第21話 賢者は勇者に告げる
百を超える瘴気の杭が宙に浮かぶ。
それらは、あらゆる角度から次々と射出されていた。
「チィ……ッ」
勇者は迫る杭を聖剣で打ち払う。
なかなかの反応速度だ。
戦闘が始まってからそれなりの時間が経過しているが、彼はまだ足掻いている。
死なないように、勇者は必死で立ち回っていた。
しかし、その全身には大小様々な傷が付いている。
それに伴う出血が草原を赤く染めていた。
さすがの勇者でも、完全には対処し切れていないのだ。
「魔王……!」
時折、勇者は私に接近してくる。
不意を突いた攻撃だが、私は難なく受け止めてみせた。
そこから杭を飛ばして反撃を行う。
生前の私なら、様々な防御魔術を駆使していただろう。
勇者との距離を取るように意識したはずだ。
現在の私はそこに執心する必要が無い。
あの人の剣術は、勇者のそれを凌駕していた。
途方もない鍛練と魔族との死闘で培われた力だ。
そう簡単に超えられるものではない。
勇者は、瘴気の杭を相手に苦戦していた。
いくら破壊しても、何事も無かったかのように復活するためだ。
一方で私にはまだまだ余力が残されている。
やはり勇者と私の間には、覆しようのない力の差があった。
私は手元に瘴気の槍を生成する。
それを指の動きで発射した。
「……っ!」
反応した勇者は、振り向きざまに聖剣で槍を弾く。
次の瞬間、勇者の背後から放たれた杭が、彼の右太腿を捉えた。
血に濡れた鋭利な先端が皮膚を破って飛び出す。
「……うぁ!?」
勇者は片膝をついて呻いた。
そこへ畳みかけるように十本の杭を放つ。
「ぐうぅ……ッ」
勇者は無理やり地面を転がって回避行動を取った。
命中しそうな分は聖剣で防ぐ。
それでも一本の杭が彼の脇腹を抉った。
勇者は歯を食い縛って耐える。
(まだ死なないか。しぶといな)
生身の肉体に瘴気が流れ出す苦痛は計り知れない。
普通ならすぐさまアンデッド化が進行するはずなのだ。
勇者は意志の力だけで抵抗していた。
「はああああぁッ!」
負傷した身体で勇者は叫ぶと、私に向かって駆け出してきた。
聖剣で膨らみ上がる極光。
彼は振り上げによって光の斬撃を飛ばしてくる。
そこまで予想していた私は、すぐさま防御魔術を張って受け止めた。
光の斬撃を受けた表面に亀裂が走る。
勇者の底力を前に、防御が破られそうな気配を覚えた。
(よくやるものだ……)
私は追加の魔術を行使する。
地面から伸びる数百の蔦が、私の眼前に寄り集まって壁となる。
蔦の壁は、焼け焦げながらも光の斬撃を受け切った。
その時、視界の端を何かが過ぎる。
蔦の壁の脇を抜けた勇者だった。
光の斬撃を陽動に駆け抜けてきたのだ。
「死ねェッ!」
鋭い軌道の聖剣は、私の首を刎ねようとしていた。
私は形見の剣で受け流し、切っ先で勇者の胸を貫こうとする。
勇者は血を撒きながら飛び退き、間一髪で刺突を躱した。
私はそこへ再び瘴気の槍を撃ち込む。
並行して無数の杭も動かした。
勇者は聖剣で槍を払うことに成功するも、しかし杭には対応できない。
雪崩れ込んだ杭の雨が、彼の背中に浴びせられた。
「ゴハ、ァ……っ」
勇者は吐血し、前のめりになって倒れた。
血に沈む彼は小刻みに震えている。
私は遠巻きに勇者を眺める。
「終わりだな。戦いは決した」
「ぐっ……ま、まだだ……」
勇者は聖剣で地面を突き、血をこぼしながら立ち上がる。
顔面は青白く、こちらを睨む目の焦点も合っていない。
放っておいても死にそうな有様である。
「諦めろ。ここで立ち上がったところで無意味だ。お前が勝てる可能性は存在しない」
