第264話 賢者は勇者に挑む
私は体内の魔力を操作し、意識を研ぎ澄ます。
思考を戦うためのそれへと切り替えていく。
一方で彼女は、涼やかな笑みを浮かべていた。
「覚悟できたようですね。良い心構えです。生前の貴方ならば、きっと躊躇していたでしょう。私と戦うことを避けようとしたはずです」
「……否定できません」
人間だった頃の私は、少なくない甘さを備えていた。
それは今も完全には払拭できていないが、当時はより顕著だった。
このような状況を耐え難く思ったことだろう。
対話による解決を目論んだに違いない。
魔王となった現在は、冷静に事実を認められている。
決して心を失ったわけではない。
私情より優先すべき目的意識を掲げられるようになったのだ。
不死者になった後の日々が、迷いながらも進めるだけの精神力を私に与えた。
「剣から貴方の経験を感じ取れます。数々の苦難を乗り越えてきたようですね。貴方は何度も世界を救っている。共に戦った者として誇らしいです」
彼女は儚げな表情で述べる。
私の魔王としての軌跡を追体験したのだろう。
額面通りに捉えると優しさに満ちた言葉であったが、実際は違う。
彼女は当然ながら私を全肯定しているわけではない。
むしろその逆だと言ってもいい。
その双眸は、断固たる厳しさを覗かせていた。
やはり容認できない部分があるのだ。
具体的な出来事など今更考えることもない。
この手は、途方もない量の血で汚れていた。
「武器を取りなさい。ここで決着させましょう」
「――はい」
私は頷くと、漆黒の剣を形成する。
魔力と瘴気を練り合わせた武器で、彼女の持つ剣とまったく同じ形をしていた。
何度も振るってきたのだから、形の模倣は容易い。
私と彼女は、示し合わせたように揃って剣を構える。
互いの距離はまだそれなりにあった。
しかし、物理的な間合いなど、考えるだけ無駄だろう。
私達にとっては一瞬で消失させられる。
「不思議な感覚ですね。まるで鏡と対峙しているような気分です」
彼女は珍しそうに呟く。
私の扱う剣技は、他ならぬ彼女からの借り物だ。
構えが同一なのは必然であった。
いつもその姿を隣や後ろで見ていた。
まさか正面から対峙することになるなど、生前は夢にも思わなかった。
人間だった私からすれば、この状況は悪夢に等しいだろう。
長い静寂が場に沈殿する。
動き出す前に、彼女は口を開いた。
「ドワイト」
「……何でしょうか」
「全力を出しなさい。互いに加減は無用です」
彼女は強い口調で言った。
有無を言わせない雰囲気だった。
言葉の意味を理解した私は、すぐさま魔術を行使する。
そうして周囲に数百万のアンデッドを転送した。
魔王領の各地に待機させていた余剰戦力だ。
私達を囲うように配置させたそれらは、骨と腐肉の壁と化している。
まるで戦いを見物する観客のようであった。
地獄の如き光景を見回して、彼女は感心する。
「さすが賢者ですね。その実力は健在……いえ、さらに腕を上げているようです」
彼女の視線は、再び私へと戻ってくる。
空気が一段と張り詰め、全身に痺れのような緊張感が走った。
それを気力で抑え込む。
覇気を帯びた彼女は私に問う。
「準備はできましたか」
「ええ、万全です」
応じる私は、柄を握る手に力を込めた。
彼女は小さく頷くと、満を持して宣言する。
「――では、始めましょう」




