第33話 賢者はエルフの一族を隷属とする
帝国軍は殲滅された。
接近しつつあった増援と補給を兼ねた部隊も、ヘンリーの率いる魔王軍が蹴散らした。
エルフの里に止めを刺すための要員だったのだろうが、まさか本隊が壊滅しているとは思わなかったはずだ。
出迎えに現れたのがアンデッドと魔物の軍勢とは、彼らにも同情せざるを得ない。
帝国軍の死体は残らずアンデッド化した。
欠損したものは合成し、異形のグールに仕立て上げた。
形状としては四足歩行の獣である。
魔物達が騎乗できるように設計している。
今回は必要なかったが、いずれは騎馬部隊のようなものも用意したい。
魔王軍は様々な戦況に対応できるようにすべきだろう。
人間の軍も、いずれ対策を打ってくる。
こちらも多用な戦法を採れるようにした方がいい。
戦いを終えた私達は、帝国軍の設けた臨時拠点に集結していた。
整然と居並ぶ魔王軍には、新たに数万のアンデッドが増員されている。
鎧で武装したグール達は、不気味な静けさを保っていた。
その光景はなかなかに圧巻である。
これほど大規模な軍勢になると、世界樹の森へは入れない。
踏み込むだけで少なからず悪影響を及ぼしてしまう。
エルフ達も拒否反応を示すだろう。
余計な衝突しか生まないため、速やかに帰還させるのが最善であった。
「清々しいほどに圧勝だったな。今夜はいい酒が飲めそうだぜ」
ヘンリーは満足した様子で笑う。
彼は返り血で全身が真っ赤になっていた。
怪我は見当たらない。
先陣を切ったヘンリーだが、帝国軍を相手に壮絶な肉弾戦を繰り広げた。
まさに鬼神の如き奮闘ぶりで、配下の魔物が恐れて近付けなかったほどである。
実際、迂闊に近寄れば巻き添えを受けていた可能性が高い。
魔物達の判断は賢明だったと言えよう。
「酒の前に身体の汚れを落とせ」
魔術で水を生成し、それをヘンリーにかけて返り血を洗い流す。
十分に血を落としてから、風を吹かせて乾燥させた。
彼にはまだ大事な仕事が残っている。
血でずぶ濡れのままだと困るのだ。
せめて見た目だけでも人間らしく振る舞ってもらわねばならない。
その後、魔物達に労いの言葉をかけてから、転移魔術で彼らを王都へ送り返した。
此度の戦いで増えたアンデッドも一緒に飛ばす。
向こうでグロムかルシアナが適当な場所に保管するだろう。
最悪、王都の外周を徘徊させるだけでもいい。
多少の外敵ならそれだけで防げる。
その場に残ったのは、私とヘンリーとローガンだった。
今から三人でエルフの里へ向かい、一連の出来事を里の者達に事情説明するのだ。
そして、まだ施していない者に隷属刻印を付与する。
ヘンリーを同行させるのは、エルフ達に少しでも安心してもらうためだ。
不死者の私だけが赴くよりは、幾分か印象が良い。
隷属化という時点で反感は買うだろうが、こればかりは仕方あるまい。
魔王軍が来ていること自体は、ローガンが事前に通達していた。
私も一度は里に顔を出して、結界や防御魔術を張っている。
大きな混乱はないと思いたい。
私達は世界樹の森に転移し、徒歩で里へと向かう。
結界を抜けるとそこには、大勢のエルフ達が待っていた。
ざっと数えて六百名ほどだろうか。
感知魔術によると、里に住む全員がこの場に集まっている。
誰もが族長の帰りを待っていたのだ。
心配するのも無理はない。
ローガンは魔王軍に同行して、帝国軍に攻撃を仕掛けたのだから。
色々な意味で不安を抱く状況である。
ローガンはエルフの面々の前に立った。
静寂の中、彼は話を切り出す。
「帝国軍は殲滅した。他ならぬ魔王軍の手によってだ」
場にざわめきが起きる。
エルフ達は強大な帝国軍の力を知っていた。
そのような存在が、あっけなく滅びたと聞いたのだ。
にわかには信じ難いだろう。
「我々は一族存続の危機を救われた。その恩に報いねばならないと考える」
ローガンがそこまで言った時、一部のエルフが反論の声を上げた。
「その形が隷属だというのか! 支配されるという意味では、帝国軍と同じだッ!」
「族長は、我々に卑しき不死者の奴隷になれとおっしゃるのか!」
示し合わせたような抗議だ。
