第53話 賢者は罪を抱えて魔王を担う
「いやはや、危うく死んでしまうところでしたな! 目の前に冥府の門を幻視しましたぞ。魔王様のご助力がなければ、そのまま息を吹き返すことはなかったでしょう」
謁見の間にグロムの称賛の声が響き渡る。
息を吹き返す、という表現には些か引っかかりを覚えるも、私はそれを指摘したりはしない。
彼が満足しているのならそれで良かった。
グロムは二日前からこの調子だ。
瀕死状態より回復してからは、ことあるごとに此度の私の活躍を吟遊詩人のように語る。
その口ぶりが非常に大袈裟で、まるで別人の英雄譚としか思えなかった。
いずれ落ち着くだろうと放置しているのだが、むしろ悪化している気がする。
私のそばに不在の際は、王都各地で私と聖女マキアの戦いを語っているらしい。
ところが、グロムは最初の段階で王都へ転送したので、戦いの様子は見ていないはずだった。
幹部には簡潔な報告を行ったものの、第三者に語り聞かせるほど詳しい内容は伝えていない。
どうやら大部分をグロム自身の妄想で補完しているようだった。
あまりにも虚構が過ぎれば注意するつもりが、なぜか事実と符合する箇所が多かった。
そのせいで否定もできず、現在は黙認状態を維持している。
まあ、何らかの実害があるわけでもない。
強いて言うならば、私が少し恥ずかしいだけだ。
これで配下達の娯楽になるのなら安いものだろう。
加えて彼らに安心感を与える効果も期待できる。
聖女に打ち勝つ魔王など、士気の底上げには最適だと思われる。
(このような悩みも、グロムが消滅しなかったからこそ抱けるものだ)
助けることができて本当に良かった。
少しでも事情が違えば、この場に彼はいなかったかもしれない。
グロムの過剰な賛辞をよそに、私は彼の健在を喜ぶ。
聖杖軍との戦いから早五日。
魔王軍の受けた損害はそれなりのものだった。
実質的に初の敗戦である。
私が戦いを引き継いだものの、魔王軍は聖女を前に撤退を余儀なくされた。
アンデッドだけでなく、魔物やエルフの配下にも死者が出た。
葬儀は既に執り行われた。
親しき者の死を悼む者や次なる戦いへの覚悟を決める者、後方支援から前線での戦いを希望する者等、それぞれに心境の変化があったようだ。
無論、私も例外ではない。
私が判断を誤ったことで多大なる被害が出てしまった。
もっと早く異変に気付いていれば、死なずに済んだ者もいただろう。
今後は連絡系統の強化を図るつもりだ。
どのような状況でもすぐに察知できるようにして、魔王軍の損耗を極力減らせるようにする。
起きてしまったことは変えようがない。
反省点を洗い出して、次回以降に活かすしかなかった。
ただ、現在の王都が悲しみに暮れているかと言えば、必ずしもそうではない。
誰もが前へ進もうとしていた。
ここで立ち止まっている場合ではないと分かっているのだ。
魔王軍は未来を見据えている。
そのことに私は安堵する。
「大将、入るぜ」
扉がノックされ、そこからヘンリーが現れた。
彼が聖杖軍との戦いで負った傷は既に癒えている。
それどころか、敗北を悔しがるヘンリーは己を鍛え直していた。
「何かあったか」
「ちょいと見てほしいものがあるんだ。そら、入って来い」
ヘンリーは部屋の外に向かって手招きする。
それに従って入室するのは、朱の全身鎧を来たドルダであった。
「首ダ……儂ノ首、寄越セ……」
「ははは、首はちゃんとあるだろうが」
虚ろに呻くドルダの頭を、ヘンリーは軽く叩いた。
その弾みで首が外れて床を転がる。
苦笑するヘンリーはそれを拾い上げると、元の位置に置いて押し込んだ。
「接合が甘かったな。やっぱり鍛冶師に頼むかね」
「ヘンリー……これは、どういうことだ」
私は玉座で頭を抱えそうになる。
仄かに頭痛を覚える。
対するヘンリーは、いつも通りの調子で応じた。
「ああ、ご存知ドルダだよ」
「そこを訊いているのではない。ドルダの頭部についてだ」
私は指を差す。
ドルダの首は、人間のそれではなかった。
灰色の毛並みをした老狼となっている。
その瞳は蒼く光っていた。
ドルダの首となると、共通してその色合いを帯びるらしい。
ヘンリーは老狼の頭に手を置く。
「これかい? あまりにも首が欲しい欲しいと騒ぐもんでね。剥製の首を用意してやったのさ」
「自作したのか?」
剥製の製作には、時間がかかるはずだ。
ドルダが魔王軍に加入してから拵えるのは難しい。
そう思った私が尋ねると、ヘンリーは首を横に振った。
「いや、貴族の屋敷から拝借してきた。他にも何種類か見つかったから、気分で付け替えができる。なあ、嬉しいだろう?」
「コレ、ハ……儂ノ首、デハナイ……」
「ほら、ちゃんと喜んでいる」
ヘンリーは得意そうに笑う。
喜ぶどころか不服そうなのだが、あえて気付かないふりをしているのか。
ただ、ドルダが暴れ出すような気配はなかった。
大人しくヘンリーのそばに立っている。
そういえば、宴会でも彼と肩を組んでいた。
なんだかんだで懐いているのかもしれない。
それから軽い世間話を挟み、ヘンリーはドルダを連れて謁見の間を退室した。
