第4話 賢者は奪還軍を蹂躙する
死体の撤去された謁見の間。
私は一抱えほどの水晶を台に設置した。
その中には、あの人の遺骨が封じ込められている。
防護用に魔術で加工したのだ。
私は慎重な手つきで水晶を撫でる。
「やはり、戻ってきてはくれないのですね……」
自然と呟きが洩れた。
そのことを内心で自嘲する。
目の前の遺骨だけは、私の能力を以てしてもアンデッド化できない。
あの人の魂が拒んでいるのか、それとも私の心情的な問題か。
どちらにしても、厳重に保管しておかねばならない。
何かの拍子に消失すると取り返しがつかない。
そういった事情があったので水晶に封じた。
いつか彼女を蘇らせる際に解放する予定である。
その時まで失われないようにしておこう。
無言で水晶を眺めていると、背後で扉が開く音がした。
身を屈めて入室するのは、牛頭の不死者だ。
眼窩の炎は相変わらず焚かれている。
牛頭は、きびきびとした動きで絨毯を進んできた。
「魔王様! お食事の用意を致しましたぞ。さあさあ、食堂へお越しくださいませ! 我が腕によりをかけてお作りしました!」
「……すまないが、私は飲食ができない。見た目で分かるだろう」
私は玉座に座りながら応じる。
牛頭は大袈裟な動作で驚きを表現した。
よろよろと動いて肩を落とす。
「なんと……! それは申し訳ないことを……このグロム、一生の不覚!」
牛頭――グロムは拳を握り締めて悔しがる。
しばらくして手を打った彼は、名案とばかりに話を続ける。
「では、お召し物の選定は如何でしょう! ご命令とあれば、王都を駆け巡って選りすぐりの物をお持ち致します。ちなみに魔王様に似合う色となれば――」
饒舌に語るグロムは、勝手に話題を進めていく。
それを聞く私は、側頭部を指で押さえた。
なんとなく頭痛がしたのだ。
生前なら揉みほぐしているところである。
生き生きと衣服の候補を挙げる配下を前に、私は内心で嘆く。
(まったく、どうしてこうなった?)
グロムとの邂逅から三日が経過した。
彼は私の忠臣になった。
不遜な態度が嘘のように消え、今では慇懃な言動で統一している。
性格もすっかり丸くなっていた。
グロム曰く、私の目的やその在り方に感銘を受けたらしい。
魔王の幹部として献身的に働くと宣言されてしまった。
以来、ずっとこの調子だ。
ちなみにグロムというのは私が名付けた。
歴史上の聖人の名から取ったが、本人はいたく気に入っているようだ。
あれだけ酷かった損壊も、魔力と瘴気を与えると瞬く間に再生した。
今では元気に動き回っている。
魔王に匹敵する実力者とあって、その生命力と回復力は並外れているのだ。
この三日間で知ったことだが、グロムは手先が器用な上に博識である。
器用さはともかく、生まれたばかりの彼が博識なのはおかしい。
そう思って調べたところ、いくつかの事実が発覚した。
グロムは怨念や瘴気の集合体だ。
私の術でそれらが混ぜ合わさり、新たな個人として自我を確立させている。
結果、グロムは素体となった死者の経験や記憶を断片的に継承していた。
だから一般常識を持ち、魔術も行使できるのだ。
なんとも便利な存在である。
私のために作ったという食事も、誰かの調理技術を使っているのだろう。
グロムは私の想像以上に有能だ。
気遣いの加減が利かない時があるものの、とても従順で信頼の置ける配下と言える。
彼は間違いなく裏切らない。
まさに忠臣と呼ぶに相応しいアンデッドであった。
「グロム」
「はい! 何でございましょう?」
グロムは嬉々として返事をする。
背筋を綺麗に伸ばしていた。
彼の容姿と見事に不釣り合いである。
私は玉座から立ち上がって告げる。
「命令を下すまで待機でいい。私は物資の調達に行ってくる」
「何をおっしゃいますやら! 雑務でしたらこの我にお任せ下さいませ。魔王様のお手を煩わせるまでもございませぬ」
グロムは私の前に立ちはだかる。
戦闘時よりも俊敏な気がした。
眼窩の炎は、心なしか使命感に満ち溢れている。
何が彼をそこまで駆り立てるのか。
本当に初対面と比べて豹変してしまった。
結局、今回は私が折れることにした。
グロムに王都内の物資調達を依頼する。
彼を説得するのが面倒というのも大きかった。
「お任せください。不肖ながらもこのグロム、必ずや魔王様のご命令をこなして……ややっ、こんなところに埃が! いけませんなぁ。我が掃除しなくてはっ」
グロムは部屋の端を見つめると、八本の腕に箒や雑巾を持った。
それらを存分に駆使して室内を綺麗にしていく。
満足した彼は、優雅に一礼してから退室した。
