第48話 賢者は形見の剣を手に歩む
「いきなり消えたから、逃げたかと思ったわ。そこまでの臆病者じゃないみたいだけど。どうせ仲間を逃がしたんでしょ?」
私の姿を認めたマキアは、腰に手を当ててため息を吐く。
遠目にもこちらを見下しているのがよく分かった。
どこまでも私を侮辱したいらしい。
私が配下を逃がしたことについては、あまり興味がない様子だ。
彼女の中では魔王討伐が最優先なのだろう。
他は後回しでもいいと考えている。
「…………」
私は無言で形見の剣を構える。
マキアとはまだそれなりの距離があった。
弓が当たるかどうかといった程度だ。
もっとも、私にとって距離は関係ない。
やり方次第でどうとでもなることだった。
「へぇ、無視するのね。アンデッドの癖に生意気じゃん」
マキアが殺気を放つ。
苛立った口調から察するに、かなり気が短いようだ。
彼女は杖を傾けて私へと向ける。
神聖魔術の予備動作だ。
決して油断できない。
「時代遅れの魔王には死んでもらうわ。あんたが築き上げたものは、あたしが壊して奪ってあげるから。覚悟してね?」
「お前達が私を阻むというのなら、容赦はしない」
私は声を荒らげずに宣告する。
それは聖杖軍全体へと向けた言葉であった。
彼女達の暴挙を見逃すわけにはいかない。
このままだと、聖杖軍は魔王領内で虐殺を展開するだろう。
多大な犠牲が生じてしまう。
私は世界の敵となる道を選んだ。
戦いの中で自軍に損害が出ることも覚悟している。
しかし、無力な民が意味もなく殺されていくのは看過できない。
服従を示した以上、彼らを守護するのが魔王の務めだ。
聖杖軍はここで壊滅させる。
「ハッ、無様に死になさい」
鼻を鳴らしたマキアが杖を掲げた。
彼女の魔力が高まり、空中に光の鎖が大量に出現する。
その数は数百にも上るだろう。
私は一連の術式や魔力の動きを注視する。
そのおおよその仕組みを理解した。
「――なるほど」
直後、光の鎖が射出された。
軌道上の建造物を粉砕しながら、怒涛の勢いで迫ってくる。
私は近くの建物へと疾走した。
その際、隠密系統の魔術を合わせて行使し、魔力や瘴気による感知を無効化する。
扉を破りながら室内へ飛び込む。
室内には複数の死体が放置されていた。
家主だろうか。
これも聖杖軍が手にかけたのだろう。
死体を観察していると、轟音と共に壁が爆発した。
光の鎖が室内へ雪崩れ込んでくる。
(大した威力だ。命中すれば、簡単に削り飛ばされそうだ)
私は形見の剣で打ち払いながら移動する。
そのまま隣接する別の建物へ移った。
すると後続の鎖は、軌道を曲げて襲いかかってくる。
(相手を自動で追尾するのか)
建物内で死角になっているため、マキアからは私の位置が分からないはずだ。
隠密魔術によって感知もできない。
それなのに光の鎖は正確に私を攻撃してくる。
すなわち対象を追尾する術なのだろう。
非常に高性能な魔術だ。
通常の攻撃魔術は、目視で狙いを付けるものである。
追尾式も存在するが、その場合は対象に何らかの印が必要だった。
この光の鎖は、それを介さずに私を狙っている。
神聖魔術と呼ばれるだけあって、並の魔術とは性質が違うらしい。
(とりあえず、立ち止まらない方がいいな)
私は跳躍して別の建物の二階へ移動した。
迫る鎖を破壊しつつ、さらに別の建物へ跳び移る。
転移魔術を使わないのは、魔力消耗を気にしてのことだ。
この空間はアンデッドの身には厳しい。
常に消耗を強いられる。
身体保護にも魔力を割いている状態だった。
通常時ならこれでも余裕があるはずなのだが、やはりこの都市内にいる影響で本調子とはいかない。
著しい弱体化を強いられている。
