第2話 賢者は不死の国の魔王となる
街道に沿って歩く私は、ほどなくして王都に到着した。
正門は封鎖されている。
都市を囲う壁の上には、兵士達が待ち構えていた。
私達の接近を察知して籠城を決めたらしい。
魔術や弓矢でこちらを殲滅するつもりなのだろう。
悪くない案だ。
こちらはアンデッドである。
離れた地点から一方的に攻撃するのは最適解と言える。
そんなことを考えていると、兵士達が攻撃を開始した。
弓矢の一斉射撃だ。
山なりの軌道を描く矢の雨が降り注いでくる。
「…………」
私は処刑された時の光景を思い出す。
民衆の嘲笑。
心臓と片目を貫く矢。
圧倒的な絶望。
谷底へ落ちていく彼女。
我に返った時、後続のスケルトンやグールが串刺しにされていた。
矢で手足を地面に縫い留められて、行動を阻害されている。
今ので数十のアンデッドが被害を受けてしまった。
向こうには腕のいい射手が揃っているようだ。
放っておけば第二射が来る。
されど私は慌てない。
彼らの誤算は、この襲撃をただのアンデッドの氾濫だと思っていることだ。
死者の谷の砦から連絡を受けていないのだろう。
油断はしていないものの、こちらを過小評価している節がある。
魔術を温存している点などが良い証拠だ。
この辺りで真実を突き付けよう。
「――刮目せよ」
私は前方に手をかざす。
手のひらに小さな火球が生まれた。
魔力を注ぐと急速に膨らみ、そのまま家屋を包み込むほどの大きさになる。
押し出すように意識すると、火球は勢いよく発射された。
一直線に飛んだ火球は、正門を木端微塵に吹き飛ばす。
それに伴って、爆風と熱気が壁上の兵士を蹂躙していった。
「うぎゃああぁっ」
「ひいいいぃッ!?」
「み、水だ! 水を持ってこい!」
正門に近い者は大火傷を負っていた。
悲鳴を上げて壁から落下する者もいる。
軽傷だった兵士は、治療を行うために駆け回る。
今の一撃で甚大な被害が巻き起こっていた。
「ふむ……」
私は骨の手をまじまじと見る。
門に穴を開けられれば良かったのだが、それ以上の成果となってしまった。
生前とは比べ物にならないほど魔術が強力になっている。
出力が段違いだ。
死者の谷の魔力を吸収したのが原因だろう。
兵士が混乱する隙に、私はアンデッドを引き連れて前進した。
正門跡を抜けて王都内へ浸入する。
街の住民は逃げ惑っていた。
避難が遅れているようだ。
これだけ早い段階で正門を突破されるとは思っていなかったのだろう。
かつては私達を嬉々として貶めたというのに、彼らは情けない姿を見せている。
互いに押し合い、少しでも私から離れようとしていた。
転倒して人々に踏まれ続ける者もいた。
その光景には憐憫を覚えそうになる。
彼らにとって今の私は、日常を脅かす悪魔に違いない。
投石と共にぶつけられた罵倒の中には、私達をそのように呼ぶ声もあった。
晴れて望まれる通りの存在になったわけである。
「今だ! ありったけ撃ち込んでやれェ!」
「グールには火魔術だ! 魔術師をもっと呼んで来い!」
「詠唱の間を空けるなッ! 魔力はここで使い果たしてもいい!」
後方から叫び声がした。
矢に加えて、散発的に魔術が炸裂している。
後続のアンデッド達が攻撃を受けていた。
壁の上の兵士の仕業である。
必死で私達の侵入を阻止しようとしていた。
「無駄なことを……」
鬱陶しく思った私は、壁上を一瞥する。
すると、百体ほどのアンデッドが壁をよじ登り始めた。
互いの身体を支えにして、意外なほどの速度で上に到達する。
壁上のアンデッド達は、数に任せて兵士達を惨殺していく。
スケルトンは兵士の武器を奪って振り回す。
グールは兵士を押し倒して喰らい付く。
対処に追われる兵士は、こちらを攻撃するどころではない。
彼らはあっという間に壊滅してしまった。
グールになって起き上がる兵士を横目に、私は大通りを闊歩する。
住民はひとまず無視して進んだ。
今は真っ先に目指すべき場所がある。
細かい処理は後回しだ。
しばらく進んでいくと、前方に整列した兵士を認める。
屋根の上にも陣形を組んでいた。
彼らは指揮官の号令で弓矢を構える。
ただの矢ではない。
鏃が白く発光していた。
