第272話 賢者は秘策に転じる
数百を超える異能が、勇者へと殺到する。
しかし彼女は、一振りの剣だけで対応してみせた。
見惚れるほどの鮮やかで、必殺の術が斬り伏せられていく。
彼女は変わらず疾走してくる。
これまでの私なら、追い込まれる頃合いだろう。
だが、現在はある種の覚醒を遂げている。
彼女の剣術に拮抗する速度で、次々と能力を発動させていった。
剣の間合いから逃れつつ、変幻自在な術を多重展開する。
(思考が明瞭だ。これほどまでに違うものか)
前方一帯を爆撃しながら、私は感嘆する。
彼女との対話で、迷いや悩みが完全に消え去っていた。
精神的に充足しており、そういったことが私の力を解放している。
真の全力を引き出せている状態であった。
爆撃地点で濛々と土煙が上がる。
そこから彼女が飛び出した。
少し汚れているが、目立った外傷は見当たらない。
切り抜けてくるのは予想の範疇であった。
(問題ない。ひたすら撃ち込むだけだ)
私はそこへ禁呪の鎖を飛ばす。
分裂して数十本になった鎖の波は、地を這うように突き進む。
彼女は縦横無尽に振りかざした剣で凌いでいった。
攻防に際する火花と金属音が絶えず鳴り響く。
一本の鎖で主力軍隊を蹂躙できるはずが、勇者は軽々と打ち砕いていた。
その光景に対し、私は追加の術を解き放つ。
ところが彼女は止まらない。
降りかかかる業火や、地面から噴き上げる雷撃、空間ごと切断する刃さえも突破してくる。
不条理な攻撃を受けるほどに、剣の輝きは増していた。
一方で私の動きも際限なく加速する。
時間操作の禁呪による効果だ。
周囲が停止したような状態の中、しかし彼女だけが通常通りの速度で動いていた。
大挙する理不尽な術を、剣だけで防ぎながら近付いてくる。
(――来る。来るぞ。勇者が、来る)
私は言いようのない喜びを覚える。
生涯、このような感覚に陥るのは初めてだった。
仮にここで死ぬことになっても、何の後悔もない。
それほどまでに清々しい気分であった。
もちろん敗北するつもりは一切ない。
私はここで彼女を凌駕する。
付き従うだけの賢者ではない。
勇者を倒す魔王として、世界に君臨するのだ。
ついに彼女は眼前まで迫ってくると、一転して攻勢に移る。
私は直感を以て防御し、合間に反撃を挟んで戦況を崩しにかかった。
端々で身体を砕かれながらも退かずに抗戦する。
(まだ遅い。この先だ。彼女を超えなくては……ッ!)
借り物ばかりの力を統合することで、私だけの強さへと昇華させる。
技量の差を搦め手で埋めて、究極の剣術に喰らい付いた。
意識を目の前の勇者だけに向ける。
音や光を置き去りにして、この戦いに没頭し続けた。
やがて私の一撃が、彼女の剣を弾いた。
ほんの僅かな隙とも言えないような瞬間を捉えたのだ。
剣は回転しながら天高く舞う。
「……っ」
彼女は目を見開いて驚いていた。
絶好の機会を逃さず、私はそこへ刺突を繰り出す。
それを跳躍して躱した彼女は、空中の剣を掴んで斬りかかってくる。
(――ここしかない)
私は落下してくる勇者を見て確信した。
空間魔術を用いて、とある物体を転送してくる。
何もない空間からせり出してきたのは、朽ちた一本の矢だった。
木の部分が腐敗して変色しており、そよ風で折れそうなほどに脆い。
私はそれを魔術で射出する。
当然、彼女は矢の軌道を見切り、剣を傾けて防ごうとする。
放たれた矢は、刃に当たって難なく弾かれた。
ところが不自然な挙動で軌道修正を行うと、推進力を得て加速する。
その矢は、吸い込まれるように彼女の胸に突き刺さった。




