第31話 賢者は帝国軍と交戦する
王都に戻った私は、すぐに魔王軍を連れて世界樹の森に転移した。
転移してきたのは森の中だ。
余計な混乱を防ぐため、エルフの里からは少し離れている。
わざわざエルフ達に挨拶することもあるまい。
今は戦いに専念すべきだろう。
魔王軍はこのまま帝国軍を攻撃する。
感知魔術で位置は正確に把握していた。
彼らがどういった陣形を組んでいるかも丸分かりである。
私は背後の軍勢を確かめる。
木々の合間をひしめくように並ぶのは、総勢千ほどの魔王軍だ。
その内訳として、二百は魔物で残る八百はグールとスケルトンであった。
数万の帝国軍を相手にするには、些か少ないように思える。
ただ、あまりに数が多いと、周辺環境の瘴気が濃くなってしまう。
そうなれば、世界樹の森に悪影響を及ぼす恐れがあった。
私は世界樹の森を汚染したいわけではない。
エルフを隷属化した以上、彼らの守る森も私の所有物だ。
無闇に壊したくはなかった。
それに加えて、帝国軍を殲滅するだけならこの規模で事足りる。
たかだか数万の軍勢だ。
極論、私だけでも彼らを塵にすることは可能であった。
それをしないのは、魔王軍という組織としての脅威を知らしめるためだ。
長期的な目で見れば、やはり個人より集団の力を強めていくのが有益となる。
魔王軍の戦闘訓練にもなるだろう。
帝国の兵士達には、そのための犠牲になってもらう。
「へぇ、ここが世界樹の森か。あまり神秘な感じはしねぇな」
腰に手を当てるヘンリーは、きょろきょろと興味深そうに辺りを見回す。
今回、幹部で連れてきたのは彼のみだった。
グロムとルシアナには、別の指示を送っている。
こちらの戦力は十分な上、彼らには彼らしかできない仕事をやってもらう手筈だ。
「エルフのために戦うなんて、初めての経験だな。俄然、やる気が湧くってもんさ」
ヘンリーは弓を片手に張り切る。
肉食獣を彷彿とさせる獰猛な笑みを浮かべていた。
ここ最近、大規模な戦いは起きていなかった。
戦闘狂のヘンリーは欲求不満に陥っていたのかもしれない。
元より戦いが好きで魔王軍に参入するような変わり者である。
今回もさぞ活躍してくれるはずだ。
「それで、最初は何をするんだい?」
「こうする」
私は連れてきたほとんどのアンデッドの行動を開始させた。
無言で歩行する彼らは、森の中を散開して進んでいく。
アンデッド達には保護の魔術を施しており、聖気の中でも支障なく行動できるようにしていた。
ついでに各種強化魔術を付与し、魔術や火を受けても、多少は耐えられるように工夫してある。
普段の数十倍の防御能力を持っているだろう。
たった八百足らずという数でも、ある程度の脅威となり得るはずだ。
最悪、時間稼ぎさえできればいい。
動かしたアンデッド達には、森側から帝国軍へ襲わせる。
直線距離で進むので大して時間はかからない。
あくまでも陽動なので、倒される前提だ。
少しでも帝国軍に被害を出せれば僥倖といったところである。
「大将、俺達はここで待機かい?」
「そうだ。先行するアンデッドが帝国軍と接触した時点で転移する」
「なるほどなぁ。不意打ちってわけか。そいつは楽しそうだ」
ヘンリーと会話をしていると、エルフの里の方面から一人の男が近付いてくる。
杖を携えて歩くのはローガンだった。
その姿を目にした魔物達が警戒する。
私はそれを手で制して、ローガンの前へ歩み出た。
平坦な声音を意識して彼に問いかける。
「何用だ」
「そちらの軍に同行させてほしい。一族の運命を決する戦いだ。長として参加したい」
「……いいだろう」
跪くローガンに、私は了承の言葉を返す。
彼の要求を通したところで、こちらに何らかの問題が発生するわけでもない。
反対する理由もなかった。
「ははは、立派な主張じゃないか。同行だけじゃなくて、もちろん一緒に戦うつもりなんだろう? よろしく頼むぜ」
ヘンリーは気さくな調子でローガンに握手を求める。
相手が威圧感のある族長でもお構いなしだ。
ローガンは一瞬の間を空けるも、顰め面で渋々と応じた。
「…………」
握手の際、彼は私に視線を送る。
ほんの僅かな時間だが、その目は「何だこいつは」と尋ねていた。
私は素知らぬ調子で顔を背ける。
今は配下の目があるので、あまり友好的な様子を見せられないのだ。
決して答えに窮したからではない。
それからしばらくは、その場で待機を続けた。
私は感知魔術でアンデッド達の動向を確認する。
一直線に進む彼らは、順調に帝国軍へと接近していく。
やがて帝国軍の動きが活発になった。
アンデッドを察知して、攻撃を始めたのだろう。
予想外の敵だろうに、なかなかに対処が迅速である。
徐々にアンデッドの数が減っていく。
「そろそろだな」
「了解。おいお前ら、行くぞッ!」
ヘンリーが弓を掲げながら叫んだ。
配下の魔物達は、それに呼応して咆哮する。
士気は十分だ。
心配は微塵もない。
気になることと言えば、ローガンが少しうるさそうにしているくらいだ。
迷惑そうな顔で、尖った耳を手で押さえている。
気持ちは分かるが我慢してほしい。
私は転移魔術を使い、魔王軍を森の外へ移した。
そこは、なだらかな丘のある草原地帯だった。
遮蔽物がないため戦いやすそうである。
前方には無数のテントが設置されていた。
そばには見覚えのある旗が突き立てられている。
どうやらあそこは、帝国軍の設けた即席の拠点らしい。
その先には、兵士の姿があった。
揃いの鎧を着る彼らは、森から現れるアンデッドと戦闘している。
ちょうど私達のいる位置からだと、帝国軍の背中が見えていた。
先行した陽動のアンデッド達を使って、彼らを挟み込んでいる形である。
私は手を差し伸ばし、黒い稲妻を飛ばした。
帝国軍に命中する寸前、稲妻は防御魔術の障壁に阻まれる。
さすがにその程度の策は用意していたらしい。
稲妻は幾重もの障壁を貫いた末に消滅した。
反動を受けたのか、吐血して倒れる数人の術者が見える。
「ヒュゥ、さすが大将だ。容赦がないねぇ」
ヘンリーが茶化すように口笛を吹いた。
彼はくるくると弓を回して弄ぶ。
稲妻の音と光によって、帝国軍がこちらに気付いた。
一部がこちらへの対処に移ろうとしている。
しかし、もう遅い。
魔王軍の準備は既に完了した。
ここからは私達が蹂躙する番である。
「大将、もういいかい?」
「ああ。任せる」
「よし来た!」
嬉々とした様子のヘンリーが片腕を挙げた。
そして威勢よく声を発する。
「構え!」
彼の命令を受けて、百名ほどの魔物達が横一列に並んだ。
そして弓に矢を番えて静止する。
一連の動作には欠片の淀みも無く、見事なまでに揃っていた。
恐ろしいほどの精密さである。
弓を持つ魔物達は、ヘンリーの指導を受ける精鋭だ。
これは血と汗の滲む特訓の成果なのだろう。
「――放て!」
ヘンリーが腕を下ろすと同時に、一斉に矢を発射される。
山なりの軌道を描くそれは、帝国軍に向けて雨のように降り注いだ。




