第240話 賢者は新たな問題に直面する
事務担当の部下達が、謁見の間を頻繁に出入りしている。
そのたびに新たな報告を私にしてきた。
念話経由でも大量の情報が送られてきている。
私はそれらをまとめながら判断し、各地に命令を下していった。
室内には報告書が散乱していた。
処理し切れなくなって決壊している箇所もある。
どこかに運ぶ時間さえ惜しい状況で、放置気味となっていた。
急務は優先してこなしているが、今日中にすべてを消化するのは不可能だろう。
(相変わらず前触れが無いな……)
机に向かう私は、胸中で小さく愚痴る。
救世主の大量死から半年。
ようやく落ち着き始めた世界が急変した。
始まりは別大陸の辺境だった。
突如、何者かが魔王軍を蹂躙したのだ。
その誰かは短時間で多大な被害を出した挙句、行方を眩ませた。
私はすぐさま調査に乗り出した。
しかし、何の手がかりも見つからなかった。
相手の特徴の一つさえ掴めなかったのである。
その三日後、同じような出来事が発生した。
今度も駐在する魔王軍が破壊行為を受けて、それなりの犠牲者が出てしまった。
さらに五日後には、半日もしないうちに連続で虐殺が起きた。
以降、各地で次々と魔王軍への攻撃が繰り返されるようになった。
相手の正体は未だに不明だ。
攻撃の場所や頻度をいくら調べても、法則性が見られないのである。
清々しいほどに神出鬼没だった。
件の虐殺は、全世界で無差別に起きている。
物理的に不可能な距離でも、連続して発生することが多々あった。
このことから複数の人間が結託して実行しているか、優れた転移能力を持つのだろう。
貴重な手がかりと言えるが、正体を絞るには漠然としすぎている。
確かなことは、相手は魔王軍だけを集中して狙っている点だろう。
どれだけ防衛力を上げても、それを嘲笑うかのように突破される。
生き残った者に当時の状況を訊いたが、不思議なことに誰も相手の姿を目撃していなかった。
謎の破壊現象によって、魔王軍が虐殺されたことしか分からないという。
此度の問題は、各国にも影響を及ぼしていた。
人々は何者かが魔王軍に倒し続けていることを知ると、にわかに騒ぎ始めた。
そして彼らは噂するのだ。
偽者が淘汰されて真の救世主が現れた、と。
その期待に応えるかのように、何者かは活動の頻度を高めていた。
魔王軍も懸命に対策を打っているが、これといった進展もなく、毎日のように被害や救援を訴える報告が相次いでいる。
即座に配下達を空間魔術で退避させているため、被害の量という観点ではまだ致命的ではない。
それでも深刻な問題には違いなかった。
報告書の山に目を通していると、書類を抱えたルシアナが入室してきた。
彼女はうんざりした顔で話しかけてくる。
「魔王サマー、また出没情報が……って、すごいことになってるわねぇ。整理整頓したら?」
「今朝から何度か整理している。その上でこれだ」
「まあ、報告の量を考えればそうよね。大変そうだわ」
ルシアナは机の僅かな隙間に書類を置いた。
彼女はふと部屋の端を見やる。
そこには胡坐を掻くディエラの姿があった。
目を閉じるディエラは、真剣な表情で意識を研ぎ澄ませている。
ルシアナはそこに近寄って話しかけた。
「ところでディエラ様は何をしているの? 事務作業なんてできないでしょ?」
「ぬぅ、吾は瞑想中じゃ。邪魔をするでない」
目を開けたディエラは迷惑そうに言う。
するとルシアナは、口に手を当てて感心した。
「珍しいこともあるのねぇ……明日、雪でも降るんじゃないかしら」
そのようなことを呟きつつ、ルシアナは私のもとまでやってくる。
瞑想を再開したディエラを一瞥した彼女は、囁くようにして尋ねてきた。
「それで、本当のところは何なの?」
「謎の敵対者と戦えないのが不満なのだろう。ここで出撃の機会を見極めているようだ」
ディエラは、魔王軍を虐殺する相手を倒したがっている。
姿を見せないやり方が気に食わないらしい。
そのため出没情報が舞い込むたびに彼女を現地へ転送しているが、生憎と遭遇できていなかった。
ディエラは勢いよく立ち上がった。
髪を掻き毟る彼女は、威勢よくルシアナに声をかける。
「ルシアナ! 吾と組み手をするぞ! 鬱憤晴らしに付き合えっ!」
「嫌よ。アナタと違って仕事があるの。他を当たってもらえる?」
ルシアナはさらりと答えると、手を振って退室してしまった。
取り残されたディエラは、私のそばの椅子に座る。
彼女は口を尖らせて愚痴をこぼす。
「ルシアナの奴め……吾の配下だったことを忘れておるな」
「それは過去の話だろう。現在は同僚のようなものだ」
時期的な部分に着目すると、今代魔王軍ではルシアナの方が古参であった。
私の回答を受けたディエラは、露骨に眉を寄せる。
彼女は不機嫌そうな顔で頬を膨らませると、ゆらりと立ち上がった。
そのまま部屋の扉へと向かっていく。
「どこへ行く」
「食堂じゃ! 腹が減った!」
ディエラはやけになって叫び、謁見の間を出て行った。
私の答えが気に召さなかったのもあるだろうが、かなり苛立っているようだ。
個人的にもこの問題は早く解決したい。
ディエラの癇癪を抑えるためにも、そろそろ相手の正体を掴まなければ。