ドルダの新しい首を披露するのが目的だったそうだ。
二人を見送ったところで、グロムは咳払いをする。
「彼奴等は、その……大丈夫なのですかな?」
「実害が無ければそれでいい。放っておけ」
「しょ、承知しました」
別に悪事を働いているわけでもない。
好きにさせておくのが一番だろう。
それこそ、配下の首を刈るような凶行さえ起こさなければ構わない。
「魔王サマ、お客様よー」
能天気な声と共に、今度はルシアナがやってきた。
彼女に同行するのは、エルフの族長ローガンだ。
ローガンは玉座のそばまで寄ってくる。
「久方ぶりだな。調子はどうだ。聖女を倒したと聞いたが」
「私は平気だ。お前はどうなんだ」
「問題ない。不便のない生活を送らせてもらっている。これもお前のおかげだ。感謝している」
ローガンがおもむろに頭を下げた。
私はすぐに手で制する。
「頭を上げてくれ。礼を言われる立場でもない」
「なるほど。では床に伏せた方がよかったか? 隷属する者として相応しい態度だろう」
ローガンが片膝を床につく。
その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
それなりの付き合いがなければ分からないほどの変化だが、だからこそ私には分かる。
私は彼に確認をする。
「……今のは、冗談か?」
「当然だ」
ローガンは立ち上がりながら答える。
冗談を言うような性格ではなかったはずなので驚いた。
そもそも彼の場合、冗談か否かの判断が付け難い。
今の言葉も、ローガンなら本気で言いかねないからだ。
「え……今、何て言ったの……?」
「二度も言わせるでない。今宵、魔王様は我と食事をする約束をしたと言っておるのだ! 貴様が出る幕など無いわっ!」
ルシアナとグロムが言い争いをしている。
会話内容に反して緊迫感のある雰囲気だった。
なぜか動揺するルシアナは、悔しそうに反論を試みる。
「で、でも、魔王サマは優しいから、アタシを優先してくれるかも――」
「馬鹿め、順番という言葉を知らぬのか! 先んじて約束した者が優先されるに決まっておろう。サキュバスよ、貴様は我に敗北したのだァッ!」
「いやあああああああああっ!」
勝ち誇ったグロムの宣告に、ルシアナは絶叫して崩れ落ちる。
一体何をやっているのか。
私にはよく分からない。
ちなみに食事の約束というのは、不死者の味覚に関する検証のことである。
私やグロムは基本的に飲食が不可能だ。
味も感じられない。
そのため、なんとか味を感じられるようになるのが目的だった。
今のところは辛い食べ物が有力だ。
辛みは味覚というより、痛覚を刺激するためである。
今夜、それを試すためにグロムを呼び出した。
彼はそれを拡大解釈してルシアナに自慢しているらしい。
「相変わらず、お前の部下は騒々しいな。元気で何よりだが」
「……すまない」
呆れた様子のローガンに謝る。
改めて指摘されると、恥ずかしく思ってしまう部分があった。
ただ、こんな二人だが仲は決して悪くない。
聖杖軍と戦った際、ルシアナは転送されてきた迎撃軍の治療を担当した。
もちろんその中にはグロムも含まれていた。
彼女は献身的に働き、崩れゆく彼らの命を掬い上げたのだ。
結果、その時点で生きていた者は、誰一人として死ななかった。
ひとえに彼女のおかげと言えよう。
「とりあえず、お前の元気な姿が見れて良かった。また何かあれば言ってくれ。惜しみなく協力する」
「助かる。頼りにしている」
ローガンは私の肩を軽く叩くと、そのまま退室していった。
この後、王都での用事を消化するのだろう。
族長という立場上、彼は多忙である。
魔王軍に関わったことで、それはより顕著になっていた。
今回も僅かな時間を利用して、私への挨拶だけに立ち寄ったのだろう。
聖杖軍との交戦を聞いて、気にかけてくれたのかもしれない。
一見すると無愛想だが、胸中では友のことを考えている男だ。
私はその優しさに重ねて感謝する。
「じゃあアタシも魔王サマとお食事の約束しちゃうからっ! 明日は朝から夜まで独り占めよ!」
「なぬっ!? 連続は反則だぞ! せめて我と交互にするのだッ」
ルシアナとグロムは、まだ口論を繰り広げている。
このまま白熱する予感がした。
私が仲裁に入れば止まるのだろうが、なんとなく億劫なのでやめておく。
(喧嘩できる状況というのも幸運なものだ)
勇者を殺した私は、帝国を滅ぼして聖女を死に至らせた。
聖杖国とは引き続き交戦することになるだろう。
聖女を失って面子を潰された国は、きっと報復を考えている。
この血で血を洗う戦争がいつ終わるのか、私には見当が付かない。
膠着状態に持ち込めるのは、まだ遠い先のことだろう。
今しばらくは、各国との殺し合いが繰り返されるに違いない。
人間同士の争いを減らして平和を実現したい。
そう考えながら殺戮を展開する私は、少なからず矛盾を孕んでいる。
しかし、それも受け入れて進んでいくつもりだ。
私という悪は世界に君臨し続ける。
たとえ人類にそれを拒まれようとも、あらゆる抵抗を押し退けてみせよう。
それが私に許された贖罪であり、最も罪深い使命である。




