第212話 賢者は獣の意向を流す
転移先は、研究所の地下だった。
その広々とした場所は、いくつかの部屋に区切られている。
一見すると上等な屋敷の中のようだった。
ここが牢獄であることを示すのは、外への扉や窓がないことくらいだろう。
室内は、転移妨害の結界で囲っていた。
内部にいるだけで、魔力や瘴気を吸い取られる仕組みである。
まず脱出は不可能だろう。
私は室内を歩いて進む。
グウェンはソファで居眠りをしていた。
そばのテーブルには、書物が山積みとなっている。
この空間における貴重な暇潰しだった。
グウェンの要望により、定期的に差し入れているのだ。
私は寝息を立てる彼女に声をかける。
「調子はどうだ」
「ぼちぼちですよ、ええ。所長さんからガン見されていない状況はいいですねぇ」
起き上がったグウェンは、気持ち良さそうに伸びをした。
皮肉ではない。
本気でそう思っているようだ。
所長による監視は、相当な心的負担だろう。
常人なら気が狂いかねない環境である。
少し辟易するだけで済んでいるのは、グウェンの強さに違いない。
私は少し感心するように呟く。
「この状況でよく耐えられるな」
「よりにもよって、ハーヴェルトさんがそれを言っちゃいます? 同情するならここから出してくださいよ」
「それはできない」
私が即答すると、グウェンは頬を膨らませた。
彼女は拗ねたように眉を寄せる。
「むむっ、まだ私を信頼できないのですね。あれだけ愛し合った仲じゃないですか」
「勝手に記憶を捏造するな。お前とは何の関係もない」
「あはは、面白いですねぇ」
グウェンは再びソファに寝転んで、愉快そうに笑った。
私をからかって遊んでいるらしい。
上体を捻った姿勢で、グウェンは私に尋ねる。
「それはそれとして、まだ私が裏切ると思ってるんです?」
「可能性は否定し切れないだろう」
「悲しいことを言わないでくださいよぅ。もう改心したんですってば。皆さんに危害を加えるつもりはありませんよ」
グウェンはため息を洩らした。
両手で頬杖をついた彼女は、片目を閉じて言う。
「強敵を倒して仲間にするって、王道パターンだと思いません? 実際、魔王軍も似たようなことをしてきましたよね。次は私の番のはずですよっ!」
「他の者は信用できる人格だった。ただそれだけだ」
グウェンの言い分は否定しない。
確かに魔王軍の中には、かつて敵対していた者がいる。
彼らは相応のやり取りを経て、信頼の置ける仲間となった。
一方でグウェンは油断ならない。
どこか底知れない部分があるため、こうして完全に幽閉している。
何か秘策があり、あっさりと抜け出すのではないかと思わせる雰囲気があるのだ。
それを気のせいと思わせないのがグウェンだった。
「外世界の獣なんて、もう私しかいないんですよ? 宇宙にはまだまだ生息してますが、私を助けようなんて酔狂な個体はいないわけですし。ハーヴェルトさんのことですから、この一年で宇宙の探査も行ってるんですよね?」
「当然だ」
一年前、侵略を目論んだ個体はグウェンを除いて殲滅したが、それがすべてではない。
宇宙にはまだ外世界の獣が跋扈している。
再度の侵略を警戒した私は、先手を打つために宇宙へ赴いた。
そして禁呪の連打により、大量の獣を殺戮した。
凄まじい力を有する個体が幾体も襲ってきたが、私は凌駕する獣はいなかった。
偽りの神を筆頭に、私は大量の獣を吸収している。
結果として超絶的な力を得ていた。
魔王になった当初とも比較にならない能力である。
たとえ外世界の獣だろうと、私には敵わない。
現在、この世界は大規模な結界で覆っている。
新たな脅威がやってこないように抑止しているのだ。
偽りの神のような存在でなければ、結界には傷一つ付けられないだろう。
グウェンが大欠伸をして、眠たげな目を私に向けた。
「この状況で逆襲をする気概なんてありませんから。あなたに喧嘩を売ったら、今度こそ殺されちゃいますからねぇ。ぶっちゃけ勝ち目ゼロですよ、いや本当に」
呆れたように愚痴るグウェンは、急に姿勢を正す。
彼女はソファの上で頭を下げた。
「というわけで、私を魔王軍に所属させてください! 雑用でも何でもしますから! ここから出してくれるのでしたら、どんな無理難題でも――」
「考えておこう」
私はそっけなく答えて踵を返す。
すぐさま背後から抗議の声が飛んできた。
「もう! いっつもそれじゃないですかーっ! 私、ずっといい子にしてましたよね!? そろそろデレ期を見せてくれても……って、ちょっと待ってくださいよ! ねぇ、ハーヴェルトさーん!」
呼び止められる声を無視して、私は所内の地上階に転移する。
そこでは所長が待っていた。
「お疲れ様でした」
「私が不在中も、あのような調子なのか」
「いえ、基本的に大人しいですね。魔王様への面会を希望するくらいでしょうか。私とも会話をしたくないようで」
所長は冷静に述べる。
研究とは関係ない事柄のため、実に淡々としていた。
普段の言動からは想像できないほど落ち着いている。
「ふむ……」
「彼女を解放するおつもりですか?」
「いずれな。グウェンも十分に懲りただろう」
頃合いを見て、宇宙に帰せばいい。
もし復讐を目論むのなら、その時は滅ぼすまでだ。
グウェンも馬鹿ではない。
二度とこの世界に近付こうとはしないだろう。
「すまないが、引き続き監視を頼む」
「了解です! お任せください!」
敬礼する所長に任せて、私は城へと戻った。