どうやら聖魔術が付与されているらしい。
アンデッドを滅する上では、最も手軽で最適な手段である。
(正門の兵士は時間稼ぎだったか……)
左右を建物に挟まれた通りで矢を回避するのは難しい。
そう判断した私は、棒立ちで待機することにした。
試したいことを思い付いたからである。
あの人の骨が入った布包みだけは、魔術で完全に保護しておく。
傷つけられては堪らない。
すぐに聖なる矢が発射された。
数十にも及ぶ白い光が、見事な軌跡を描いて迫る。
先頭を往く私は、全身を蹂躙された。
骨の身体が次々と粉砕され、浄化される苦しみを知覚する。
形が崩れていく瞬間を感じながら、私の視界は暗転した。
そして、すぐに切り替わる。
目の前には崩れ去った無数のスケルトンが散乱していた。
矢が隙間なく突き刺さっている。
私は背後を見る。
そこには、一斉射撃の範囲外にいたスケルトンとグールが控えていた。
続けて私は身体を見下ろす。
白かった骨が瞬く間に漆黒へと変貌していく。
滲み出した瘴気が全身に浸透し、炎のようにくゆる。
「……やはり、問題なかったか」
私はスケルトンの一体を媒体に蘇った。
支配したすべてのアンデッドに私の因子が内在している。
たとえ身体を破壊されても、いずれかの個体から復活可能だった。
これは死者の谷で得た権能の一つである。
配下のアンデッドが存在する限り、私が滅ぶことはない。
そもそも聖なる矢が大した効力を持っていなかった。
私の魂には、欠片の損傷もない。
浄化の苦痛も我慢さえすればいい。
たとえ何千本と受けようが、私は問題なく蘇るだろう。
「復活しただと……ッ!?」
「不死者は聖魔術に弱いはずなのに! なぜだ!?」
「ボサッとするな! 矢を番えろォッ!」
兵士達に動揺が走る。
親玉である私を討伐できたと勘違いしたようだ。
慌てて第二射を用意し、一斉に発射してくる。
彼らには悪いが、能力の検証は済んだ。
今度はわざと食らう必要もない。
私は魔術の突風で妨害する。
軌道が逸れた矢の雨は、次々と街の建物に突き立った。
当然、こちらの陣営に損害は出ていない。
私は前方に散らばるスケルトンの残骸に手をかざす。
流れ出した瘴気が残骸を汚染した。
骨の破片が蠢き、組み合わさって形を作っていく。
出来上がったのは数十頭の骨の狼だった。
元が人型なので、形が歪な上に大柄だ。
兵士達がどよめく。
それを聞きながら私は命令を発した。
「――喰らい尽くせ」
骨の狼は、かしゃかしゃと音を鳴らしながら疾走した。
アンデッドとは思えないほど俊敏な動作だ。
狼は攻撃準備の済んでいない兵士達に跳びかかり、瞬く間に陣形を崩していく。
驚異的な跳躍力で屋根の上の者にも襲いかかっていった。
頑丈な顎で生者の首を捉え、荒々しい動作で噛み千切る。
死んだ兵士はグールとなって私の支配下に落ちた。
そして仲間を増やすために動き出す。
凄惨な光景を眺める私は歩く。
途中、布包みを拾い上げた。
手で払って土埃を落とす。
破損した様子はない。
防御系統の魔術も、生前より強化されているようだ。
私は壊滅した兵士達の間を通過する。
骨の狼と追加のグールを合流させて再び前進した。
血みどろの石畳に足を取られないように気を付ける。
その後も私は王都内を侵略していく。
何度か兵士達による反撃があったが、これまでと同様に粉砕する。
戦いを経るごとに、私の配下は加速度的に増大した。
死者を使役可能なアンデッドにできるからだ。
損壊して行動不能になった個体も、残骸を寄せ集めて新たなアンデッドに組み替える。
道中の戦闘は、私自身の力を確かめる良い練習にもなった。
やがて私は王城に到着した。
城に続く跳ね橋が上がっている。
その前には兵士達が立ちはだかっていた。
防御魔術を張り、私達の接近を阻む態勢を整えている。
ここで食い止めるつもりのようだ。
(無駄な努力を……)
向こうが何かをする前に、私は火球を放って防御魔術を吹き飛ばす。
陣形が崩れたところへ骨の狼をけしかけた。
大した苦労もなく兵士達を殲滅する。
私と彼らでは、存在の格が違う。
策の無い力任せな一撃でも、簡単に戦況を決することができる。
上がったままの跳ね橋の代わりに、スケルトンを密集させて向こうまで伸ばした。
