第52話 賢者は聖女に打ち明ける
私は寸前で剣を止める。
マキアの言葉に、看過できない部分があったからだ。
殺気を抑え、無言で彼女を見下ろす。
荒い息のマキアは、辛うじて笑みを見せた。
「聞こえなかった? あんたが人間嫌いで、殺しを楽しんでるって言ったのよ」
「私は、別に人間を嫌ってはいないし、憎んでもいない。必要な行為として殺しているだけだ」
「じゃあどうしてこんな風にあたしを痛め付けるの? 一息に殺さず、苦しむのを見て楽しむためじゃないの?」
マキアが立ち上がる。
純白だった外套が血塗れだった。
指を落とした手は後ろに回されて見えない。
何らかの衝動に駆られたかのように、マキアは私への追及を続行する。
「兵士達だってそうよ。あんたは魔術で彼らを追い詰めていた。わざわざ馬鹿げた大きさの結界で閉じ込めて、炎で炙った挙句に焼き殺したわ」
「……それは、効率と安全を求めた結果だ。残虐性を高めるほど士気を落とせる。個人で戦う上での最適解だった」
私は静かに反論する。
あの局面は、消耗を気にするところではなかった。
迅速かつ的確に兵士を削るのが重要だった。
街中に逃げ込まれると厄介なため、あのような戦法を使うしかなかった。
「……っ」
その時、マキアが少しふらついた。
出血による不調だろう。
彼女は唇を噛むと、鋭い視線を私に向ける。
「効率と安全、ね。それならどうして剣を持ってあたしの前にいるの? あんたなら遠くから魔術で殺せるでしょ? 独りになって魔力も無いあたしを、わざわざ剣で殺す意味がない。そんなに苦痛を与えたかった?」
「…………」
「言い訳できないんだ。図星なんでしょう?」
調子付いたマキアは、これ見よがしに嘲笑した。
目の前で剣が掲げられているというのに、彼女は恐怖を見せない。
「そもそもさ、あんたはなんで魔王なんかやってるの? やっぱり人殺しが好きだから?」
「世界平和のためだ。私が君臨することで、相対的に人間同士の争いを阻止できる」
「つまり抑止力ってこと? へぇ、知らなかった。魔王がそんなことを考えているなんて……本当、馬鹿みたいな言い逃れだわ!」
途中まで頷いていたマキアが突如として叫ぶ。
彼女はあろうことか、無事な片手で私の胸を突き飛ばした。
「そんなことできるわけがないっ! あんたはただ理由を付けて人間を殺したいだけなのよ。悪党を演じているだけ、って思い込んでるのよね。とんだ卑怯者よ!」
マキアは凄まじい剣幕で畳みかけてくる。
そこにあるのは怒りだ。
激怒する彼女は、感情のままに言葉をぶつけてきた。
「…………」
私は何も言い返さない。
彼女の主張を否定する言葉を持たなかった。
剣を下ろし、その主張に耳を傾ける。
「あんたさ、過去に人間を恨むようなことがあったわよね。あたしには分かるの。幼い頃から人間の汚い所ばかりを見てきたから。人間に深い絶望を抱いているはずよ」
「深い絶望……」
私はその言葉を反芻する。
脳裏を駆け巡るのは無数の記憶。
胸と片目が疼き、微かな痛みを訴える。
「魔王……あんたがやりたいのは、抑止力になることなんかじゃない。人間への復讐よ。世界平和という建前を掲げて暴力を振るっているだけ。最低最悪の行為だわ。心当たりはあるんでしょ? あんた自身、本当は分かっている。そこから目を逸らしているだけなんじゃない?」
「何が、言いたい」
私が尋ねると、マキアは急に怒気を収めた。
そして、突き飛ばした私の胸にそっと片手を当てる。
「あたしが復讐を手伝ってあげる。あんたは確かに最低だけど、同情の余地があるもの。人間を憎むだけの過去があったのだと思う。可哀想に、よほど残酷な目に遭ったのね」
マキアは優しげな眼差しで微笑む。
先ほどまでの苛烈な罵倒が嘘のように温かなものであった。
「なぜこのような真似をする」
「戦争に負けたあたしは国には帰れない。精鋭の軍を潰した責任で始末されてしまうわ。それなら、あんたに手を貸す方が利口でしょ?」
胸に当てられた手が動き、今度は私の頬に添えられた。
彼女の目は潤み、顔は仄かに紅潮している。
背伸びをして囁きかけながら、マキアはゆっくりと顔を近付けてくる。
「あたしだけが、あんたのことを理解してあげられる。あたしだけが癒してあげられる。何だってするわ。だから――」
「願い下げだ」
私はマキアの言葉を遮り、形見の剣を突き出した。
切っ先が彼女の胴体を破る。
感覚からして背中まで貫いただろう。
そのまま剣を持ち上げた。
