第215話 賢者は配下の行動を見守る
ある日、密偵から念話による報告が届いた。
大陸の外の支配地にて、敵襲があったらしい。
土地の奪還を目論む現地の軍隊が侵攻してきたというのだ。
私は戦闘情報をまとめた資料を確認する。
現場はこの大陸から北上し、海を越えた先にある極寒の地であった。
常に雪の降る国で、前々から魔王軍への反発が強いとの報告を受けていた。
此度、大々的に反逆を企てたようだ。
件の支配地は、防戦の最中らしい。
事前に配置したアンデッドを利用することで、被害を最小限に抑えつつ、こちらからの応援を要請しているそうだ。
幸いにも命令系統が上手く機能しており、最善の行動を取れている。
報告を寄越した密偵によれば、半日は円滑に耐久できるらしい。
とは言え、それだけ待つ意味もない。
私はさっそく念話で配下達に連絡した。
結果、ヘンリー、グロム、ユゥラの三名が出撃することになる。
彼らはそれぞれの部下を援軍として編成した。
準備ができたところで、私が彼らを現地へと転送する。
戦力としては申し分ない。
こちらで心配するようなことは何も無かった。
安心して事務作業に戻ろうとしたところで、ルシアナが話しかけてくる。
「そういえば、今回は新兵器を試すと言っていたわ。魔王サマも、気晴らしに様子を見に行ってみたら?」
「不要だろう。後で報告だけ受ければいい」
「最近、ほとんど外出していないでしょ。たまには休憩も兼ねて観戦に行くべきよ」
「ふむ……」
考え込んだ末、私はルシアナの言葉に従うことにした。
さりげなく気遣われているのは分かった。
おそらく知らないうちに疲れているのだろう。
こういった場合は、素直に助言を聞いた方がいい。
それに戦場を目にすることで、また何か閃きがあるかもしれない。
人の死ぬ場面で気晴らしなど悪趣味な話だが、もはや今更であった。
私は虐殺が嫌いではない。
心の奥底では、人間に対する憎しみを燻らせていた。
魔王になった時点で、拭い切れない感情となってへばり付いている。
なんとも薄汚い本性だが、認める他ないだろう。
その上で私は魔王を続けると決めたのだから。
己の本心と向かい合い、精神衛生を整えていこうと思う。
机を簡単に片付けた私は、戦場へと転移した。
情報通り、一面の雪原が広がっている。
眼下には、灰色の砦がそびえていた。
幾重もの外壁に囲われており、配下達が慌ただしく駆け回っている。
あれが魔王軍の支配する土地だ。
この大陸における拠点の一つである。
視線を少し遠くにやれば、現地の軍隊が確認できた。
砦へと侵攻しており、一つ目の外壁を突破しようと奮闘している。
魔王軍は大量のアンデッドを送り込んで対抗していた。
上手く遅延に徹しているようだ。
現地の軍隊は、魔術と弓矢を多用していた。
少数だが大砲らしき兵器もある。
山なりに放たれた砲弾が、砦へと落下していった。
しかし、常時展開された防御魔術に阻まれる。
駐在する魔術師が、交代しながら障壁を維持しているのだ。
陰ながら砦の防御能力の底上げに貢献している。
砦内の広場では、先に送り出した増援の軍が集まっていた。
ヘンリーが威勢よく命令を飛ばしながら、部下を引き連れて一つ目の外壁へと向かっている。
一方でグロムが単独で浮上してきた。
途中、私を発見すると、途端に背筋を伸ばす。
そこからグロムは多量の魔力を発散し始めた。
かなり張り切っているようだ。
濃密な瘴気が渦巻いている。
(やり過ぎなければいいのだが……)
私が一抹の不安を覚える中、グロムは遥か上空を陣取った。
彼は八本の腕を広げて咆哮する。
その口から黒い炎が噴き上がり、空中で四散した。
雨のように細かくなった炎は、砦の敷地を越えて雪原へと降り注ぐ。
轟音の連鎖が空気を震わせる。
黒炎は防御魔術を貫通し、現地の軍の只中に炸裂した。
彼らは甚大な被害を受けていた。
黒炎を受けた兵士達は、悲鳴を上げて右往左往する。
仲間が鎮火しようとしているも、消えることはない。
焼死した兵士は、やがてアンデッドとして蘇った。
そうして味方の兵士に襲いかかる。
現地の軍隊は大混乱を来たしていた。
ちょうど中間地点にあたる場所でアンデッドが発生し、軍隊が前後で分断される形となっている。
指揮系統が麻痺しており、全体の動きに統率が見られない。
外壁の突破どころではなくなっていた。
グロムは二撃目を撃ち込まず、腕組みをして静観する。
彼が本気で術を放っていれば、今の一撃で軍全体が消し炭になっていただろう。
威力を加減して、撤退を強いているようだ。
少し心配だったが、グロムなりに考えているらしい。
陣形を乱す現地の軍隊を眺めていると、そばにユゥラがやってきた。
彼女は小首を傾げて顔を覗き込んでくる。
「マスターに質問――どうして戦場に来たのですか。迎撃に必要な戦力は既に過剰です」
「少し見学したかっただけだ。気にしなくていい」
「マスターの目的を理解――訓練の成果を披露します。戦闘後に評価をお願いします」
そう言ってユゥラは、両手を伸ばして集中する。
ほどなくして砦内を漂う魔力に変化が生じた。
全域が均等な濃度となり、魔術行使に最適な環境となる。
魔術師の負担を軽減するため、ユゥラが操作したのだろう。
さらに外壁付近でも変化が起きた。
降り積もった雪を押し退けて、無数の蔦が伸び上がった。
網状になった蔦は、びっしりと外壁に絡まって成長を止める。
精霊魔術で植物を操り、外壁の守りを固めたようだ。
同様の現象が外壁全体で発生している。
(自らの能力を鑑みて、後方支援を選んだのか)
直接的な暴力は、グロムとヘンリーで事足りている。
それを察したユゥラは、最適な行動を自己判断で決めたらしい。
出会った当初では考えられないことであった。
彼女も魔王軍という環境で成長しているようだ。




