第260話 賢者は先代魔王と語らう
飛び去った大精霊に感謝の念を覚えていると、ルシアナが私の肩を叩いた。
彼女は西の方角を指差しながら言う。
「それじゃ、アタシ達も持ち場に戻るわ」
ルシアナは翼を上下させて浮遊する。
持ち場まで転送できるが、自力で戻るつもりらしい。
ヘンリーは彼女の手を掴もうとするも、寸前でこちらまでやってきた。
彼は拳を私の胸部に当てる。
「大将、先代勇者に負けるなよ」
「まだ戦うと決まったわけではない」
「おっと、そういやそうだったな」
ヘンリーは思い出したようにそう言いつつ、ルシアナの手を掴んだ。
二人は上空へと舞い上がる。
その動きは翼だけの力とは思えないほどに機敏だった。
魔術で加速しているのだろう。
「曲げない信念だ! 細かいことは考えず、思い切りぶち当たればいい!」
「魔王サマ、頑張ってね。吉報を待ってるわぁ」
大声で言い残した二人は、遠くへと飛び去っていく。
彼らとの付き合いも、それなりに長い。
余計な言葉で飾らない優しさは素直に嬉しかった。
(そろそろ所長のもとに戻るか)
特にやることもない。
魔法陣の前で待機して、万全の状態でいる方がいいだろう。
そう考えて踵を返そうとしたところ、制止の声が飛んできた。
「待てい! 誰か忘れておらぬか!」
鋭い叫びは、遥か遠方からのものだった。
よく通る声を発したその人物は、猛然と接近してくる。
風を散らして疾走するのはディエラだ。
彼女は地面を滑りながら私の進路に立ちはだかる。
遅れてユゥラとドルダも登場した。
足を止めた私は、ディエラに尋ねる。
「どうした」
「ここまでの展開を考えたら、残る幹部も出てくるに決まっているじゃろう! お主は空気を読めんのかっ!」
「……すまない」
なぜか怒られたが、ひとまず謝罪しておく。
確かに三人の存在には気付いていた。
グロムと話していた段階から、彼らは遠くで待っていたのだ。
ユゥラの精霊魔術によって、こちらの会話を盗み聞きしていたのも知っている。
何をしているのか気になっていたが、他の者達がいなくなるのを見計らっていたらしい。
遠巻きに眺めるばかりで、話すことがないものだと思っていた。
「まあよい。時間も迫っていることじゃし、手短に話そう。先代魔王のありがたい言葉じゃな」
私の肩に手を置いたディエラは、したり顔で言う。
別にありがたい言葉など求めていないが、それを言えば彼女はへそを曲げるだろう。
空気を読んで黙っていると、ディエラは指を一本立てる。
彼女は穏やかな口調で助言を始めた。
「まずは対話じゃ。お主と勇者の仲なら、積もる話もあるじゃろう。存分に語らうとよい」
「次にどうするんだ」
「最初から全力で斬りかかれ。どうせ戦うことになる」
ディエラは拳を握って即答する。
なんとも彼女らしいやり方であった。
何の助言でもない。
少なからず呆れていると、ディエラは私の頬を指先でなぞった。
そして、顎を軽く掴んで視線を合わせてくる。
冗談めかした空気は霧散していた。
「これは真面目な話じゃ。勇者と魔王が対峙するのじゃぞ。穏便に済む可能性がどこにある? 両者は戦う運命じゃ。たとえ世界の意思を制御しようと、その関係は変わらぬ」
ディエラは睨むような顔を寄せてきた。
鼻先が接しそうな距離だ。
彼女は片時も視線を外さずに話を続ける。
「聡明なお主のことじゃ。心の奥底では、もう気付いているのじゃろう」
「それは……」
「勇者と手を取り合って、共に平和を築きたい。そのような未来に縋りたい気持ちは分かるし、否定もせぬ。お主が相応の覚悟を固めていることも知っているが――」
そこでディエラは言葉を切る。
彼女の瞳の奥に、昏い炎が見え隠れしていた。
先代魔王に相応しい威圧感である。
大地を震わせるほどの気迫を持って、彼女は言葉を紡ぐ。
「侮るなよ? 吾を屠りし勇者は、気高き精神を持っている。死して尚、お主を凌駕するほどにのう。ほんの僅かな心の隙が致命傷となる」
「分かっている」
「……それならばよい! 他ならぬお主も、吾を倒した賢者じゃからな! 信頼しておるぞ、うむ」
途端に態度を軟化させたディエラは、あっさりと顔を離した。
遠慮なく私の背中を叩きながら、快活に笑ってみせる。
直前までの迫力が幻のように感じられるが、きっと本気だったろう。
ディエラは私を試している。
幹部の中でも、彼女だけが異なる視点を持っていた。
同じ魔王として、私の真価を見極めようとしている。
普段は奇行ばかりが目立つが、その本質は現役時代から変わっていない――否、さらに飛躍していた。
もしも私が魔王に値しないと判断すれば、容赦なく乗っ取ろうとするに違いない。
先ほどの問答からは、そういったディエラの本心が垣間見えた。
すっかりいつもの調子に戻ったディエラは、ユゥラとドルダに話を振る。
「お主らも何か助言しておくか?」
「個体名ディエラに苦言――あなたの発言に続くのは難しいです」
「吾のことなど気にするな。自分の伝えたいことを伝えるだけじゃよ」
苦笑するディエラは諭すように述べる。
それを受けたユゥラは、私の前に進み出た。
彼女は一度だけ敬礼すると、直立不動で発言する。
「マスターに懇願――必ず生きて帰ってください。手段は問いません」
「分かった」
私は頷いて応じる。
ユゥラは安堵した様子を見せた。
今度は入れ代わるようにドルダが出てきた。
斧を担ぐ彼は私に要求する。
「新タナ、船ガ……欲シイ。帰還後二、製造ヲ頼ム」
「了解した。予定に組み込んでおく」
私欲だらけの言葉だが、大海賊のドルダらしい。
海戦に備えるために、彼の要望は叶えるべきだろう。
脳裏の経過に船の製造を追記していると、ディエラが私の名を呼んだ。
「ドワイトよ」
彼女は片腕を顔の前に持ち上げて構えていた。
すると、指先から鱗と甲殻の混合物が発生し、肘先までを覆い尽くす。
それを見せつけるようにしながら、ディエラは親しげに言う。
「本当に危ない時は、遠慮せず呼ぶがよい。先輩魔王が有料で駆け付けようぞ」
「そこは無償ではないのか」
「賭博の借金があっての。慈善事業はできぬのじゃ」
明後日の方向を見るディエラは、ばつの悪そうな顔で答える。
ユゥラから追及の視線を受けると、音の外れた口笛を吹き始めた。
その光景には、情けないという感想しか抱けない。
(落差が激しい先代魔王だ……)
先ほどまでの雰囲気が台無しであった。
真剣な調子は長続きはしないようだ。
それがディエラの持ち味なのかもしれない。




