第47話 賢者は聖女の力を知る
「あんた誰? この街は結界で封鎖してるはずなんだけど、どうやって侵入したの」
少女が怪訝そうに言う。
こちらへの明確な侮蔑が感じられる口調であった。
他の聖杖国の者達は、いつでも魔術が放てるように警戒をしている。
「…………」
私は密かに感知魔術を行使して街全体の状況を探る。
その一方で、時間稼ぎとして会話に応じることにした。
「……お前こそ何者だ」
「あたし? あたしはマキア・リン・ミーディトルティア。聖女、と言えば伝わるかしら。あんたみたいな薄汚いアンデッドをぶっ殺すのが仕事よ」
聖女マキアは、自信に満ちた口調で述べる。
彼女の言葉は事実だろう。
華奢な体躯から溢れる聖気は、尋常でない濃度を誇る。
その輝きを直視しているだけで不快感を覚え、仮に目があれば焼かれていたかもしれない。
マキアに近付くだけで、グールやスケルトンは問答無用で浄化されるだろう。
この都市一帯に展開された浄化の力は、どうやら彼女が原因らしい。
大規模な儀式魔術どころか、聖魔術ですらない。
気楽そうな佇まいを見るに、マキアは自然とあれだけの聖気を発しているのだ。
魔力的な消耗もない様子である。
ただの人間ではない。
見たこともないほど強力な聖気を纏っている。
それこそ神話に出てくるような存在に近い。
(聖女マキア・リン・ミーディトルティア。その名は知っている)
この時代における聖杖国の象徴的な人物だ。
事前情報によれば政治的な傀儡で、実権はほとんど持たない。
聖魔術の使い手ではあるものの、その技量は人並みだったはずだった。
今のマキアには何らかの変容が生じている。
「あたしの質問にも答えてよ。あんたは誰?」
マキアからの問いかけで意識を戻す。
私は堂々と答える。
「私は魔王だ」
「えっ、それ本当? 何か思ってたより貧相ね。横で寝てるアンデッドの方がお似合いじゃない? すごい殺気を出して戦ってたわよ。おかげで配下には逃げられちゃった」
マキアは嘲るように語る。
こちらを挑発して冷静さを欠かせようとしているのか。
或いは単純に性格が悪いだけかもしれない。
何にしろ、彼女の言葉に反応するのは悪手だろう。
私はこの間に感知魔術の有効範囲を拡げる。
それによってヘンリーを始めとする迎撃軍を発見した。
彼らは都市内に潜伏している。
ここからは少し離れた地点だ。
数はかなり減っており、気配が妙に希薄だった。
同行するエルフ達が、隠密系統の魔術で居場所を誤魔化しているらしい。
聖杖国に見つからないためだろう。
現状においては良い判断だ。
「まあいいわ。とりあえず死んでくれる? あたし、そろそろ休憩したいの」
ため息を吐いたマキアが軽く手を振る。
すると、彼女の足下が発光し、そこから十数本の鎖が伸び上がってきた。
鎖は獣のように素早い挙動で蠢き、一直線に私を狙ってくる。
私はその場から動かず、迫る鎖を次々と断ち切っていった。
いくら速くともあの人の剣術が追いつけないほどではない。
瞬く間に全ての鎖を破壊する。
一連の光景を眺めていたマキアは呑気に拍手をした。
「すごーい。今の攻撃で無傷なんて、さすが魔王じゃん」
「聖女マキア。お前の力の根源は何だ」
「あ、神聖魔術のこと? 十日くらい前に、いきなり習得しちゃったのよね。おかげで地位も一気に格上げよ。きっかけなんて無かったから、信心深いあたしへの贈り物かもね」
マキアはあっさりと打ち明ける。
彼女は聖魔術ではなく、神聖魔術と呼称した。
確かに彼女の力は聖魔術と呼ぶには強力すぎる。
既存の術とは別枠で考えているようだ。
マキアの語った話を信じるならば、彼女は突然の覚醒を経て神聖魔術を手にした。
彼女自身、その原因が分からないといった様子だ。
何とも不自然な話である。
普通なら嘘の可能性を疑うだろう。
だが、それに似た現象を私は知っていた。
すなわち今代勇者だ。
青年は世界による後押しを受けて、突如として聖剣の力を習得した。
それまでただの兵士だった者が、単独でアンデッドの軍勢を屠るまでになったのだ。