死者の谷との繋がりも一時的に断たれているようだった。
(何かの冗談かと思うほど、私に不利な状況だな)
ここまで綺麗に条件が揃っていると怒りも感じない。
如何に世界に嫌われているかを自覚する。
聖女マキアは、まさしく今代の魔王を滅ぼすために生まれた存在であった。
だからと言って、諦めることはない。
この運命を覆すのが私の役目だ。
マキアに倒された時点で、世界はまた元通りになる。
次なる魔王が誕生するその時まで、人間同士の不毛な争いが始まるのだ。
何より、私がもたらした甚大な被害が無駄になる。
悪に徹して非道な殺戮を繰り返してきた意義が失われる。
それだけは必ず阻止しなければならない。
幾多もの光の鎖を凌ぎながら、私は次の建物へと跳ぶ。
壁の一部を剣で切断し、そのまま転がるように室内へ侵入した。
室内には、聖杖軍の兵士がいた。
数は四人で、彼らは脚を組んで床に座り込んでいる。
集中すると共に、術を行使しているのだ。
「な……ッ!?」
「う、わっ?」
私の侵入に気付くと、兵士達は慌てふためく。
彼らはすぐに杖を手に取ろうとした。
その前に私は形見の剣を一閃させる。
四人の兵士の首が滑り落ち、血飛沫が室内を染め上げた。
私の身にも降りかかってくる。
首を失った兵士達は、同時に崩れ落ちた。
痛みを感じる暇もなかっただろう。
せめてもの情けである。
この兵士達はアンデッド化させない。
今の都市内は聖気に満ちている。
配下を増やしたところで盾にもならず、無為に消耗するだけだ。
私は刃に付着した鮮血を振り払い、周囲の状況に意識を傾ける。
不気味なほどの静寂に包まれていた。
(鎖が来ない。射程外に逃れたか)
もしくは無闇に使っても迎撃されるだけだと察したのか。
どちらにしても、こうして手を止められるのでありがたい。
あれだけの密度の鎖を常に破壊し続けるのは神経を使うのだ。
屈んだ私は、目の前に倒れる兵士達に触れる。
その身体には魔術的な刻印が施されていた。
四人とも同じものが刻まれている。
「……やはりそうか」
一連の出来事を以て、私はマキアの力の仕組みを把握した。
まず彼女の神聖魔術は本物だ。
あの効力自体は、聖女として得た代物である。
何の偽りもない純然たる力だろう。
ただし、魔力については別であった。
マキアは都市内にいる聖杖軍の兵士から魔力を徴収している。
集めた魔力で光の鎖を放っているのだ。
あれだけの術を個人で連発するのは困難極まりない。
よほど恵まれた体質か、何らかの供給源がなければ不可能だろう。
マキアの場合、それが聖杖軍そのものだったらしい。
数を揃えることで、魔力消費の問題を解決している。
(だとすれば、対策は容易だ)
彼女の力を削ぐには、まず兵士の数を減らすのが先決となる。
いつものように大規模魔術で直接的に攻撃する手もあるが、あれは防がれた場合に後がなくなる。
現状、私は様々な面で不利を強いられていた。
自らの能力を過信して安易な手を打つのは不味い。
万全を期して、確実な手段で追い詰めなければ。
「……地道だが凄惨な方法だな」
死体の散乱する部屋で私は自嘲する。
魔王になってからこれだけ泥臭く、残酷な戦い方は初めてだった。
これこそ、私の求める悪だったのかもしれない。
(とにかくやるしかない)
マキアとの戦いに備えて、魔力消費は抑える。
攻撃系統の魔術は使わずに、身体保護と強化、隠密、感知に限定する。
向こうからもそれなりの抵抗が予想されるものの、それらは捻じ伏せればいい。
私にはあの人の剣技があるのだ。
敵う者など誰一人として存在しない。
――聖女率いる幾万の兵士を斬り殺すため、私は静かに歩き出した。




