第54話 賢者は各国の行方を思案する
聖女との死闘から二百日が経過した。
私は依然として魔王の座に就いている。
他国からの侵攻はなく、こちらから侵攻することもなかった。
大きな戦争が起きたという話も聞かない。
嵐の前の静けさに近いだろう。
ある意味、私の理想形とも言える状況であった。
それもおそらく一時的なものだろうが、ひとまずは平穏が生まれたことを喜びたい。
各国に放った密偵からは、定期的に情報が提供されていた。
どこの国も対魔王の計画を進行しているそうだ。
詳細は秘匿されて探れないことが多い。
そのため、情報もごく簡潔で表面的な内容ばかりであった。
これに関しては事情がある。
先代魔王が生きていた時期、四天王のルシアナが猛威を振るいすぎたのが原因だ。
彼女が水面下で展開させた諜報活動は、当時の国々に大きな混乱をもたらした。
その時の被害を教訓に、現代では情報管理が徹底されている。
各国は何重もの策を講じることで、外部に内情を漏洩しないようにしているのだ。
ルシアナが愛用した手口のいくつかは、専用の文書で周知されているほどだという。
それでもある程度の情報が入ってくるのは、ルシアナを始めとする密偵部隊の手腕が大きい。
おかげで各国の大まかな立ち回りを把握することができる。
情報が無ければ、こうして落ち着く暇もないだろう。
ちなみに彼らには身の安全を優先するように厳命してあった。
確かに情報は大切だ。
しかし、欲張って命を落とすようなことがあってはならない。
密偵達が死なないことが何よりも優先されるだろう。
時間をかけて着実に情報を提供してくれればそれでいい。
対魔王の計画以外でも、各国はそれぞれ動きを始めていた。
まずは帝国だ。
全領土の二割を魔王軍に奪われて帝都が壊滅したが、現在では順調に復興を進めている。
魔王軍の侵攻を受けなかった領土の貴族が尽力し、傾いた帝国を持ち直そうとしているそうだ。
複数の国と内密に同盟を結んでいるという情報も入っていた。
以前までの力までとは言わないまでも、しっかりと復活の兆しを見せている。
元より帝国は、資源と人材に恵まれた強国だ。
予想通り、そのまま衰退して滅びるようなことはなかったようだ。
いずれ魔王軍への反撃も仕掛けてくるかもしれない。
二度と逆らうなとは釘を刺したが、別に報復を企む分には何ら問題なかった。
他国と連携してくれるのなら尚良い。
現在の皇帝は、先代の親族にあたる男らしい。
主戦派ではないそうで、今は国の基盤固めに注力しているようだった。
その調子で良き国を築き上げてくれることを願うばかりである。
次に聖杖国だが、こちらは帝国ほど深刻な状況ではなかった。
そもそも魔王軍が領土に侵攻したわけでもないため、単純な被害は軽微なもので収まっている。
この国もそれなりの戦力を保有しており、まだまだ余力を残していた。
聖女戦の損失が原因で破綻するようなことはない。
ただ、別の側面では少々厄介な事態に陥っていた。
聖女を始めとする数万の軍隊を失ったことで、絶対的だった権威に陰りが差したのである。
国民の一部は不信感を抱き、国内の治安が全体的に低下しているそうだ。
信仰と誇りを以て成り立つ聖杖国にとって、これは相当な痛手と言えよう。
この事態を打破するためか、聖杖国は定期的に対魔王の計画進捗を発表していた。
神聖魔術の体系化や、新たな聖女の誕生を大々的に宣伝している。
大半がただの噂や嘘の情報であるのだが、聖杖国はやけに熱心に発表を繰り返していた。
おそらく他国への牽制を兼ねているのだろう。
虚栄もここまで来ると感心してしまう。
そんな強気な態度を取る一方、聖杖軍が実際に侵攻してくる気配はない。
万単位の兵を失い、世界の後押しを受けた聖女も死んだのだ。
まだ控えの戦力はあるだろうが、気軽に派遣できるはずもない。
