第36話 賢者は人間を招き入れる
数日後。
魔王軍による帝国領土の侵略は、依然として順調だった。
世界樹の森に派遣されていた軍が壊滅していたのが大きい。
さすがの帝国も戦力不足が散見された。
それだけの力を注ぐほどに、世界樹の森とエルフを手に入れたかったらしい。
彼らの心情は理解できるものの、手助けしたいとは思えない。
帝国は各地から兵を寄せ集め、魔王軍の猛攻に対抗していた。
しかし、必死の策もこちらの侵攻速度を落とす程度で、被害そのものは微少に抑えられている。
魔王軍は死体をアンデッドに変えて戦力を増大しながら進んでいた。
強大の代名詞である帝国軍は、圧倒的な数に任せた戦法を得意とするが、魔王軍にそれは通じない。
数による優位性を取れないためである。
疲れも痛みも知らないアンデッドは、彼らの攻撃すら受け切ってしまう。
ただ、これらの要素は誤差の範囲に過ぎない。
一番の原因は、前線にグロムとヘンリーがいることだろう。
彼らを止められる戦力が帝国軍には存在しないのである。
どれだけの策を弄そうとも、二人の幹部に対しては薄氷のように脆い。
ヘンリーの狙撃は指揮官を的確に殺害し、軍の足並みが乱れたところで、グロムが瘴気と魔術を叩き込む。
単純なやり方だが、それ故に効果は絶大だ。
対処も極めて困難である。
私ですら、使える魔術を限れば攻めあぐねるかもしれない。
定期連絡によると、現在は帝国領土を緩やかな速度で横断しているらしい。
配下の体力消耗に気を付けながら進んでいるそうだ。
実に的確な判断だ。
別に彼らが急ぐこともない。
魔物やエルフのように生きた配下はとても貴重だ。
進軍を急ぐより、彼らを死なせないことが第一だろう。
私からもその旨をしっかりと伝えておいた。
より大きな功績を求めて、無理な作戦を実行されても困る。
それに王都の防衛に関しては、私一人で事足りる。
どのような組織が押し寄せようと対処できる。
魔王軍が焦って帰還する必要はないのだ。
細かな事務作業や今後の計画をこなしつつ、私はもたらされる戦争の報告を聞いて過ごす。
そんなある日、王都前に大量の人間がやってきた。
他国からの襲撃ではない。
領主達に催促していた人材がようやく派遣されてきたようだ。
様子を確かめに行くため、私は上空に転移して彼らを見下ろす。
アンデッドに包囲される人材達は、二万から三万はいるだろう。
屈強な男が大半で、中には女子供も混ざっている。
何台もの馬車も同行していた。
日用品や食糧を載せているようだ。
それなりの大所帯だが、王都なら容易に受け入れられる。
現在は敷地が有り余っている状態だ。
食糧供給さえ安定させれば、この十倍の数でも即時の受け入れが可能だろう。
(さて、挨拶に行くか)
人々の前に降り立つと、彼らは驚きと恐怖に包まれた。
もはや慣れた反応なので何も思わない。
事前対応をしていたサキュバスが、さりげなく背後に控える。
私は拡声の魔術を使いながら人々に語りかけた。
「此度、お前達は魔王軍の所属となる。異論はないな?」
突然の切り出しに、人々は沈黙する。
喜んでいないのは確かであった。
ただ、それを口に出す者はいない。
賢明な判断である。
私は事務的な調子で話を続ける。
「現在の魔王軍は、帝国軍と交戦中である。故にお前達には――」
話している途中、横合いから接近する気配を感知した。
何も存在していないように見えるが、微妙に空間がぶれている。
世界樹にも施されていた認識阻害の術だろう。
私は直感に従って身を沈める。
頭上を何かが通過した。
とりあえず攻撃の回避に成功したらしい。
私は相手の身体を掴んで引き倒し、至近距離から軽い電撃を浴びせた。
青白い光が弾け、認識阻害を解除される。
