……ははぁッ! このグロム、魔王様のために身を粉にして尽力致しましょうぞ!」
グロムは一瞬で元気を取り戻した。
眼窩の炎が天井を焦がしそうな勢いになる。
これでしばらくは大丈夫だろう。
私はソファに戻った。
「待たせたな。話がまとまった」
「それで、どうするのかしら」
「私はお前達を受け入れよう。安住の地を約束し、その代償として人類との戦争に加担してもらう」
答えを聞いたルシアナは、にっこりと笑って手を差し出してくる。
「問題ないわ。十年前にもやったことだもの。今更、躊躇うことなんてないでしょ」
「よし。交渉成立だ」
ルシアナの手を握ると、彼女は嬉しそうに飛び跳ねた。
「やった! これからよろしくね、魔王サマ?」
彼女はするりと近寄ってくると、私の首に腕を絡めてきた。
そのまま身体を押し付けてくる。
「……何の真似だ」
「アタシ、強い男が好きなの。先代魔王サマに従っていたのも、あの圧倒的な力に惚れたからだし。だから今は……そういうことよ。ねぇ、言いたいこと分かる?」
ルシアナが上目遣いに言う。
情に潤んだ瞳。
ふっくらとした赤い唇が迫る。
(相変わらずだな)
私は手の内に魔術を生み出す。
殺しはしないが、今後こういったことをされても困る。
正直、迷惑でしかない。
最初に忠告くらいはすべきだろう。
そうして魔術を行使しようとしたその時、八本の骨の手がルシアナの身体を掴んだ。
骨の手は、彼女を私から強制的に引き剥がす。
無論、グロムの仕業であった。
「サキュバス風情が、よりにもよって魔王様に色仕掛けとは……ッ! 駄目ですぞ、騙されてはなりません! 此奴は性悪女ですッ」
「あら、人聞きが悪いわね。アナタも規格外みたいだけれど、魔王サマには遠く及ばないみたい。ごめんなさいね。アタシ、一番にしか興味がないの」
ルシアナが勝ち誇ったように返す。
悠然とした口ぶりには、少なくない挑発が含まれていた。
「――口を慎め、卑しき淫魔が。我の逆鱗に触れおったな。その自慢の美貌を二度と見れぬものにしてやろう」
グロムが激昂する。
本来の調子に戻り、殺気を隠さなくなった。
「かかってきなさいよ。特別に相手をしてあげる」
対するルシアナもなぜか戦闘態勢だ。
異性を選ぶ基準に強さを置いているように、彼女は好戦的な面を持っている。
今まで延々と圧し掛かっていた抑圧という名の箍が外れ、その反動がやってきたのかもしれない。
「フハハハハハァッ! 貴様を我が魔術で塵としよう……!」
「やってみなさい! こてんぱんに倒してあげるからッ」
ついに二人は、魔術の撃ち合いを始めた。
余波で応接間が破壊されていく。
それを傍観する私は、出入り口の扉に手をかけた。
いちいち構っていられない。
この身体ですら疲れてしまいそうな状況だ。
契約を結んで仲間同士となったため、賢い二人なら本当に相手を殺すことはないはずである。
満足するまで放っておこう。
(……ルシアナの配下に、事の顛末を伝えに行くか)
後方で始まった戦闘をよそに、私は謁見の間を後にした。