宙に浮いたマキアは吐血する。
それが容赦なく私に降りかかってきた。
立ち昇る白煙。
聖女の血が身を焼いていく。
マキアが何かを取り落とした。
それは聖属性の短剣だった。
柄には紐が結ばれている。
「ふむ」
私は指の無いマキアの片手を一瞥する。
手首には、解けかかった紐と装飾品が着けられていた。
短剣に結ばれた紐と同種のものである。
マキアは、隠した片手に短剣を忍ばせていたのだ。
紐と装飾品で強引に固定していたのだろう。
指が無い状態でも刺突が放てるように細工していたのだと思う。
至近距離から無理やり押し込めば、勢いが無くとも不死者には致命傷を与えられる。
勝ち目のないマキアが狙うとすれば、それしかない。
「辛辣な非難で私を動揺させて、直後に甘い言葉で懐柔と油断を誘う。この状況下で咄嗟に考えたものだ」
私はマキアに告げる。
彼女が立ち上がった段階で、短剣を隠し持っていたのは知っていた。
私の気を逸らすために、マキアは一連の糾弾を行っていたのだ。
もちろん全てが演技ではないだろうが、だからこそ真に迫るものがあった。
マキアは自らの感情をも利用して、私の殺害を目論んだのである。
(最後の最後まで勝利を諦めず、逆転の一手を掴み取ろうとするその精神。マキアは紛れもなく英雄だろう)
非凡な才能を持たない彼女が、世界の意思に選ばれた理由が分かった気がした。
きっとこの精神力を買われたに違いない。
圧倒的な力の差を実感しながらも尚、勝利に向けて動ける者は稀だ。
確かにマキアは未熟な上に慢心や傲慢が目立つ。
しかし、その根源には英雄に足る在り方を抱いていた。
「あ、ははっ……やっぱり、届か……なかった……」
マキアは力無く笑う。
目の光が消えかかっている。
胴体を剣が貫いているのだ。
間違いなく致命傷だろう。
さすがの彼女も敗北と死を確信したのか、手足を垂らして抵抗しない。
「……ねぇ。教えて、よ」
「何をだ」
「あたしが、さっき言って、た話……人間のこと、どう思ってんの……?」
マキアからの問いかけに私は黙り込む。
じっくりと思考を巡らせて考えた。
ここで誤魔化してはいけない気がしたのだ。
長い沈黙の末、私は聖女に打ち明ける。
「――深層心理では、憎んでいるのだろう。恨みが無いはずがない。私は……私達は、それだけの仕打ちを受けた」
もはや否定できない。
私は心の奥底にある淀みを認識した。
無意識のうちに触れてこなかった感情だった。
おそらく私は、人間に対する絶望も抱いている。
絶望したからこそ、人間が変わらないと悟ったからこそ、魔王になったのだろう。
そして世界を掻き回す道を選んだ。
所詮、私も人間だ。
醜い不死者の姿に変貌したところで、本質はドワイト・ハーヴェルトだった頃と同じである。
どれだけ取り繕っても、心が消え去るわけではない。
私情を捨て去って世界平和に取り組むのは不可能だったということだ。
「だが、世界平和という目的は本心だ。復讐心を満たすための建前ではない。私はこの残酷な世界を変えたいと考えている」
目的を為すためならば、薄汚い私情をも糧にする。
それで世界平和が近付くのなら大歓迎だ。
綺麗事を言える立場ではない。
私は悪徳の果てに平和を築かなくてはならなかった。
「これが最善策ではないことは知っている。しかし、必ずやり遂げる。犠牲者の命を背負って私は進んでいるのだから」
「開き直り、ね……反吐が、出そう」
マキアは血を流しながら苦笑する。
胴体から流れる鮮血が、剣を伝って私の手元を濡らしていた。
その勢いも衰え始めている。
もう流れ出るだけの血が残っていないのだ。
マキアの目付きが曖昧なものとなりつつあった。
既に私のことが見えているか怪しい。
私は彼女に改めて宣告する。
「聖女マキア・リン・ミーディトルティア。私はお前を肯定しよう。だが、勝ったのは私だ。後悔しながら眠れ」
「ここ、は……優しい言葉、をかけるもの、じゃない? 薄情、ね……」
マキアは私を咎めるように言う。
彼女は呆れたように笑っていた。
「すまない。気の利いた言葉が思い付かなかった」
「……そう。いい、わ……別に」
途切れ途切れに呟いて、マキアは目を閉じる。
ほどなくして力を抜いて俯いた。
それきり動かなくなる。
夜明けの都市に残された私は、聖女の遺体を地面に下ろした。
乾いた風が都市を吹き抜ける。
フードを脱いで、朝を迎えようとする街並みを望む。
死に満ちた都市は、皮肉なまでに静かだった。




