第34話 賢者は世界樹の森を手中に収める
足元に力場を生成する私は、遥か上空に佇んでいた。
吹き抜ける風がローブをはためかせる。
骨だけの身体のせいか、寒さはそれほど感じない。
私の隣にはルシアナがいた。
彼女は愉快そうに口笛を吹いている。
聞き覚えのある旋律だ。
どこかの音楽家の代表曲だった気がする。
ルシアナは人間の文化にも精通しているらしい。
私達の眼下には、寂れた街並みがある。
かつての小国の首都だった場所だ。
ヘンリーを仲間にした地でもあった。
本来は無人であるはずのそこには、兵士の姿が見える。
彼らは帝国軍だ。
この都市を不当に占拠し、実質的な帝国領として扱っているのである。
さすがに魔王領と隣接する地域には手を出していないが、ついに首都まで堂々と占拠してきたらしい。
驚くほど大胆な行動である。
それほどまでに自国の利益を上げたいのだろうか。
私には理解できない分野だ。
理解したいとも思えない。
(自己利益のために小国が滅ぶように企み、空いた土地を奪い取るか……)
私が言える立場ではないが、人道的な手段ではないだろう。
どこまでも理想の対極に位置する国である。
ルシアナは楽しそうに旋回しながら、かつての首都を眺めていた。
彼女は口笛を止めると、私の腕に抱き付いてくる。
「こうして見下ろすと、人間って虫さんみたいね。ぷちっと潰しちゃいそう。魔王サマもそう思わない?」
「私は人間を殺すが、彼らを貶めたいわけではない。必要な処置として排除している」
「はぁ……」
ルシアナは少し不満そうにため息を洩らす。
彼女はじっとりとした眼差しを私に向けてきた。
「生真面目ねぇ……そのうち胃に穴が開くんじゃないかしら」
「穴が開くどころか、とっくに腐り落ちている」
私がそう返すと、ルシアナは大笑いした。
別に冗談を言ったつもりはないのだが、彼女の琴線に触れるものでもあったのだろうか。
その真否はどうあれ、下手に気遣われるより楽な反応ではある。
「ところで、何をするのかは聞いてるけど、本当に可能なの?」
「小規模だが、同じ術は試している。魔力さえ足りれば失敗しない」
「普通はそこで引っかかるのよね。魔王サマは、本当に規格外なんだから……」
ルシアナは大袈裟に肩をすくめてみせる。
彼女が言っているのは、この場所を訪れた理由と関係していた。
懐疑的になるのも頷けるし、私も生前ならまず考えつきもしなかった。
絶対に不可能だからである。
もっとも、今なら実現できることだ。
今代の魔王に許された特権と言えよう。
「まずはここを均す。余波に気を付けろ」
「はいはーい」
ルシアナはひょいと私から距離を取り、魔術で防御を固める。
あの強度なら問題ないはずだ。
そこまで見届けた私は、術式の構築を開始する。
かざした両手の前に、魔法陣が浮かび上がってきた。
魔法陣はゆっくりと回転し、だんだんと速度を上げていく。
回転が最高潮に達した時、魔法陣から無数の黒い火球が飛び出した。
火球は凄まじい速度で生まれ、次々と首都跡に落下していく。
まるで流星群だ。
火球は地上に炸裂すると同時に大爆発を起こす。
数百――いや、数千発の火球が間断なく蹂躙していった。
都市を粉砕し、その周辺一帯を無差別に耕していく。
この世の終わりかのような轟音が、すべての音を消し去っていた。
「ふむ、これくらいでいいか」
私は頃合いを見て魔術を止める。
手先が融解して、ぼろぼろと崩れ始めていた。
術の負担だ。
反動を抑え切れていなかったのだ。
これは私の制御力のせいである。
今度は無傷で行使できるように精進しなければ。
反省を踏まえつつ、私は眼下の光景に視線を落とす。
首都があった場所は、焦土と化していた。
跡形もなく消し飛んでおり、何も残っていない。
周囲に広がる荒野と区別が付かない有様であった。
抉れた地面は、濛々と白煙を昇らせている。
防御魔術を解いたルシアナは大はしゃぎをする。
「あっは、これで人間嫌いじゃないって言うんだから、さすがよね。容赦なさすぎるんじゃない?」
「半端な真似はしない。やるなら徹底的にやり通すだけだ」
「魔王サマは律儀ね。見習いたくなっちゃうわ」
ルシアナは頬杖をついて寝転がる。
空中だというのに器用なものだ。
私はそんな彼女に告げる。
「ここからは集中する。術を終えるまではくれぐれも話しかけるな」
「はーい」
今から行使するのは、空間操作の術だ。
類似する禁呪を改良したもので、気の緩みは厳禁であった。
首都跡を破壊したのも、このための前段階に過ぎない。
私は膨大な量の魔力を消耗しながら術を組み上げていく。
すぐに倦怠感のようなものを覚える。
魔力が激減したことによる変調だ。
それを集中力を以て耐え、構築を終えた術を解放する。
次の瞬間、広大な焦土が消えた。
代わりに青々とした清涼な森が出現する。
中心部にそびえ立つのは、果てしなく巨大な樹木だ。
燐光を振り撒き、聖なる光を帯びている。
存在は知っていたが、実物は初めて目にした。
認識阻害の術が剥がれて露わになったのだろう。
不死者の身には応えるが、とても美しい。
すなわちそこは、世界樹の森であった。
空間操作の禁呪で行ったのは、座標の取り換えだ。
この場所にあった焦土を切り取り、遥か遠方にある世界樹の森を引き寄せたのである。
いつも使っている転移魔術の亜種だった。
とは言え、此度のそれは規模が違う。
世界樹の森の外周に予め境界線を引き、精密かつ安全な転移を実行した。
あちらに飛ばした焦土に関してはどうなっているか不明だが、別に壊れたところで問題ない。
元より黒い火球によって不毛の土地と化している。
魔王領となった世界樹の森だが、王都から孤立しているのが問題だった。
あの場所に存在している限り、帝国軍から常に狙われることになる。
ならば魔王領と隣接させてしまえばいいと考えたのが、此度の座標取り換えのきっかけだ。
ここから魔王領までは、およそ半日ほどの距離がある。
あまり密着させると諍いが起きる可能性もあった。
両者の事情を踏まえれば、これくらいの距離が妥当だろう。
放置された道中の地域を開拓すれば、往来自体は容易になる。
周辺諸国からも守りやすくなるはずだ。
感知魔術で確かめたところ、里にはエルフ達がいた。
彼らも無事に転移できたようである。
術は怠りなく成功したらしい。
「うわぁ……信じられないわ。本当にできちゃうなんてね」
ルシアナは感嘆の声を上げる。
少し引いている気もした。
魔術を扱う彼女だからこそ、目の前の現象を信じられないのだ。
私は力場の階段を下りながらルシアナに尋ねる。
「エルフの族長に事の次第を伝えに行く。同行するか?」
「ええ、そうね。ドワイト君の友達でしょ? ちょっと会ってみたいわぁ」
ルシアナはなぜか心を躍らせながらついてくる。
ローガンは愛想のいい男ではない。
彼女の期待するような会話は望めないと思うが、それを指摘するのも無粋だろう。
二人がどのようなやり取りをするのかは、少し楽しみでもある。
こうして私は、エルフの一族と世界樹の森を手に入れた。