またもや敗北すれば、聖杖軍の面子は丸潰れである。
国の上層部にとっては何が何でも避けたい展開だろう。
だから動きそのものは慎重になっている。
聖杖軍の実情はともかく、魔王軍への攻撃だけに専念しているのは良い傾向だ。
当分は見栄を張るだけで大したことはしないものと思われる。
引き続き監視する方針でいいだろう。
確かなことは、聖杖国が魔王討伐を諦めていないという点である。
いずれ彼らは反撃に打って出る。
その時はさらなる力を以て侵攻してくるはずだ。
注意はしておけなければならない。
現状、聖杖国を滅ぼすつもりはなかった。
その理念はどうあれ、私の理想に近い動きを取っているからだ。
他国と協力してくれれば言うこともないが、今のところは望めそうにない。
聖杖軍の上層部は自尊心が強い。
他国を見下している節があった。
自国以外と手を取り合うことに抵抗を抱いている。
こればかりは短期的に解決できる部分でもない。
聖杖軍の領土に侵攻して極限まで追い詰めればその限りでもないだろうが、そこまでして得られるものは少ない。
魔王らしくはあるものの、私は本当に世界を滅ぼしたいわけではなかった。
破壊の結果、人類の団結を促すだけである。
もたらす被害の程度はよく考えねばならない。
(深い絶望、か)
聖女マキアから指摘されたことを思い出す。
私は、人間に少なからず憎しみを覚えている。
これは紛れもない事実であった。
だからと言って、私情に流されるようなことがあってはならない。
もし復讐だけを考えた場合、私は速やかに世界を滅ぼすだろう。
その時は、きっと誰にも止めることができない。
本当の意味で魔王になってしまう。
自らの心を支配するのだ。
志した道を外れないように意識をする。
私はあの人の理想を引き継いだ。
それを忘れてはならない。
「魔王様、少しよろしいでしょうか」
己の在り方について考えていると、グロムから声をかけられた。
彼はそばで書類整理を行っている。
問題でもあったのだろうか。
「何だ」
「本日、研究所の視察予定が入っております。そろそろお時間ですが、どうしますかな」
私はグロムに言われて思い出す。
帝都で見た魔術工房をきっかけに、王都の一角にも同様の研究施設を建設したのだ。
兵器開発や各種魔道具の製造と発案を担っており、魔王領の発展と戦力強化が目的である。
その研究所の視察が今日だった。
当初は色々と意見や方針を与えたものの、最近はあまり関わっていなかった。
人事や建設を始めとする諸々は全て配下に一任している。
大きな問題は起こっていないと聞いていたが、どのような形になっているのか。
魔王という立場を抜きにしても、純粋に興味があった。
私は立ち上がり、グロムも付いてくるように促す。
「行くぞ」
「はっ! かしこまりました!」
グロムは書類を置くと、凄まじい速さで私の背後に控えた。
よほど嬉しいのか、片目の炎が勢いを増している。
かなり多忙のはずだが、グロムは常に元気だった。
アンデッドのために疲労しないからだろう。
働くのが好きらしく、典型的な仕事人間である。
たまに城下街の食堂で手料理を振る舞っていると聞いたことがあった。
恐ろしい風貌とは裏腹に、配下からは慕われているそうだ。
私よりよほど支持を受けているのではないだろうか。
(……何か策を考えなくてはいけないな)
魔王は恐怖と滅びの象徴である。
ただ、配下からも一様にそのように見られるのは如何なものかと思ってしまう。
良き王とまではいかないものの、せめて人格的に信頼されるようになりたい。
この辺りのことに関して、私はとことん疎い。
他の幹部達から意見を仰ぎたかった。
次の定例会議でそれとなく訊いてもいいかもしれない。
小さな悩みを抱えつつ、私はグロムと共に部屋を後にした。