その姿は、世話焼きの老執事を彷彿とさせる。
玉座から一部始終を眺めていた私は、ため息を吐きたい気分になった。
(……いや、しかし。グロムが優秀であることに変わりはない)
あれだけ強力なアンデッドを配下にできたのは嬉しい誤算だ。
多少の奇行には目を瞑りたいと思う。
私のために働きたいという意欲は肯定すべきだろう。
グロムのことはいい。
それより考えねばならないことがある。
今朝、王国内の各領地に私の存在を通達した。
服従を誓うのなら攻撃しない旨も伝えてある。
私とて降参した人々を無闇に殺戮したいわけではない。
彼らが私に従うのなら歓迎する。
紛れもなく平和への第一歩だ。
周辺諸国の反応も気になる。
王都がアンデッドに乗っ取られたのだ。
さすがにその情報は知れ渡っていると考えていい。
新たな魔王の顕現に、各国はどう対応するのか。
いずれ討伐隊を結成するのは確実だろう。
私を放置するはずがない。
今頃は聖魔術の使い手を掻き集めている頃かもしれない。
(私も魔王を自称するに足る環境を整えなければ)
この地を改良して、さらなる配下も用意したい。
グロムのように人格のある味方がほしい。
組織的な行動をするには必須だ。
不死者の国としての体裁を整え、いずれ軍を編成したかった。
永続的に世界の悪となるには、やはりそれだけの準備を要する。
(どこかに私の配下を希望する者はいないだろうか)
生前、少数ながらも魔王を信奉する組織はいた。
私の存在が周知されれば、そういった勢力からの接触があるかもしれない。
しかし、そういった組織は私の望まない形で暴走する危険性がある。
やはり信頼の置ける者でなければいけない。
配下集めについては後々の課題だろう。
色々と考え込んでいると、部屋の外から足音がした。
やけに慌ただしい。
通常のアンデッドはこんな風に走らない。
誰の足音かはすぐに分かった。
「魔王様、ご報告に参りました!」
「何か動きがあったか?」
扉を開けて飛び込んで来たグロムに尋ねる。
グロムが眼窩の炎を大きくして頷いた。
「はい。どうやら最寄りの領地から軍が派遣されたようですな。小癪なことに、王都を目指して進行しております」
「王都奪還が目的だな。予想通りの反応だ」
国の中枢が壊滅した状態で王が死んでいる。
貴族が放っておくはずもないのだろう。
文字通り、王国の存続に関わる事態である。
全力で私を倒しにかかるのは想定内だった。
ただ、三日で出軍という速度が気になる。
優秀な武官が迅速な編成を為したのか。
それとも、成果や感情に衝き動かされた愚か者の集団か。
「して、どうされるのですか? 我なら楽に殲滅できましょうが」
「私が向かおう。魔王の再来を周知せねばいけない。グロム、お前には留守を任せる」
奪還軍は見せしめに殲滅する。
私という脅威を世界に知らしめるための糧としたい。
王都陥落に続いて甚大な被害を出せば、人々も私の危険性を理解するだろう。
現状、各領地へ通達した服従への返答はなかった。
今回の一件を鑑みて、意志を表明してくれると助かるのだが。
「はッ! 畏まりました! 全身全霊を以て魔王様の居城をお守り致しますぞ!」
グロムは胸に手を当て、床に片膝をつく。
頼もしい返事だ。
彼の実力なら、誰が強襲しようと大抵は対処が可能だろう。
前代の魔王に並ぶ強さを持っている。
軍隊が相手だろうが問題なくあしらえるはずだ。
「では、行ってくる」
「おっと魔王様、少しお待ち下され」
奪還軍の対処に向かう寸前、グロムに引き留められた。
随分と真剣な様子である。
報告し忘れたことでもあるのか。
「何だ」
「お召し物を変えましょう! せっかくの晴れ舞台なのです。卑劣なる人間共に、魔王とは何たるかを見せつけてやりましょうぞ」
誇らしげに述べるグロムは、左右の炎を煌々と滾らせた。
◆
私は転移魔術によって奪還軍のもとへ移動する。
生前は目視距離を転移できる程度だった。
戦線離脱の切り札として強引に使うこともあったが、かなりの負担がかかる。
それがアンデッドになったことで大幅に強化された。
ほぼ無尽蔵に使用可能となり、転移距離もかなり延びている。
不死者の力を知ると同時に、人間の限界を思い知らされた。
術の発動と同時に視界が切り替わる。
私は空に投げ出された。
遥か下に大地が広がっている。
すぐに落下が始まったので、空中に力場を作って着地した。
風が衣服をはためかせる。
私は深緑色のフード付きローブを纏っていた。
端々に宝石の装飾が施されており、魔術的な効果を持つ。
私にとっては誤差の範囲だが、見た目の高級感は悪くない。