現れたのは黒ずくめの男だった。
「くっ……」
男は呻き、手に持った短剣を突き出してきた。
私はそれを躱して、短剣を握る手を握り潰す。
そして、男の首を掴んで持ち上げた。
背後に控えていたサキュバスが、血相を変えて私の身を案じる。
「ま、魔王様! ご無事ですか……ッ!?」
「問題ない。それよりも、提供された人材の中に暗殺者が紛れ込んでいたようだ」
男は私の手から離れようともがいているが、それは叶わない。
私の膂力は魔術で強化されている。
人力で剥がせるものではなかった。
私は男を掴みながら、足元に落ちた短剣に注目した。
刃に聖属性の術式が刻まれている。
不死者殺しの武器だ。
非常に高価なもので、個人が簡単に購入できる品ではない。
私は動揺するサキュバスに尋ねる。
「この男の身元を調べろ。どこの領主が派遣した?」
「少々お待ちください……」
サキュバスは手持ちの書類をめくっていく。
彼女は男の正体を確認すると、派遣した領主を私に報告した。
その領主は、早期に服従した者だった。
保身を優先するものかと思ったが、まさかこのようなことを企てるとは。
少し意外であった。
さすがにこれは黙認できない。
「すぐに戻る」
私はサキュバスに告げて転移する。
飛んだ先は、件の領主の街だ。
そこからさらに転移を行い、領主の館内に侵入する。
腰を抜かす使用人を横目に廊下を進み、壁を壊して奥の一室に踏み込んだ。
そこでは、領主が女を侍らせて酒を満喫していた。
領主と女達は、私の姿を目にして凍り付く。
私は掴んだままの暗殺者を掲げながら問いかける。
「この男の顔に見覚えはあるか」
「な……ッ!?」
領主は驚愕し、すぐに平静を取り繕う。
事情を知っている反応だった。
つまり私の暗殺を認可したのである。
「そうか。もう分かった」
私は暗殺者に瘴気を流し込む。
暗殺者は悲鳴を上げる間もなく、黒炎に焼かれて灰になった。
私は手を払いながら領主に告げる。
「暗殺という発想は悪くないが、詰めが甘かった。この程度では、私を殺せない」
「あ、うぁ……あうああああぁ……」
領主は意味不明な喚き声を上げる。
私はそんな彼を引きずりながら転移して、人々の待つ王都前に戻った。
上空へ飛び、領主の存在を強調して話す。
「諸君、この男を見てほしい。暗殺の首謀者だ。たった今、連れてきた」
場は緊迫感のある静寂に満たされていた。
ほとんどの者が、この後に起こることを予想している。
予想はきっと間違っていない。
それに応えるのが私の役目であった。
「魔王軍に歯向かう者は、こうなる」
私が言い終えると同時に、領主に異変が生じた。
足先から黒ずんで斑点が浮かび出す。
さらに皮膚が裂けて粘液を噴き、ぐずぐずと泡を立てながら崩れ始めた。
それが全身へと浸透していく。
私が施したのは腐蝕の呪いだ。
領主は生きたまま死を味わい続ける。
血肉が腐り落ちて地面に滴り落ちていた。
それを眺める人々は、悲鳴を上げて後ずさる。
やがて領主は、骨と衣服だけになった。
地面に下りて手を放すと、領主は勝手に動き出した。
骨の擦り合う音を立てながら、その場から走り去ってしまう。
人々の息を呑む気配を感じた。
領主の凄惨な死に様と、その末路に戦慄している。
見せしめとしてはちょうどよかっただろう。
私は彼らに向けて警告する。
「この中にはまだ暗殺者が潜んでいるかもしれない。だが、やめておけ。無為に命を散らすこともない。暗殺技能に自信があるのなら、喜んで私が買おう。その力を魔王軍のために役立ててほしい。私からは以上だ」
伝えたいことは伝えられた。
後の指示は配下に任せればいいだろう。
話を終えた私は、転移魔術で城に戻った。




