第208話 賢者は宴を満喫する
二日後、王都では勝利の宴が開かれていた。
外世界の獣は、残らず討伐した。
混乱の元凶を取り除いたことで、大陸には束の間の平和が訪れている。
城下街でも祭りが催されており、かなりにぎわっている様子だった。
様々な種族の民が、好きに騒いで過ごしている。
私は城の一室にいた。
ここは限られた者のみが入室できる空間である。
その方が落ち着いて楽しめるかと思った。
しかし、その見込みは大きな間違いだったらしい。
「ドワイト! おお、ドワイトよ!」
大股で歩み寄ってくるのは、グラスを掲げるディエラだ。
彼女は赤みの差した顔で笑っていた。
随分と酒が回っている様子である。
ディエラがよろけて倒れ込んできた。
ぶつかる前に障壁を展開する。
障壁にへばり付くことになったディエラは、不服そうに立ち直した。
私はそんな彼女に問いかける。
「何だ」
「乾杯じゃ!」
そう言ってディエラはグラスを振りかぶる。
私は手元のグラスを掲げてみせた。
ディエラは嬉しそうに腕を振り下ろしてくる。
互いのグラスが衝突し、甲高い音が反響した。
ディエラは、酔いのせいで力加減ができなくなっている。
咄嗟にグラスを強化していなければ、派手に砕け散っていただろう。
疑似ゴーレムごと爆発したディエラだが、この通り無事だった。
再起不能になったゴーレムの残骸から自力で生還してきたのである。
同じく生き残ったヘンリーは、現在はローガンに酒を飲ませていた。
ローガンはかなり迷惑そうだが、不承不承と言った様子で受け入れている。
断るのが面倒になったのかもしれない。
私は室内を見回す。
ドルダとユゥラは先ほどまでは同席していたが、今は魔王軍の一般兵の宴会に参加している。
遠視の魔術で確かめたところ、盛り上がっているようだった。
端の席に座るルシアナは、夜景を眺めながらワインを満喫している。
「相変わらず辛気臭い顔じゃのう」
ディエラが私を覗き込むようにして言う。
なぜか憐みを含んだ視線だった。
「骨なのだから、表情は変えられない」
「そういうことではない。お主は頭が硬いのう」
ディエラは大げさにため息を吐いた。
その背後に大きな影が現れる。
片側の眼窩に炎を宿らせるのは、激昂寸前のグロムだった。
「先代よ。魔王様に何たる無礼を――」
「吾はドワイトの先輩じゃ! つまり何をしてもよい!」
「ぐぬ、詭弁を……」
グロムは悔しそうに怯む。
別に魔王の先輩だからと言って、やりたい放題というわけではない。
詭弁未満の言い分であった。
しかしグロムは、ディエラの堂々とした主張に気圧されているようだ
私は気配を消してさりげなく移動した。
ディエラとグロムは言い争っている。
沈静化するまで放っておくのが正解だろう。
私はルシアナのもとへと赴いた。
彼女は、呆れた表情で両者を一瞥する。
「いつも喧嘩してるわよね、あの二人。子供みたいで参っちゃうわぁ」
「…………」
私は無言でルシアナを見つめる。
冗談を言った様子ではない。
彼女こそ、グロムと頻繁に言い争っている印象があった。
かなり初期の頃からそうだった記憶だ。
「魔王サマ、今ちょっと失礼なことを考えなかった?」
「……気のせいだ」
私は首を振って否定する。
ルシアナは勘が鋭い。
余計なことを考えるべきではないだろう。
その後、雑談を交わしながら夜景を楽しんだ。
ルシアナはワインを飲み干したところで席を立つ。
「じゃ、アタシは部下のところに顔を出してくるわ。魔王サマも、今夜はきちんと楽しんでね?」
「分かった」
私は頷くと、ルシアナは扉から退室する。
入れ替わるようにして、背後に気配が出現した。
幹部のものではない。
振り返るとそこには、大精霊が立っていた。
私は困惑を隠して彼女に尋ねる。
「なぜここにいるんだ」
「ご迷惑でしたか?」
「そうではない。予想していなかっただけだ」
大精霊が宴にいるとは、なんとも不思議な光景である。
誘ったところで来るとは思わなかった。
今回は共通の敵がいたので協力していたが、根本的には味方とは言えない関係だ。
あくまでも敵対の機会がないだけであった。
私は手頃な場所に置かれた空のグラスを手に取った。
そこに果実酒を注いで大精霊に渡す。
「飲むか」
「ありがとうございます」
大精霊はグラスを受け取ると、口にあたる位置に当てて傾けた。
中身が徐々に減っていく。
グラスを離した大精霊は、話題を切り出した。
「この度は助力に感謝します。おかげで外世界の獣を殲滅できました」
「こちらこそ助かった」
私は素直に返す。
これは本当のことだった。
大精霊がいなければ、さらなる被害が出ていただろう。
彼女が率先して動いてくれたのは幸運と言う他ない。
「他の防御機構はどうなっている?」
「大半が役目を終えて眠りにつきました。個体によっては数百年後まで目覚めないでしょう。わたしも休眠に入ります。何かあれば、ユゥラを介して接触させていただきます」
「そうか」
防御機構は、世界を守護するのが目的である。
獣という脅威が消滅した今、自由に顕現できる状況ではなくなった。
「…………」
大精霊はそこで沈黙する。
彼女は室内を眺めながら佇んでいた。
妙に気まずい空気だ。
私は探るように尋ねる。
「まだ何かあるのか?」
「いえ。何もありません」
心なしか早口で応じた大精霊は、その姿を薄れさせていく。
そのまま消えるかと思いきや、彼女は途中で発言する。
「忘れていました。一つだけ忠告しておきます。その強大な力ですが、使い方にはくれぐれも注意してください」
「防御機構の攻撃対象になるからだな」
私が答えると、大精霊は頷いた。
彼女は少々の間を置いて呟く。
「あなたとは敵対したくありません」
「私も同じ意見だ」
「それでしたら結構です。宴の最中に失礼しました」
大精霊は今度こそ消失した。
気配が完全に感知できなくなる。
どこかで休眠に入ったのだろう。
「大将、大変だっ! ローガンがぶっ倒れちまった! 魔術で回復してくれ!」
ヘンリーの声がした。
視線をやれば、ローガンが揺さぶられている。
まるで死体のような有様だった。
酒の飲み過ぎが原因だろう。
私は席を立つと、彼らのもとへ歩いていく。
「……ああ、分かった」
窮地を越えた魔王軍だが、まだまだ問題が山積みだった。
しかし、たまには息抜きも必要だろう。
今はこの時間を楽しもうと思う。




