第222話 賢者は相談を試みる
数日後、私は城のバルコニーに佇んでいた。
そこから王都の様子を見下ろす。
世界中から狙われている土地とは思えないほど平穏だった。
活気の溢れる街は、今日も発展を続けている。
「…………」
私は人々の営みを眺めながら思案する。
ここ最近、脳内の話題は一つだ。
いつもそれに悩まされていた。
何をするということもなく呆けていると、隣にルシアナがやってきた。
彼女はバルコニーの柵に頬杖をついた。
「例の救世主のこと、考えてるでしょ」
「よく分かったな」
「最近の悩み事と言えば、それくらいだもの」
ルシアナは口笛を吹く。
清らかな音色は、風に流されていった。
少々の沈黙を挟んで、彼女は話題を続ける。
「そんなに気にすることかしら。人助けが流行ってただけじゃない? お人好しはどこにでもいるものよ」
「私もそう思っている」
「じゃあ、なんで考え込んでいるの?」
ルシアナから疑問を受けて、私は彼女に向き直った。
そして、答えを告げる。
「大衆の想いは、時に形を得るからだ」
「世界の意思ってことね」
「ああ。それを警戒している」
世界の意思とは、人々の願望が構築する。
ただの願いが集結することで、大きな力へと変貌するのだ。
結果を考慮しない厄介な現象であった。
最終的に人類が滅びるような出来事さえ引き起こす。
それが人々の願望であるためだ。
難しい顔で唸るルシアナは解決策を提案する。
「心配ならあの街を滅ぼしちゃえば?」
「無用な殺戮だ。支配地でそのような暴挙に出れば、魔王領全土で反乱が起きるだろう」
せっかく平穏を保つ魔王領で、争いが勃発してしまう。
そうなれば止めることは困難だ。
さらには魔王討伐の願いが増大する。
世界の意思により、英雄が生まれやすい土壌が形成されるはずだ。
それだけならまだいい。
結果的に世界が滅びるような事象が誘発する恐れがあるのが不味い。
魔王領は今の規模がちょうどいい。
これを維持しながら、治安も調整していくのが一番だった。
世界情勢の操作は、重要な課題だろう。
様々なことを想像していると、ルシアナがこちらを向いた。
彼女は気の毒そうに私を見つめている。
「アナタの方針って、本当に難儀よねぇ。ディエラ様は割と単純だっから、余計にそう思っちゃうわ」
「……ディエラと比べれば、誰だって難儀しているだろう」
「うわ、痛烈な悪口ね。本人が聞いたら泣いちゃうじゃないかしら」
ルシアナはくだけた調子で笑った。
その時、彼女がふと閃いたように言う。
「世界の意思の関与が気になるなら、大精霊に訊いてみるのも手だと思うけど」
「獣の一件を終えて、大精霊は休眠に入った。大きな問題が起きない限り、目覚めることはないだろう」
一年前、大精霊を始めとする防御機構は、相当な活躍を見せた。
歴史を振り返っても、これだけの出来事は稀だろう。
それこそ神話時代まで遡らねば見つからないほどである。
反動で当分は活動を控えるはずだった。
実際、この一年で防御機構が発動したことはない。
状況次第だが、向こう数十年は休眠したままという可能性もあった。
ところが、ルシアナは首を横に振った。
彼女は意地の悪い笑みを覗かせる。
「魔王サマが声をかけたら飛び起きると思うわよ。もしかしたら、もう起きてるかもしれないし」
「彼女は世界を守護する防御機構だ。友人でもあるまいし、気軽に呼べる存在ではない」
「試しても損はないでしょ。ほらほら、呼んでみてよ」
「…………」
今日のルシアナは、なぜか意見を曲げようとしない。
私には分からないが、何らかの確信があるらしい。
これだけ言うのだから、試してみてもいいだろう。
私はまずユゥラと念話を繋げた。
彼女を経由して、大精霊に声を届ける。
『大精霊よ。少し頼みがあるのだが――』
「何でしょうか」
背後で声がした。
振り返るとそこには、ユゥラに憑依した大精霊がいる。
驚くべきほどの速度で現れたのだ。
その代償として、室内の事務机がひっくり返り、無数の書類が宙を舞っていた。
大精霊を前にしたルシアナは含み笑いを見せる。
「ね? 慌てて駆け付けてきたわよ」
「慌てていません。魔王の呼びかけに応じただけです」
大精霊はルシアナの言葉を食い気味に否定した。
感情が読みづらいが、少し不機嫌そうにルシアナを見ているのは分かる。
当のルシアナは「お二人でごゆっくり」と呟くと、軽やかな動作でバルコニーから落下した。
そのまま空を飛んで退散してしまう。
会話がしやすいように私達を気遣ったようだ。
(本当に顕現するとは思わなかったが、今回は都合が良い)
私は大精霊を見やる。
彼女は世界の意思についても詳しい。
救世主に関しても、何らかの手がかりが貰えるかもしれない。
このような些事で防御機構を呼び出すのは申し訳ないが、せっかくなので付き合ってもらおうと思う。




