第227話 賢者は悩みを抱える
その後も私は夜空を散歩していた。
次々に積もる考えに自問自答を繰り返しながら、半ば言い聞かせるようにして話題を転換する。
時折、足元が覚束なくなるも、我に返って術を調整した。
身体的な不調ではない。
むしろ正反対の要因だろう。
「…………」
自らの黒い手を眺めていると、背後に気配が出現した。
振り返るとそこにはグロムが立っていた。
グロムは胸に手を当てて私に報告する。
「魔王様、南方の大陸にて要塞の建設が完了致しました。後ほど戦力の配置をお願いします」
「分かった」
報告に頷いた私は、再び歩を進めた。
少々の間を置いてグロムが声をかけてくる。
「……何かお悩みですかな」
「新たな問題を警戒しているだけだ。悩みと言うほどでもないだろう」
私はグウェンとの会話を伝えた。
彼女から提案された対策方法についても説明する。
世界の意思や救世主については、グロムも知っている。
仕組みに関してはすぐに理解したようだ。
グロムは神妙な様子で顎を撫でる。
「ふむ。我々が英雄を用意して、そこに世界の意思を集める……と。なかなかに利口なやり方ですな。さすがは外世界の獣といったところでしょう」
「私はこの案を実行しようと思う」
「我も賛成ですぞ。問題を最小限に抑える良策です。後ほど英雄に相応しい者を準備致しましょう」
「ああ、頼む」
グロムは魔王領の様々な分野に携わっている。
私に次ぐ最高責任者の一人だ。
各地の人材についても把握しており、此度の対策に合わせた者を見繕えるだろう。
そこで会話が途切れて沈黙が訪れた。
私は気にせず散歩を続ける。
報告を終えたグロムは、黙って後方に佇んでいるようだった。
そのまま立ち去るかと思いきや、彼は唐突に発言する。
「やはり何か悩んでおられるようですな。我でよければお聞かせ願えますかな。他言はしないと約束致します」
「…………」
私は足を止めてグロムを見る。
片目に宿る炎が、心なしか弱まっていた。
風に吹かれて燻っている。
(やはり見抜かれていたか)
配下の中でも、グロムは私のことをよく見ている。
些細な心境の変化にもよく気付き、何かと気遣ってくる。
今回も私の様子から察したのだろう。
確かに今の私は、悩んでいる。
目を背けてきたが、これは間違いない。
多忙な仕事で見えないようにしてきたものの、こうして空白の時間になると露呈する。
魔王の在り方を再確認したのが逆効果だったかもしれない。
指摘を認めた私は、グロムに顔を向けずに呟く。
「すまない」
「魔王様が謝ることはありませんぞ。ご相談に乗れるなど、光栄の極みでございます」
グロムが一礼する気配がした。
彼は落ち着いた態度で話している。
いつも通りの調子を保っていた。
内心はどう思っているか分からない。
きっと心配しているのだろう。
しかしそれを表に出さず、相談相手という立場を崩さないように意識していた。
彼の善意を無駄にするわけにはいかないだろう。
「……っ」
私は胸中の悩みを口にしようとした。
ところが、反射的に躊躇してしまう。
発言することに恐ろしさを感じたのだ。
もっとも、ここでやめるという選択肢はなかった。
私は孤独ではない。
頼れる者達がいる。
独りで抱え込まないと決めたのだ。
それなりの時間を費やした末、ようやく私は悩みを吐露する。
「――私は、あの人に今の世界を見てもらいたいと考えている」




