第237話 賢者は獣に宣言する
「そもそも今回の救世主とは、些細な善行から広まり、吟遊詩人に誇張された存在です。人々の妄想や噂で肉付けされたイメージは、際限なく膨らみ続けます。全世界に知れ渡った頃には、個人が名乗れる代物ではなかったと思いますよ」
「名の重みに耐え切れなかったのか……」
救世主の発祥は、無名の人間による善意だ。
小さな人助けが起源である。
関連性のないそれらが重なり、存在しない救世主を形成した。
救世主が実在すれば、過度な噂も抑えられただろう。
しかし、そのような個人はどこにもいない。
過剰に持て囃された末に生み出された、空想の人物像だからである。
「救世主の突然死は、誰のせいでもありません。強いて言うなら、人類全体の自業自得ってやつですかねぇ。勝手に吹聴しておきながら失望するなんて、これほど傲慢なことはないと思いません?」
グウェンは嗜虐心に満ちた顔で薄笑いを湛える。
彼女は心底から人類を嘲笑っていた。
滲み出る悪意を隠そうとしない。
これが彼女の本性であった。
「お前はこの事態を楽しんでいるようだな」
「当然じゃないですか。私には無関係なわけですし。他人の不幸ほど愉快なことはありませんよ。あ、性格悪いって思いました?」
「…………」
私は無言でグウェンを睨み付ける。
彼女は、こちらの神経をわざと逆撫でしていた。
私の反応を見て楽しんでいる。
怒りを見せれば、彼女の思う壺であった。
口調を荒げることなく、私は話題を転換する。
「此度の出来事は、何らかの前兆だと考えている。お前はどう思っている?」
「そうですねぇ。概ね同じ意見ですよ、ええ。これから事態は悪化するんじゃないですかね」
グウェンは耳を掻きながら言う。
不真面目な態度だが、その眼差しは確かに思考を巡らせていた。
考えなしに発言しているわけではない。
私は彼女の意見に問いを重ねていく。
「具体的には何が起こるんだ」
「断定はできませんが、たぶん強敵が生まれるでしょう」
「強敵だと」
私がそう言うと、グウェンは頷いた。
彼女は右手の指を一本立てる。
それを回転させながら自説を語った。
「救世主達が受け切れなかった願望の力は、行き先を失って停滞しています。消滅することはありません。どこかで捌け口を作って発露します」
「その捌け口となった者が強敵になるわけか」
「大正解です! さすがはハーヴェルトさん、察しが良いですねぇ」
グウェンは私に向かって指を突き付けてきた。
彼女は愉悦に満ちた笑みで続きの言葉を述べる。
「魔王討伐を求める声と、救世主を過剰に持て囃す風潮。二重の要素が今回の世界の意思です。なかなかに強烈ですよ」
「関係ない。何者であろうと捻じ伏せる」
私は毅然とした態度で答える。
事態は混迷を極めてきた。
もはや手段を選んでいられない。
こうなったら私が強引に解決すべきだろう。
新たな敵が現れた場合、何かされる前に排除するつもりだ。
「自信満々ですねぇ。さすが魔王様って感じです」
グウェンは飄々と言ってのける。
私の圧を前にしても、彼女は平然としていた。
ソファに寝転んだ彼女は、両脚を動かしながら笑う。
まるで無邪気な子供のようだった。
しかしその本質は、無邪気さとは正反対である。
私はそんな彼女に質問をした。
「一応訊きたいのだが、対策は無いのだろうな」
「残念ながらありませんね。現時点で取り返しの付かない段階になってますから。ここで世界の意思を無理に抑え込んでも、またどこかで暴走するだけです。一旦、発散させるのが賢明ですね」
「そうか、分かった」
私はソファから立ち上がる。
そして、動きを止めたグウェンに向けて告げる。
「――私は、世界の意思を殺すつもりだ。因縁をここで断つ」
「え、ジョークですよね? もしかして本気で言ってます?」
「本気だ」
私の答えを聞いたグウェンは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
何かが不満らしい。
初めて見る表情であった。
いつも余裕を持った彼女からは想像も付かない様子だ。
私はそれに構わず宣言する。
「世界平和を邪魔するのならば、どのような存在だろうと許さない。必ず抹殺してみせる」
「いやいや、無理ですってば。世界を滅ぼさずにそんなことをするなんて、絶対に不可能ですから。まず前提として――」
「不可能を可能にするのが私の務めだ」
私は遮るようにして言う。
するとグウェンは、深々とため息を洩らした。
彼女は、寝転がったままの姿勢で私を見上げてくる。
「……難儀な生き方ですねぇ。大変すぎて後悔してません?」
「使命を失わず、こうして奔走できるのだ。悔いることなどない」
「インテリ派と思いきや、とんだお馬鹿さんですね」
「愚かであるのは自覚している」
私は何度も過ちを犯しながらここにいる。
誰に言われずとも理解している。
しかし、曲げるつもりはなかった。
これが正しいと信じているからだ。
私は踵を返す。
収穫はそれなりにあった。
これ以上の会話は今は不要だろう。
転移魔術を使う間際、私はグウェンに向けて言う。
「また知恵を借りるかもしれない。その時は頼む」
「はいはい、お任せください。拒否権もありませんし、どんどんヘルプしちゃいますよー」
グウェンはどこか投げやりな口調で応じた。
よく分からないが、彼女の中で心境の変化があったようだ。
尋ねたところで明瞭な答えは返ってこないだろう。
それを察した私は、転移でその場を去った。




