第262話 賢者は禁忌を発動する
その後、所長とグウェンは退避する。
蘇生の準備は既に完了しており、以降は私だけで進められる。
この場にいても、彼女達が巻き添えを受けるだけだった。
私も被害の出ない場所で術を発動させたい。
嫌そうにするグウェンを所長が引っ張る形で、二人は立ち去った。
グウェンはまだ苦手意識が残っているらしい。
どのような人物が相手でも、冗談めかした態度を貫く彼女にしては珍しい。
皮肉や揺さぶりが通じない所長には、為す術がないようだった。
グウェンにとって唯一の天敵ではないだろうか。
(そんなことはいい)
一人きりになった私は思考を切り替えた。
荒野と砂漠の混合地帯にて、魔法陣を前に佇む。
ようやく悲願が叶うのだ。
感慨深いが、思ったより緊張はしていない。
幹部達とやり取りしたおかげだろうか。
落ち着いた心境でこの場にいる。
何はともあれ、早く取りかかった方がいいだろう。
長引かせたところで得することはなかった。
配下達も、各地で戦いながら私の帰還を待っているのだ。
決心した私は、静かに術を開始する。
途方もない長さの詠唱を発し、終了と同時に屈み込んだ。
下ろした両手を魔法陣に手を当てて、所定の位置から魔力を流していく。
その途端、魔法陣は発光を始めた。
流し込んだ力が循環し、加速の一途を辿る。
魔法陣に仕込まれた複数の術式が、魔力の質量を膨らませていった。
晴天だった空を、灰色の雲が覆いつつあった。
いつ雨が降ってもおかしくないような天候へと変貌していく。
私は気にせず術を続行した。
集中が欠けて失敗などすれば、目も当てられない。
やがて魔法陣が暴風を発するようになる。
吹き飛ばされそうになった私は、両脚から生やした蔦を地面に沈ませた。
姿勢が崩れないようにしつつ、術の維持に専念する。
遺骨が音を立てて振動していた。
ほどなくして融解すると、魔法陣に染み込んで浸透する。
遺骨を吸収した魔法陣が白く変色し、魔力の循環速度をさらに上げた。
「くっ……」
膨れ上がって破裂しそうな術式を、力技で押し留める。
一瞬でも気を抜けば、術が暴発しかねなかった。
絶対に阻止しなくてはならない。
そのうち配置した魂が、狂ったように明滅を繰り返す。
まるで太陽のような輝きを放ちながら回転していた。
大地をめくり上げるように魔法陣が立体化し、生物を彷彿とさせる動きで蠢く。
無秩序に宙を乱れる魔法陣は、回る魂に殺到していった。
次々と絡まりながら、徐々に一つの形を成していく。
それは、人型のように見えた。
刹那、頭上で雷鳴が轟く。
その間隔が速まってゆき、決壊したように豪雨が併発した。
土砂降りとなった荒野の中で、魂は反抗するかの如く輝きを強めている。
間もなく魔法陣は完全に消失し、白い人型が光を噴出していた。
形見の剣の前で、跪くような姿勢を取っている。
大まかな凹凸で構成されており、個人の識別は不可能な容姿だった。
発動した術は、私の制御下から逸脱しかけている。
狙い通りの現象を起こして進行しているが、既に押し込めることは不可能な段階だ。
それほどまでに魔力が際限なく高まり続けていた。
もし術が失敗して破壊現象に変換されれば、世界を粉砕するだけの威力を内包している。
「ぐ、く……」
私は全身に亀裂が走るのも厭わず、ひたすら術の操作に注力した。
片時も目を離さず、人型が完成に迫る様を見守る。
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。
意識すら曖昧になりつつあったその時、臨界点を突破した術が大爆発を起こした。
防御する余裕もなく、私は吹き飛ばされる。
進行方向に力場を生成し、それを蹴ることで勢いを相殺した。
両膝を砕きながらも、なんとか着地する。
(どうなった?)
私は瘴気で破損部分を補修した。
豪雨を浴びながらも、顔を上げて爆発地点を見る。
膨大な砂煙が舞い上がる中に、高出力の魔力反応が確認できる。
笑ってしまいそうなほどに強大な反応であった。
グロムやディエラはおろか、私に比肩するほどの質量だ。
つまり個人単位における規格外である。
しかし、不思議と馴染みのある気配だった。
私は無意識のうちに言葉を洩らす。
「あ、ああ……」
砂煙の内部から人影が歩き出てくる。
剣を手にして現れたのは、魔王を屠りし世界最高の英傑――先代勇者だった。