第39話 賢者は帝都を崩壊させる
私は外壁の上を歩く。
呑気に散歩をしているわけではない。
複数の魔術を駆使しながら、状況把握に努めていた。
「……ふむ」
前方に設置された砲台が、旋回してこちらを向いた。
魔力の高まりを感知する。
術式を起動させたのだろう。
かなりの至近距離だが、砲弾を撃ち込むつもりらしい。
「大胆だな」
呟いた私は、すぐさま禁呪を行使する。
砲台の根元から黒い蔦が生え、触手のように絡み付いた。
蔦に引かれた砲身が無理やり照準をずらされ、一拍遅れて砲弾が放たれる。
狙いの外れた砲弾は、帝都内へ飛び込んだ。
強烈な一撃が木造建築の時計塔を貫き、木端微塵に倒壊させる。
隣接する建物も巻き込まれ、盛大に土煙が舞い上がっていた。
巻き込まれた人間は幾人ほどか。
私は蔦を伸ばして砲身内へと侵入させる。
間もなく内部から悲鳴が上がった。
砲台の中にいた操縦者を締め上げたのだ。
そのまま瘴気を伝播させてアンデッドに変質させておく。
これで撃たれる心配はなくなった。
砲台そのものは破壊せずに放置しておく。
これは貴重な兵器だ。
後で持ち帰って内部構造を解析する予定であった。
小型化して運べるようになれば、様々な戦場で利用可能だろう。
魔王軍の大幅な戦力強化になる。
弓や魔術師の部隊もあるが、この砲台の精密性と破壊力は見逃せない。
私は外壁を見回す。
点在する砲台は、蔦でびっしりと覆われていたり、全体が凍り付いていたりと、いずれも使用不能になっていた。
付近の砲台は残らず無力化している。
すべて私がやったのである。
これで余計な邪魔は入らなくなった。
別に砲弾を食らったところで痛手ではないものの、率先して撃たれたいとも思えなかった。
(戦況は上々だな)
帝都は大混乱に陥っていた。
既にあちこちをアンデッドが徘徊し、人々は逃げ惑っている。
喰い殺される人間は数知れず、阿鼻叫喚の騒ぎであった。
端々では火災も起きていた。
出入り口となる門は私が魔術で封鎖している。
さらに転移阻害の結界も施していた。
大魔術の直撃でも容易に綻ばない程度には堅牢である。
これで誰も帝都から脱出は叶わない。
それこそ、砲弾を集中的に受けるようなことさえなければ破られはしないだろう。
今まで何度も暗躍してきた国だ。
そろそろ取り返しのつかない損害を与えてもいい頃だと思う。
此度の惨劇に懲りたのなら、大人しく他国との協力を図ってほしい。
力による強権の行使など、魔王だけで十分だった。
帝都における私の目的は少ない。
街の惨状からして、適当な損害は与えられた。
あとは砲台を始めとする各種兵器とその資料の強奪だ。
帝国と背後で繋がっている国や組織についても知っておきたい。
特に砲台に関しては、帝国が単独で開発から製造までを行ったとは考えにくかった。
必ずどこかの国が関与している。
そうでなければ完成させるのは難しいはずだ。
今後の魔王軍の動きを決めるためにも、その辺りは把握すべきだろう。
秘匿された兵器を研究及び製造する場所は限られている。
重要施設を巡っていけば、目当てのものは見つかるだろう。
転移魔術を使えば時間もかからない。
重役らしき人間を尋問するという手もある。
一時的にルシアナを呼び出して、彼女の魅了に頼ってもいい。
忘れていたが、国の上層部の人間も殺害しなければいけなかった。
全滅まではしなくてもいいが、彼らの過半数が主戦派である。
これまでの帝国の立ち回りを見れば一目瞭然だ。
他国との連携を促すには、まず侵略思想の人間を排除する必要がある。
このような国にも穏健派や中立派はいるので、彼らが取って代わって権力を握れる流れにしたい。
帝国の行く末について考えていると、突如として背後から殺気が迫ってきた。
強烈で荒々しい気配だ。
性質としては理性を失った魔物に近い。
私は振り向かずに短距離転移を使い、前方へと移動した。
しかし、殺気は依然として背後に付きまとってくる。
(……誰だ?)
疑問を抱きながらも、私は瘴気の盾を生成して振り向きざまに構える。
そこへ衝突したのは、無骨な戦斧だ。
音を立てて弾ける紫電。
瘴気の盾の表面が削れていくのを視認した。
紫電の勢いが増していく。
(この力……押し切られるな)
そう判断した私は無理に逆らわず、足を浮かせて吹き飛ばされた。
空中に力場を作って着地し、戦斧の持ち主を見る。
外壁に立つのは、オーガを彷彿とさせるほどの大男だった。
屈強な体躯を朱い全身鎧で包んでいる。
たまに瞬いているのは、全身を駆け巡る紫電だろう。
兜の隙間から覗く蒼い目は、肉食獣のように獰猛な光を湛えている。
一目で分かるほどの強者だ。
そんな大男は、私を指差した。
「――お主が死霊術師の魔王だな?」
「だとしたらどうする」
私が言葉を返すと、大男はゆっくりと戦斧を構える。
瞬時に研ぎ澄まされる殺気。
発散される紫電が勢いを増して、全身を輝かせるほどになった。
もはや人間が発揮できる出力ではない。
「決まっておるだろう……完膚なきまでに叩き斬るッ」
次の瞬間、大男の姿が消える。
いや、残像を残しながら空中を疾走し、明滅しながら私へと接近していた。
あまりの速度に追い切れていないのだ。
(これは、身体強化と雷魔術の複合か?)
転移でも攻撃を回避できなかったのは、この術が原因だろう。
常人を遥かに凌駕する速度で、転移する私に追い縋ってきたらしい。
私は瘴気の盾を槍に変形させて、振り下ろされる戦斧を脇へ受け流した。
死者の谷で戦闘経験と技術を得ていなければ、抵抗できずに斬られていただろう。
衝撃で槍が折れ、黒い粉となって霧散する。
同時に、指先に微妙な痺れを知覚した。
接触した際に、雷魔術を流し込まれたらしい。
思ったより厄介な攻撃である。
「ほほう……!」
大男は感心するような声を洩らした。
目元の動きを見るに、激しい歓喜を表している。
私は彼の追撃をいなしつつ、ひとまず転移で距離を取った。
大男は追いかけてこない。
彼は空中を蹴って外壁の上へ戻った。
「はっはっは! いい動きではないか! 存分に楽しめそうだッ!」
大男は豪快に笑う。
皮肉や嫌味ではなく、彼は本気で戦いを満喫しているのだ。
身近な人物の中ではヘンリーに近い思考であった。
(まさかここで出会うとは……)
私はこの男を知っている。
風貌に憶えはないものの、戦い方や性格からして間違いない。
あれだけの練度で身体強化と雷魔術を操り、戦斧を振り回す者など滅多にいないのだから。
憧れや模倣で到達できる領域を超えている。
すなわち本人としか考えられない。
直接的な面識は無かったが、その名は十年前の時点で諸国に知れ渡っていた。
当時の私も、彼のことは聞き及んでいる。
ただ、こうして戦うことになるとは夢にも思わなかった。
(これも魔王としての縁か……)
私は自嘲気味に考える。
そう思わざるを得ない出会いと言えよう。
――"雷轟のドルダ"と呼ばれるその男は、かつて勇者候補に挙がった大海賊であった。




