第206話 賢者は塔を駆ける
私は疾走する。
その際、風の魔術と身体強化で一気に加速した。
触手は突き刺すように迫る。
全力で私を食い止めようとしていた。
(十分に脅威だが、問題ない)
対する私は供給される瘴気を行使して、魔王の権能として放射する。
互いの力が衝突するも、私の瘴気が凌駕した。
触手は先端から腐敗すると、煙を上げて液状化する。
私を傷付けることはなかった。
腐り果てる触手の間を駆け抜けていく。
黄金の塔が振動し、表面から高速で何かが放たれた。
それは半透明の球体だった。
私は形見の剣による斬り上げをぶつける。
球体は真っ二つとなり、背後で地面に接触した。
接触箇所が破裂して粉微塵となる。
強い破壊概念が内包されているようだ。
もっとも、あの人の剣術には通用しないらしい。
その事実が心強く、安心した。
腐敗する触手は、被害を無視して殺到してくる。
とは言え、疑似ゴーレム対処にも割かれているため、先ほどまでの勢いに比べると手数が少ない。
私は触手を切断し、腐液の只中を跳躍していった。
触手を踏み越えて突き進む。
途中、遠方から爆発音が聞こえてきた。
疑似ゴーレムが、大量の触手に捕まって破損している。
光の鎖やヘンリーの射撃が追いつかなくなったようだ。
崩壊する巨躯を振り乱して抵抗し、少しでも私の負担を減らそうと粘っている。
(助けに……いや、違う)
私がすべきことは、彼らの救護ではない。
このまま前進し続けることであった。
二人の努力を無駄にすべきではないだろう。
私は禁呪による黒炎を打ち放ち、前方の触手を焼き尽くす。
さらに多数の結界を張って、後続の触手を押し退けた。
私の進路を確保するように維持する。
隙間から這い寄る分は剣で斬り伏せた。
時には転移で強行突破する。
気が付くと、周囲は腐った触手で埋め尽くされていた。
他には何も見えない。
荒れ狂う瘴気が五感を刺激していた。
偽りの神が、私に精神汚染を施そうとしているようだ。
私は死者の谷から供給される力で防御する。
細かいことを考えず、ただひたすらに距離を詰めていった。
些細な迷いや苦痛が判断の過ちを誘う。
いつ終わるかも分からない壮絶な攻防の中、意識を極限まで張り詰めて動き続けた。
そして時間感覚も消失した頃、私はようやく触手の守りを抜け切った。
眼前には、黄金の塔が立っている。
表面の人間の顔は、絶えず呻き声を洩らしていた。
私は目視転移を連続して、塔を垂直に駆け上がっていく。
発射される球体を躱しながら、そのまま高速で頂点まで達した。
形見の剣を掲げた私は、塔に向けて宣告する。
「――終わりだ」
刃を塔に添えて、重力に引かれるまま落下を始める。
かつて魔王を殺した剣が、瘴気を満たす黄金の塔を縦断していく。
紙のような斬り心地だった。
立派なのは見せかけで、実際は呆れるほどに脆い。
それはこの塔の本質を表していた。
地面に着地した私は、剣を振り抜いて鞘に収める。
確かな手応えを覚えながら、顔を上げた。
黄金の塔は、刃の通った箇所から一筋の光を迸らせていた。
光はだんだんと広がり、それに伴って塔自体が傾きつつある。
頂点から真っ二つに割れ始めているのだ。
もはや食い止めることはできない。
希望と崇拝を湛えた獣は、めくれるようにして倒れていく。




