第40話 賢者は元海賊と対峙する
空中に立つ私は、ドルダを見下ろす。
場に沈殿する緊迫感。
僅かな動作にすら気を遣う。
相手はそれほどの人物だった。
"雷轟のドルダ"は、私が人間だった頃に活躍していた海賊である。
世界中の海を荒らし回った豪傑で、彼の所有する財宝だけで国を築けるとまで言われたほどだ。
先代魔王に従っていた魔族も、ドルダの支配する海域には近付かなかった。
それだけで彼の威光が如何なるものか分かる。
ドルダが勇者候補に挙がったというのは、彼が魔王討伐の任を断った出来事に由来する。
亡き王国とは別の国が、悪逆非道の海賊であった彼に依頼したのだ。
返ってきたのは、使者の生首だった。
口の中に金貨が詰められていたらしい。
ドルダなりの皮肉だろう。
総じて奔放かつ危険な性格だが、彼の支配する海域に近付かなければ被害は受けない。
そのため、各国はドルダの海賊団を黙認していた。
たまに殺害を試みて、返り討ちにされるのが恒例である。
ついに魔王が滅びるまで、ドルダは生粋の悪党として名を馳せていたのであった。
(そんな海賊が、まさか十年後の帝都にいるとは……)
さすがに予想外としか言いようがない。
彼にとって、帝国は縁も所縁もない場所のはずだった。
密偵からの情報では、確かに雷魔術を使う騎士が要注意人物として挙げられていた。
しかし、その素性までは知らなかった。
これも秘匿された情報だったのだろう。
なんとも奇妙な出会いである。
「魔王は卑劣な死霊術師と聞いていたが、どうやら間違いらしいのう。心滾る戦い方もできるではないか」
ドルダは心底から嬉しそうに言う。
魔王を前にしても、少しの恐怖も感じていない。
長年に渡って海の魔物を相手にしてきた彼にとって、リッチは取るに足らない存在なのだろう。
「心滾る、か。"雷轟"……お前ほどではない」
「ほほう、随分と久しい名ではないか。魔王に知られているとは光栄だ」
ドルダは意外そうに言う。
光栄というのは冗談に違いない。
彼の顔がそう語っている。
「お前は海賊だったはずだ。なぜ帝都にいる」
「はっはっは! 何年前の話をしているのだ! 愛船が沈没した時に海賊は引退した。今の儂は雇われの将軍よ」
大笑いするドルダは、胸に手を当てて言った。
まさか海賊をやめて、帝国の将軍になっていたとは驚きである。
「帝国に忠誠を誓っているのか?」
「まさか。儂はただ、飽くなき闘争を求めたまで。海でも陸でも変わらん。欲求を満たすために帝国が一番好都合だっただけだ」
これはドルダらしい答えだ。
彼ほど忠誠という言葉が似合わない男も珍しい。
雇われと述べたように、帝国に所属しているのは一時的なものだろう。
ドルダにとっては余暇のような気分かもしれない。
「さて、無駄話はこれくらいでいいだろう。儂は魔王の撃退を命じられていてな。お主を退治した後は、都市内の不死者共を片付けねばならん」
壊滅状態の街並みを一瞥したドルダは、息を吐きながら戦斧を構える。
鎮まっていた紫電が再び音を鳴らして迸った。
身体強化の魔術による相乗効果で、人外の膂力を発揮している。
「――行くぞ」
ドルダが腰を落とし、次の瞬間に姿がぶれた。
彼は残像を描きながら宙を駆け、戦斧で斬りかかってくる。
(大した速度だ)
会話の中で、私は魔術で動体視力を強化していた。
実物の目はないが、感覚的に成功している。
先ほどのようにドルダの挙動が明滅することはなくなった。
「フンッ」
ドルダが戦斧を振り下ろす。
私を縦断する軌道だ。
非常に単純な攻撃だが、防御困難な威力と速度で迫るそれは、十分すぎる脅威である。
私は刃に当たる寸前で身を翻す。
斬撃が肩を削る感覚があった。
それを気にせず、私は瘴気を纏わせた手をドルダの顔面へと伸ばす。
「ぐぬ……っ」
顔を顰めたらしきドルダが、戦斧を引いて後退する。
さすがの彼も瘴気の直撃は避けたいのだろう。
雷魔術の出力で多少は瘴気を防げるようだが、それにも限度があるらしい。
(つまり、触れられれば始末できる)
私は手から禁呪の蔦を発現し、ドルダに絡み付かせようとする。
いくら彼でも、アンデッド化までは防げないだろう。
「ぬおッ!?」
ドルダは少し驚きながらも、迫る蔦を戦斧で斬り伏せていく。
反応速度も並外れているらしい。
数十本の蔦が瞬く間に分断されてしまった。
私は構わず蔦を生成し続ける。
(恐るべき実力だ。しかし、違う)
一連のやり取りで私は確信する。
"雷轟のドルダ"は魔王を殺し得る脅威ではない。
人間の強者の枠に留まっている。
少なくとも、私の歩みを滞らせるだけの存在ではなかった。
これが世界の意思による邂逅であるのなら、舐められたものである。
ドルダが蔦を斬る間に、私は別の場所へ意識を向ける。
それは外壁上に設置された最寄りの砲台だった。
蔦によって固定されたものである。
私は術を解除して蔦の拘束を消した。
さらに砲台内にいる元操縦者のアンデッドを用いて、砲身を旋回させる。
狙いを合わせるのはドルダの背中であった。
(砲弾は装填済み。いつでも撃てる)
確認を済ませた私は、砲弾を発射させた。
蔦を切り払ったドルダは、背後からの砲撃に反応する。
「ぐ、おおおおおおおッ!?」
彼は迫る砲弾に戦斧を叩き付けると、火花を散らせながら軌道を逸らした。
暴風を伴う轟音と雷撃。
先端が破損した砲弾は、ドルダと私のそばを通過していく。
(驚いたな。今の砲撃をも退けるか)
私はドルダの評価を上げる。
尋常でない技量と膂力の持ち主だ。
間違いなく英雄と呼ばれるに値する人物である。
人格と素行さえ良ければ、本当に勇者になっていたかもしれない。
そう思わせるだけの覇気があった。
「……っ」
ドルダが小さく呻きを洩らす。
砲弾をやり過ごした代償に彼の戦斧は破損し、両腕からは血を流していた。
酷使された筋肉が限界を迎えたのだ。
骨も折れているだろう。
今にも戦斧を取り落としそうだった。
私はそんなドルダに背後から接近する。
彼の四肢に蔦を絡めて、反撃の動作を封じた。
ドルダは、兜越しに歓喜の眼差しを向けてくる。
青い瞳が爛々と激情を湛えていた。
「み、見事――」
その呟きを聞きながら、私は片手の指を揃えて一閃させる。
ドルダの首が宙を舞った。
兜を被る頭部が黒い炎で燃え、塵となって消える。
蔦の絡み付いた身体は投げ落とす。
断面から血を噴出しながら、ドルダの身体は帝都の街並みへ消えていく。
その様を見届けた私は外壁に着地する。
(帝国は戦力強化に必死だな。大陸制覇でも目論んでいたのか?)
詳細な時期は定かではないものの、あのドルダを将軍として雇っていたのだ。
他国に対する侵略の熱意は本物である。
放っておくと、さらなる暗躍を見せていたかもしれない。
この段階で介入したのは正解だったようだ。
少し邪魔が入ってしまったが、私の予定は変わらない。
このまま帝国の秘匿する資料を奪うつもりだ。
日没までにはすべてを済ませて、速やかに立ち去ろうと思う。