張り切るグロムが最初に用意したのは、真っ赤なローブだった。
金刺繍に加えて宝石が散りばめられたものである。
着用者の魔力の残滓で煌びやかに発光するようになっていた。
とにかく派手で、端的に言うと悪趣味だ。
実用性も皆無だろう。
貴族が贅を尽くして仕立て上げたに違いない。
グロムはとにかく私を華々しくしたかったらしい。
王冠も被るように進言されたので、さすがに断らせてもらった。
交渉の末、妥協点として現在のローブに至ったのである。
少し残念そうだったが仕方あるまい。
前代の魔王も、別に華美な風貌を好んではいなかった。
私は力場を作りながら空中を歩く。
ほどなくして、地上を往く軍隊を発見した。
旗を掲げている。
じっと目を凝らすと、それが情報にあった領地のものであると分かる。
陥落した王都を目指す奪還軍だ。
私は上空から行軍の様子を眺める。
ざっと数えて二万は下るまい。
それなりの規模だ。
加えて聖魔術の結界を張っている。
アンデッド対策だろう。
本気で王都を取り戻すつもりらしい。
(よくもこれだけの軍を三日足らずで編成できたものだ)
このまま王都まで進軍されると、無視できない被害が出る恐れがある。
グロムでも容易に対処できる程度の戦力だが、黙って見守るほど私は優しくない。
ここで人々の戦意を挫いておこうと思う。
そうすれば、今度は無闇な出軍も行われなくなるだろう。
結果的に双方の犠牲を減らせる。
実に望ましい展開だ。
私を敵視するのは構わないが、あまり死に急がれても困る。
「見せしめなのだ。派手に屠らねば……」
私は両手を地上の奪還軍に向ける。
手のひらを開いてかざした。
そこでふとグロムとの戦闘を思い出す。
瘴気にも様々な使い方があった。
せっかくの機会なので、少し真似をしてみよう。
私は瘴気と魔力を混ぜ合わせて術を構築した。
調整しながら世界に形成していく。
そうして出来上がったのは、黒い球体だった。
両手の先に浮遊しており、物質らしさに乏しい。
まるで気体のようだ。
かと言って風で形が崩れることもない。
何の変化もせず、ただそこに存在している。
(失敗か……?)
私が不安に思っていると、球体は不意に落下を始めた。
その先にある奪還軍のもとへ向かう。
自由落下に任せて加速していく。
兵士達が顔を上げて何かを叫んだ。
指を差す者もいる。
頭上から迫る球体に気付いたようだ。
すぐさま矢と魔術が球体に放たれた。
球体は少しも軌道を変えず、触れた物体を取り込みながら落下し続ける。
兵士達の攻撃は意味を為さない。
まるで水の塊を殴っているかのような構図であった。
球体はやがて結界に接触する。
些細な抵抗もなく押し割ると、軍隊の一角に着弾した。
次の瞬間、そこで爆発が起きる。
直撃を受けた兵士が血肉となって四散した。
やや離れたところにいた者も、衝撃を受けて重軽傷を負っている。
炸裂した球体は融解して瘴気の霧となり、濛々と周囲へ蔓延し始めた。
それらが幾千幾万もの黒い手に変成すると、奪還軍の面々に襲いかかっていく。
「や、やめて……く、れ……ぇ……」
「まだ死にたくない! 嫌だ、こんなところで……ッ」
「ひいっ、たっ、助けて、くれ! 誰かぁっ!」
黒い手に掴まった者達は、もがき苦しみながら死ぬ。
彼らは絶命と同時にアンデッドに変貌し、生者に襲いかかった。
喰い殺された者が、また新たなアンデッドへと仲間入りを果たす。
王都の光景の繰り返しだ。
もはや日常のように見慣れたものである。
瘴気と魔術の合成は成功した。
術の組み合わせや配合の加減によって様々なことができそうだ。
消耗も微々たるものなので、これから練度を上げていきたい。
上空の私に気付いた者が矢や魔術を飛ばしてくる。
少し鬱陶しいので風魔術で防いだ。
もっとも現在の高度なら、何もせずとも致命傷にはならない。
お返しに追加の黒い球体を射出し、アンデッドの被害を拡大させておく。
反撃を試みる兵士達は、アンデッドの対処に追われてそれどころではなくなった。
指揮系統は完全に麻痺している。
有効な手立てのないまま、兵士達は一方的に喰い散らかされていく。
最終的には散り散りとなり、僅かな生き残りは自らの命惜しさに逃げ出した。
「上出来だな」
私は地上のアンデッドを操作し、敗走する兵士達を追いかけないようにさせる。
彼らには私の力を言い広めてもらう役目が残っていた。
先代の魔王の死から十年。
人類にとって新たな脅威が顕現したのだと周知させなければ。
奪還軍を壊滅させた私は、逃げ惑う生き残りの背中を見送った。