ローガンから魔王軍の存在を通達された時点で、このように反論するつもりだったに違いない。
横に立つヘンリーが弓を構えるそぶりを見せたので、さりげなく睨みを利かせておく。
反論するエルフを煩わしく思ったのだろうが、ここで射殺されると収拾がつかなくなる。
私達は静観を貫くべきだ。
一方でローガンは、毅然とした態度を崩さない。
彼は鷹揚な調子で頷く。
「そうだ。我々は帝国軍という暴力に対抗するため、それを超える暴力に屈した」
またもやエルフ達の間でざわめきが広がる。
今度は強い罵倒も混ざっていた。
この地に住むエルフ達は一枚岩ではないらしい。
族長を務めるローガンを蹴落とそうと画策する者がいる。
詳しい事情は定かではないものの、様々な確執が渦巻いているのだろう。
「卑怯者、臆病者と呼んでくれていい――だが、俺は族長だ。この身に負った責務に従って選択した。今も後悔などしていない」
ローガンの言葉を受けて、エルフ達は途端に沈黙する。
罵倒していた者も尻込みしていた。
彼の覇気を前にして、何も言えなくなったのだ。
それほどまでに重みのある言葉だった。
「文句があるのなら里を捨ててもいい。俺はそれを批難しない。里に残る者には、隷属の刻印を受けてもらう。今すぐに、ここで選択してくれ」
ローガンはそこで言葉を切ると、口を閉ざして静かに佇む。
これ以上は何も語らないという意思表示だ。
選択を委ねられたエルフ達は、互いに顔を見合わせる。
反論していた者は、何か言いたげに逡巡していた。
しかし、ローガンの取り合わない雰囲気を察すると、小声で文句を言いながら立ち去る。
散発的ながらも、それに続く者もいた。
彼らはローガンの主張と方針を見限ったのだ。
「…………」
ローガンはそれを止めはしない。
ただ静かに里の者達の選択を待つだけだ。
後ろ手に握られた拳が微かに震えているのは、私だけが知ることであった。
(仕方ないことだ。拒絶する感情は理解できる)
ローガンは、一族の者から嫌われる覚悟でこのように提案した。
もっと穏便な進め方もあるはずだった。
それにも関わらず決断を強いたのは、この場で一族の行く末を明確にするためだろう。
彼は曖昧な状態を良しとしなかった。
それはある種の自己犠牲に近い。
生涯……いや、それ以上の期間に渡って汚名を被ることになる。
ローガンはそれを許容した。
たとえ愚か者と罵られようと、彼は一族のために動くと決めたのだ。
堂々たるその姿は、私という魔王の在り方に通ずるものがあった。
やがてエルフ達は選択を終えた。
大多数のエルフが、その場に残っていた。
族長代理――ローガンの妹の姿もある。
去ったのは一割にも満たない数だった。
この場にいるエルフ達は、ローガンに一族の未来を託すことにしたのである。
「お前達の意思は分かった。悔いは無いな?」
注目を浴びるローガンは、彼らに問いかける。
誰も言葉を発さない。
無言の肯定であった。
それを認めたローガンは、こちらに向き直って告げる。
「以上だ。我々は魔王への隷属となる」
「いいだろう。宣誓は聞き入れた」
彼の宣言を聞いた私は、隷属刻印を行使する。
この場のエルフ全員の手の甲に、共通の紋様が施された。
私はエルフ達の前に進み出る。
「為すべきことは完了した。さっそくだがエルフ達には魔王領への移住を命じる」
唐突な宣告に、エルフ達が激しく動揺する。
大部分が戸惑いを見せ、中には怒りを向けてくる者もいた。
「――どういうことだ。我々は隷属化を受け入れるが、この森を捨てることはできない。仮に移住するにしても、一部の者が残って管理させてもらうぞ」
さすがのローガンも、厳しい目で私を追及する。
エルフという種族にとって、世界樹の森は命よりも大切なものである。
森を守るために、彼らは尊厳を切り捨てて隷属となった。
それにも関わらず、いきなり移住しろと言われたのだ。
一族の誇りと覚悟を蔑ろにされたと感じただろう。
無論、それは誤解であった。
私は断固とした口調でエルフ達に告げる。
「エルフの一族と世界樹の森は、既に私の所有物だ。このまま持ち帰らせてもらう」




