第268話 賢者は勇者と問答を交わす
彼女の宣言は、私の心に強く響いた。
燻る感情を自覚しながらも、私は漆黒の剣を生成する。
そこに魔力を通して、刃を高速振動させた。
破壊力を劇的に上昇させたその状態で剣を構える。
私は幾分かの躊躇いを覚えながら彼女に告げる。
「かつて我々の正義は失敗した。魔王亡き世界は、平和とは程遠いものでした」
私は駆け出すと、真っ先に彼女へ斬りかかった。
驚異的な反射神経で防がれるも、ひたすら追撃を加えていく。
反撃できないように全力で攻撃を繰り返した。
「抑止力がいなければ、人類は争うばかりだった。故に絶対的な悪が求められている」
私は剣を片手持ちに切り替えて、空いた手に幾多もの魔術を並行発動させた。
それらを圧縮したまま維持し、彼女に叩き込もうと突き出す。
彼女は寸前で躱すと、翻った拍子に私の手首を切断した。
落下した手が魔術を暴発させた。
私と彼女は同時に退避する。
制御を失った魔術は、色鮮やかな光を飛ばしながら炸裂した。
魔術と雨が降り注ぐ中、私達は再び衝突する。
互いの剣を高速で打ち合わせて殺し合っていた。
何度か殺されながらも、私は縋るようにして攻め立てていく。
「口では魔王討伐を謳いながらも、各国は安堵しているのです。これで隣国との戦争を先延ばしにできる、と」
本当に望まれていないのなら、私は魔王になっていない。
今ならば確信を持って言える。
私は世界に抗ったのでない。
人々の願いが私を顕現させたのである。
対する彼女は、冷徹な様子で攻撃を弾いていた。
そして淡々と反論を投げてくる。
「貴方の目指す世界平和は、妥協に過ぎません」
「ええ、妥協です。私だって無血の平和を築きたい。それが不可能だと知ったから、こうして悪に徹している……ッ」
感情の高まりを認知しながらも、もはや抑えることができなかった。
心の奥底に沈ませていた本音が、腐泥のように溢れてくる。
「人々は、あなたの偉業と犠牲を侮辱した! 醜い欲望のために、使い捨てたのです!」
私は感情に任せて猛攻を続ける。
不思議と身体は軽かった。
まるでこれを望んでいたのだと言わんばかりに動けるのだ。
攻撃速度が際限なく上がっていく。
彼女は防戦を強いられていた。
先ほどまでとは形勢が逆転している。
それでも傷一つ負わせられないのは、彼女の卓越した技量によるものだろう。
「勇者様。私を倒した後、あなたは世界を平和に導けますか? あなたの考えを、教えてください」
私は剣を叩き付けながら問いを重ねる。
刹那、彼女は鋭い一撃を返してきた。
弧を描く刃が私の腕を切断していった。
そこで私は飛び退いて、ようやく足を止める。
遅れて欠損部分を瘴気で補った。
その間、彼女は無言で佇んでいた。
私の腕が治る様をじっと観察し、終了に合わせて答えを口にする。
「私は平和を導きません」
「……どういうことですか?」
私は少なからず困惑する。
予想していない言葉であったのだ。
彼女は平然と話を続ける。
「そのままの意味です。私が導くのではない。世界全体――人々が互いに協力して目指すものです。私達の行動は、そのきっかけでした」
「欺瞞だ。協力できなかった結果が今の世界です」
彼女が語るのは、ただの綺麗事だった。
ただの理想論であり、実際は決して叶えることができない。
それができるのなら、私は魔王になっていないだろう。
彼女は剣を一度だけ振るうと、雨で張り付いた前髪を掻き上げる。
少し投げやりな動作に見えたのは、気のせいだろうか。
「ドワイト。貴方の言い分は正しい。確かな真実を捉えています」
次の瞬間、彼女の姿が霞む。
私は瞬時に接近を察知すると、咄嗟に剣を動かした。
重い衝撃と金属音が走る。
瘴気の剣が欠けるも、首を狙う斬撃を食い止めることに成功した。
「しかし、貴方の生み出す未来は、閉塞しています。管理される人類に、本当の希望があると思いますか?」
「その希望とやらに執着して、争いを野放しにしろと言うのか! それが、あなたの……世界を救った勇者の結論か!」
私は声を荒げながら剣を押し込む。
踏ん張る彼女を尻目に、その首筋に刃を添えた。
密着した互いの剣は、擦れる音を立てて震えている。
(膂力ではこちらに分がある)
私はこのまま一気に押し切ろうとする。
その時、彼女は唐突に脱力して身を捻った。
抵抗感を失った私の剣は、弾みで彼女の肩に食い込んだ。
そこから、じわりと血が滲む。
切断には至っていないが、感触からして骨の表面にまで達しているだろう。
しかし、彼女は平然としていた。
いや、よく見ると大きな変化がある。
それは彼女の浮かべる表情だ。
呆れや自嘲、諦めを含む苦笑を覗かせている。
何かを痛がるようにも見えた。
今まで目にしたことのない複雑な表情だった。
肩の傷を一瞥した彼女は、意味深な声音で私に呟く。
「――あなたはクレア・バトンを美化し過ぎですね」