何かの御伽噺かと思うような出来事である。
聖女マキアは世界の救世主として選ばれた。
不死の魔王を滅するために用意されたのだと考えると、不可解な点も辻褄が合う。
彼女が唐突に大きな力を得たのも、これだけ能力的な相性が悪いのも納得だ。
私を倒すための存在なのだから、向こうが有利に決まっている。
「とにかく、さっさと死んでよ。魔王殺しの聖女なんて、あたしの名前に箔が付くじゃない?」
「やれるものならやってみろ。私はお前達を殺す」
私は剣の切っ先をマキアに向ける。
マキアが鼻で笑い、彼女の足下が一斉に発光し始めた。
間もなく無数の鎖がせり出してくる。
「あーあ、この状況でそんなこと言っちゃうん、だっ」
マキアが両腕を振るう。
それに合わせて大量の鎖が射出された。
数え切れないほどの鎖が、まるで濁流のように押し寄せてくる。
(……聖女の殺害は二の次だ)
ここで戦うと、救える者も救えなくなってしまう。
私はグロムを縫い止める鎖の拘束を破壊し、彼を担いで転移した。
転移先は都市内の一角で、聖杖軍からは離れている場所だ。
周囲には死体が散乱していた。
非武装の人間だ。
都市に住んでいた者達だろう。
死体には槍や剣で殺傷された跡がある。
聖杖軍によるものに違いない。
私は憤りを感じるも、今はその時間すらも惜しかった。
「グロム、大丈夫か」
私は声をかけながらグロムの肩を叩く。
ひび割れた牛頭の骨は反応しない。
もう一度声をかけようとすると、片目に小さな炎が灯った。
そこから視線を感じる。
「ま、お、うさま……もうし、わけ……あり、ま、せぬ……」
状況を理解したグロムは、真っ先に謝罪の言葉を口にした。
弱り切っているというのに、彼は深く反省している。
私は首を横に振る。
「相手が悪かった。お前に非はない。私こそ、駆け付けるのが遅れてすまない」
もっと判断が早ければ、ここまで酷くはならなかったはずだった。
ひとえに私の責任だろう。
「あとは私が何とかする。回復に専念するんだ」
私はそれだけを告げてグロムを王都に転送する。
あとはルシアナに任せる。
グロムは瀕死だが、手遅れな段階ではない。
この浄化空間さえ抜け出せれば、徐々に回復を始めるだろう。
続けて私は迎撃軍のもとへ転移した。
建物が倒壊して瓦礫地帯となったそこで、廃材の隙間からヘンリーが現れる。
「やあ、大将……来てくれたのか」
ヘンリーは片脚を負傷しており、歩く際にも引きずっていた。
それ以外に目立つ怪我はない。
「動けるか」
「ったく、参ったぜ。部下を庇った際にやられちまった。俺も焼きが回ったもんだ」
ヘンリーは片脚を叩いて苦笑する。
少なくない自嘲が混ざっていた。
自分の行動に呆れているらしい。
しかしすぐに笑い終えたヘンリーは、真面目な表情になる。
彼は周囲の瓦礫地帯を指し示した。
感知魔術によると、多数の生きた反応が潜んでいる。
「アンデッドの配下はほぼ全滅したが、魔物とエルフはまだ残っている。付近に分散して隠れているが、大将なら分かるだろう? 負傷者も治療すれば間に合うはずだ」
「よくやった。お前は優れた指揮官だ」
「ははは、嬉しい評価だな。帰ったら一杯付き合ってくれよ」
ヘンリーは笑いながら手を上げる。
謎の仕草に首を傾げていると、真似をするように促された。
不思議に思いながら上げた手に、ヘンリーは自分の手を打ち合わせる。
私が骨なので良い音は鳴らなかった。
(何らかの合図だろうか?)
このような暗号を決めた憶えはない。
よく分からなかった。
「……まあ、いいぜ。大将らしいよ」
私の反応が薄かったせいか、ヘンリーは肩をすくめる。
残念ながら彼の期待に応えられなかったようだ。
申し訳なく思いつつも、私は迎撃軍をまとめて転送した。
彼らにも王都で治療に専念してもらう。
手を打ち合わせる動作については、帰還してからヘンリーに説明を乞うつもりだ。
(その前に、やるべきことを終わらせるか)
決心した私は転移魔術を使い、聖女マキアと聖杖軍のもとへ戻った。