第231話 賢者は世界の意思を抗う
私はグロムの発言に動きを止める。
予想に反するものであったが、驚きは少ない。
額を掻いた私は、姿勢を正して彼に尋ねる。
「何が起きたんだ。詳しく話してくれ」
「はい、実は……」
恐縮するグロムは事情を話し始める。
暴動の起きた大陸にて、救世主を自称する者が続出したらしい。
密偵の調査によると、吟遊詩人が話を拡散したそうだ。
しかも物語を大げさに改変しているという。
曰く、救世主は名もなき英雄である。
複数人が存在し、人々を陰で助けている。
誰もがその素質を備えており、善行を重ねることで救世主となれる。
そして救世主となった者は、魂に祝福を授けられる。
これに感化された一部の人間が、救世主を自称し始めた。
事態を察知した密偵が、グロムを経由して私に報告したのである。
「なるほどな。厄介なことだ」
「申し訳ありません。もっと早い段階で計画を決行していれば……」
「謝らなくていい。私の見込みが甘かった」
噂の拡散速度が想定以上だった。
不自然なほどに広まっている。
吟遊詩人の存在を加味しても、影響力が強すぎる気がした。
世界の意思が関与しているのかもしれない。
英雄を求める人々の感情が、救世主の登場を誘発したのだ。
何にしろ、食い止められなかったのは事実であった。
(きっと誰もが本気で救世主を名乗っているわけではない)
言ってしまえば、ただの流行だ。
ほとんど娯楽に近い。
ただの一般人が、英雄のような気分に浸るための戯れだった。
本来なら、誰の害にもならない。
しかし、現状においては最も性質の悪い行為だった。
些細な可能性に世界の意思は介入し、信じ難い結果に繋げていく。
願望の集合体に理屈は通じない。
各地で自称される救世主の名は、確かな意味を持ってしまった。
その中の誰かが覚醒したとしても不思議ではない。
既に常軌を逸した能力を習得した者がいるかもしれなかった
事態を把握した私はグロムに命令する。
「件の密偵を救世主に仕立て上げるのは中止だ。これまで通りの活動を続けてもらう」
「はっ、そのように命じます。救世主を自称する者に関しましては、どうされますか?」
「ふむ……」
グロムからの質問に私は思案する。
私は彼の顔を見ながら問い返した。
「グロム、お前ならばどうする」
「わ、我ですか……」
戸惑うグロムは、側頭部を叩きながら考え込む。
やがて彼は、憎悪を滾らせて回答した。
「――即刻、皆殺しにするでしょう。大切な計画を妨げた不届き者達です。生かしておいたところで、魔王軍の利益にはなり得ませぬ」
「そうか」
「魔王様は、異なる意見をお持ちのようですな」
「ああ。皆殺しにはしない。この状況を利用する」
皆殺しは楽だ。
しかし、今の時点で実行したところで、大した意味はない。
それどころか、状況がますます悪化する恐れがあった。
大衆の不満や恐怖が刺激されて、救世主を求める心が余計に強まるかもしれない。
とにかく、既存の作戦は使えなくなった。
新たなやり方を進めていくしかない。
考えをまとめた私は、グロムに追加の命令を下す。
「自称救世主の素性を残らず暴いて監視させろ。彼らには世界平和に協力してもらう」
「かしこまりました! すぐに実行致します」
グロムは機敏な動きで退室していった。
彼の気配は城の外に飛び出すと、瞬く間に遠くへ行ってしまった。
「…………」
私は意識を背後に向ける。
開かれた窓には、ルシアナが腰かけていた。
グロムの退室と同時に姿を現したのだ。
一連の会話を盗み聞きしていたのだろう。
ルシアナは深々と嘆息する。
「面倒なことになったわねぇ。アナタ、世界の意思に嫌われてるんじゃない?」
「……否定できないな」
世界の意思には、過去に幾度も妨害されてきた
今回はなんとか出し抜けるかと思ったが、そう簡単にはいかないようだ。
ルシアナは部屋に入ってくると、私の肩に腕を回してきた。
彼女は顔を寄せて囁く。
「まあ、諸々の手配は任せて。失敗なんてよくあることよ」
「その通りだ。落ち込む暇はない」
元より完璧に成功するとは思っていなかった。
失敗も視野に入れている。
まさか救世主が乱立するとは予想外だが、対処不可能というわけでもない。
こちらには培ってきた経験と力がある。
「挽回するぞ。世界を動かすのは私達だ」
「いいわぁ! そういう台詞、ぞくぞくしちゃう」
ルシアナは愉快そうに言いながら唇を舐めた。
彼女は失敗を悲観していない。
むしろ闘志を燃やしている。
その勝ち気な態度は見習わねばならないだろう。
今度こそ、世界の意思を超えるのだ。




