第45話 賢者は新たな国と開戦する
「魔王様、ご報告があります」
謁見の間に現れたグロムが、深々と礼をしながら言う。
何やら緊張の面持ちをしている。
どうやら悪い報せのようだ。
私は玉座にて脚を組み直す。
「何だ」
「聖杖国から宣戦布告が為されました」
「そうか」
グロムの言葉に、私は事務的に相槌を打つ。
驚きは少なかった。
帝国との戦争を終結させてから三十日余り。
いずれ起き得ることだろうとは考えていたからである。
聖杖国とは、魔王領の東部に位置する国だ。
深い森と渓谷地帯を挟んだ先にある。
国名から分かる通り、聖魔術に精通しており、非常に信心深い国民性らしい。
彼らは不死者を過剰なまでに忌み嫌う。
聖なる力と対極にあるためだ。
英雄譚で不死者が打ち倒される場合、必ずと言っていいほど聖杖国の者が登場するほどであった。
実際、国内には優れた聖魔術の使い手が多いと聞く。
対アンデッドの分野に限った場合、聖杖国は他国の追随を許さない。
まさに不死者殺しの代名詞とも言える国だった。
そのような聖杖国が、魔王という存在を放っておくはずがない。
是が非でも滅ぼしたいと考えるはずだ。
いずれ動き出すとは思っていた。
では、なぜ今まで静観していたのかと言うと、おそらく聖杖国のこだわりが原因と思われる。
不死者への忌避感以上に、彼らは聖杖国の在り方を重視する。
すなわち誇りと自尊心、面子に類するものだ。
聖杖国はそういった部分を大切にしており、他国からどう見られるかを常に考えている。
気取った国だと揶揄されることも多かった記憶がある。
軽率に動くと、聖杖国の沽券に関わる。
だから彼らは侵攻の機会を窺っていたのだろう。
そして帝国が壊滅した今こそ、自分達が行動する時だと判断した。
宣戦布告も、他国に威光と正当性を知らしめるために違いない。
「大陸を闇で覆わんとする不死者の王を滅する、とのことです。まったく、腹立たしい声明ですな」
「表面上は事実だ。向こうは間違っていない」
「確かにそうでしょうが……」
グロムは不満げに唸る。
彼の立場からすれば、歓迎できないことなのだろう。
魔王である私の真の目的を知り、それに賛同するグロムにとって、聖杖国の言い分は不快に感じるのだ。
とは言え、これは悪くない流れだった。
聖杖国が宣戦布告したということは、魔王がそれだけの敵だと認識されたと捉えられる。
世界の敵になるべく動く私の目的と合致した展開であった。
「して、如何されましょう。帝国侵略と同様に、我と弓兵が向かいますかな」
「ふむ、そうだな……」
顎を撫でつつ思案していると、入口の扉が開いた。
入室したのはルシアナである。
彼女は書類を片手に話しかけてきた。
「問題発生よ。聖杖国の軍が、魔王領への侵攻を始めたみたい。密偵の子によると、結構な被害が出ているそうね」
「……ほう」
ルシアナによると、聖杖国の軍は既に南東から侵攻を開始したらしい。
魔王領を縦断し、人間を無差別に殺戮しているそうだ。
聖杖国は「魔王の手に堕ちた闇の民に救いを与える」という言い分を掲げているのだという。
横で話を聞いていたグロムは、苛立った様子でルシアナに尋ねる。
「サキュバス。その情報は本当なのだな?」
「もちろんよ。ここで嘘なんて言うと思うの?」
「密偵の話に誤りはないかと訊いているのだ」
グロムの指摘を受けたルシアナは前へ進み出る。
彼女は指先でグロムの胸を小突いた。
「そこは信用して。アタシがちゃんと教育してるんだから。ところで骨大臣はどうしてここにいるのよ」
「我は魔王様に聖杖国から宣戦布告されたことをお知らせにきたのだ」
「宣戦布告と同時に侵攻してきたってわけ? なるほどねぇ、さすが人間サマって感じ」
ルシアナはうんざりとした口調で皮肉る。
その顔には、人間に対する軽蔑がありありと浮かんでいた。
いつもは愉快そうな眼差しも、すっかり冷めきっている。
聖杖国は、私が思っていたよりも容赦がない。
どこまで侵攻するつもりか定かではないが、本気で魔王領を攻撃しているようだ。
しかも彼らの中では、服従した人間も粛清対象なのだろう。
「聖杖国の軍はどうするつもり? 襲われてるのは人間の街だし、一旦様子見でもしておく?」
「いや、迎撃する。魔王領で勝手な真似をされて、黙っているわけにもいくまい」
私は即答する。
放っておけば、さらなる被害が発生してしまう。
人間の街も、今や魔王領の一つだ。
服従した以上、私のものである。
それを勝手に脅かすのは許せない。
「出軍はいつ?」
「準備ができ次第だ。すぐに編成を進めてくれ」
私の指示を聞いたルシアナは、大袈裟に嘆息を洩らした。
口元には苦笑いを張り付けている。
「もう、魔王サマったら優しいのね。良い王様になれるんじゃない?」
「冗談はいい。早く行け。グロムもだ」
「はーい」
「かしこまりましたっ!」
私が促すと、二人は素直に退室した。
一人になった私は、玉座に背を預ける。
思考を巡るのは、やはり聖杖国に関することであった。
(私にとっては因縁の相手だな……)
十年前、あの人と私は聖杖国から度重なる妨害を受けた。
彼らは自国以外の者が魔王を討伐することを許せなかったのだ。
今回とは事情が異なるものの、やはり誇りや威厳を保つためであろう。
何度か命を落としかけるような場面もあった。
そういった卑劣な嫌がらせを繰り返す一方で、聖杖国からは有力な人間が輩出されなかった。
数少ない英雄が魔族との戦いで死んでいたためである。
当時の聖杖国には、魔王に対抗するほどの力は残されていなかった。
結局、数多の妨害工作を切り抜けた私達は、激闘の果てに魔王を討伐した。
それ以降、聖杖国からの接触は無くなり、間もなく私達は処刑された。
十年の時を超え、人間を捨てた身になっても、あの国に良い印象は持てない。
どこまでも傲慢な態度で、自国のことしか考えていないのだ。
ある意味、帝国の同類とも考えられるだろう。
方向性は違えど、協調性があるとは言い難い国である。
別に恨みを晴らしたいわけではないが、彼らには手痛い損害を受けてもらう。
此度も滅ぼしはしない。
下らないこだわりを排して、他国と手を結ぶように促すだけだ。
聖杖国の力は、これからの人類にとって有用である。
不死の魔王を相手にする上で、間違いなく希望となるだろう。
その在り方を利用させてもらわねば。
その後、ほどなくして聖杖国を迎撃するための軍が編成された。
聖魔術による浄化の影響を受けないヘンリーと、アンデッドを使役するためのグロムが将軍になり、私やルシアナ、ドルダは待機だ。
出撃する彼らには、魔物とアンデッドとエルフの混合軍を率いてもらう。
相手が聖魔術を使用するので、私からも強化魔術を付与した。
これでアンデッドの耐久性も向上し、大半の軍なら打ち倒せる戦力となった。
私は迎撃軍を聖杖国のいる地点に転送する。
戦闘が終了した際は、グロムから念話が飛んでくる手筈となっている。
今までの経験からすると、日暮れには片が付くだろう。
――こうして束の間の休息を経た魔王軍は、新たな国との戦いを始めるのであった。