私が告げるも、勇者は首を振って拒否した。
彼は血を飛ばしながら顔を上げる。
「だけど、俺がここで死ね、ば……世界の、平和が……っ」
「平和か」
無意識のうちに呟く。
私達が追い求めるものは一致していた。
それなのに立場は双極に位置する。
勇者は聖剣を杖のようにしながら近付いてくる。
「お前、さえ……お前さえ倒せばッ、世界は平和に、なるんだァ……ッ!」
「それは誤りだ」
私は断固とした口調で否定した。
勇者は怪訝な表情を浮かべる。
せっかくだ。
少し気になっていたことを確認してみよう。
そう考えた私は勇者に問いかける。
「クレア・バトン。ドワイト・ハーヴェルト。これら二つの名に聞き覚えはあるか?」
「…………」
血だらけの勇者は思案する。
私の質問の意図が掴めないのだろう。
答えるべきか迷っている。
その間、私は無言で待ち続けた。
しばらくして、呼吸を整えた勇者は口を開く。
「およそ、十年前……当時の魔王を殺し、その力を奪おうと、した……堕ちた英雄達だ。それが、どうした……?」
「お前の理想に対する反証だ」
私は瘴気の杭を発射し、勇者の手足に突き刺した。
勇者は再び地面に伏す。
そこに追加の杭を打ち込んだ。
勇者は寸前で聖剣を動かし、辛うじて防御した。
直後に腕を投げ出して吐血する。
聖剣の刃は、光を失いつつあった。
「魔王を倒して平和を取り戻す。極めて真っ当な方法だろう。しかし、駄目だった」
「どういう、ことだ……」
「試したが失敗したのだ」
脳裏を数々の光景が過ぎる。
死者の谷で民衆に罵倒された記憶。
片目に矢が刺さって閉ざされた視界。
死の淵に立つあの人の表情。
世界を救った私達への返礼は、選択の過ちをありありと表していた。
今でも片目と胸に疼きを覚えることがある。
もはや存在しない部分だというのに。
「名も知らない聖剣の勇者よ。お前の主張は何も間違っていない。私もかつては通ってきた道だ」
狂っているのはむしろ私だ。
悪逆の限りを尽くす魔王は、正義の使徒である勇者に倒されるのが王道だろう。
それを為すことで人々は救われる。
私はそう信じてあの人に付き従い、ついには魔王を討伐した。
「ただ、世界はあまりにも残酷で、絶望に満ち溢れている。お前の理想が嘲笑われ、吐き捨てられるほどに」
「……うぅ……」
勇者は既に虫の息である。
首だけを動かして、私を見上げるのが精一杯だった。
まだ生きているのが奇跡であった。
傷口から流れ出した血液が、じっとりと土を濡らしている。
「ここで私の屍を踏み越えたとしても、いずれ深い絶望を味わっていただろう。そして私の言葉の意味を知る」
私は勇者に歩み寄る。
全身に杭が埋まるその姿は、憐れで無力だった。
しかし、嘲ることは許されない。
勇者という重荷を背負い、正義のために奔走した青年だ。
彼は悪くない。
私を含めた世界こそが間違っていた。
正しさだけでは生きていけない。
「お前はもうすぐ死ぬ。だが、平和を願うその意志は私が継ごう。お前にとっては本望ではないだろうが」
「…………」
勇者は答えない。
彼は俯いたまま動かなかった。
地面の血だまりが広がっていく。
(ついに死んでしまったか)
それを確かめるため、彼の身体を起こそうとする。
刹那、血みどろの手が私の腕を掴んだ。
「あきらめてぇッ、たまるかああああアアアァァァッ!」
満身創痍のはずの勇者が立ち上がる。
彼は私の腕を引きながら、白光に燃える聖剣を振りかざした。
「――見事だ」
それだけを告げて、私は形見の剣を一閃させた。
途端、勇者が動きを止める。
彼の胴が斜めに割れ、そして静かに鮮血を迸らせた。