死者の谷で階段を作った時と同じ要領だ。
私は骨の橋を渡って城の前に着く。
閉ざされた門を魔術で壊し、堂々と敷地内へ踏み込んだ。
そこからもアンデッドによる無慈悲な蹂躙が続いた。
各所に配置された魔術師の部隊を一蹴し、精鋭揃いの近衛騎士団を残らずグールに変える。
数千ものアンデッドを城内に巡らせて犠牲者を増やしていった。
混乱は加速度的に広まり、阿鼻叫喚の地獄を生み出す。
その間、私は迷うこともなく城内を進んだ。
過去に何度も訪れたことのある場所だ。
内部構造は把握している。
そうして辿り着いたのは、城の最上階だった。
目の前には金細工の扉があり、厳重に施錠されている。
フロア全体が一つの部屋となっていた。
ここは国王の私室である。
感知系の魔術で探索したところ、部屋の主は室内に閉じこもっていた。
私の襲撃が始まってからほとんど動いていない。
籠城していれば、兵士が解決すると思ったのだろうか。
だとすれば見込みが甘い。
仮に脱出を図られても、逃がさないだけの自信はあった。
あの男と再会するために、はるばるここまでやって来たのだ。
どんな手段を使ってでも捕縛してみせる。
「ふむ……」
私は魔力の流れから扉の仕掛けを解析する。
魔道具による結界が何重にも張り巡らされていた。
許可なく触れた者に呪いを振り撒く罠も施されてある。
小賢しいが、籠城に適した設備だろう。
私は結界を両手で掴み、一気に引き裂いた。
ガラスの割れるような音と共に、緻密に練られた術式が瓦解していく。
すぐさま発動した呪いの罠はこの身で吸収した。
呪いは瘴気に呑まれて無害化される。
邪魔な設備を除いたところで、私は扉を無造作に蹴破る。
そこには広々とした豪華な部屋があった。
意匠を凝らした調度品が置かれ、絵画や宝石なども飾られている。
部屋の奥には、こちらを見て固まる国王がいた。
赤いマントに立派な王冠は変わらない。
ただ、記憶にある姿より老けている。
顔の皺が増え、白髪が増えていた。
それでも本人であることは間違いない。
窓際に立つ国王は、恨みを込めた目で私を睨む。
「悪逆非道の不死者め……何が目的なのだ」
「ドワイト・ハーヴェルト。この名に憶えはあるな?」
私の問いかけに、国王は顔を青くした。
彼は苦々しい表情で唸る。
「ま、まさか貴様は……いや、そんなはずはない。奴は十年も前に……」
国王の言葉から察するに、私の処刑から十年が経過しているらしい。
月日の流れを感じるのも納得だ。
胸中の考えを表には出さず、私は淡々と話を続ける。
「信じられないのも無理はない。私も驚いている」
背後から数体のグールが部屋に侵入してきた。
鎧を着ているので元は兵士だろう。
グール達は暴れる国王を組み伏せた。
「な、何をする! 儂を誰だと思っておるのだ! おのれ、放さぬかッ!」
絨毯に這いつくばる国王が喚く。
グール達は取り合わず、押さえ付ける役に徹していた。
無力な王を見下ろす私は、彼に真相を告げる。
「歪んだ世界に平和をもたらすため、私は死者の谷から蘇った」
「馬鹿な! そんなことは不可能だ! あそこで処刑した者は数知れないが、一度たりとも不死者となった者はいなかったッ!」
国王は必死になって反論する。
しかし、そんな情報はどうでもよかった。
彼の言葉を無視した私は、片手に提げた布包みを突き出す。
「なぜ私達を罪人に仕立て上げた? 彼女は殺されるべきではなかった。常に世界の平和を祈り、安寧を愛していたというのに。彼女こそ勇者の名に相応しい人格者だった」
「だからこそ、目障りだったのだ」
俯く国王が低い声で言う。
彼は小刻みに肩を震わせていた。
「何だと?」
「魔王の死後、世界の在り方は大きく変わる。その際、強大すぎる力を持った英雄は邪魔なのだ。あのような個人戦力は不要どころか、国を脅かす恐れさえある」
「……自己利益と保身のために、あの人を処刑したと?」
「ああ、そうだ! 儂こそが王なのだッ! まんまと利用された貴様らが悪いのではないかッ!」
顔を上げた国王が大笑いする。
開き直った態度だ。
目が狂っていた。
絶望的な状況を前にして、自暴自棄になってしまったらしい。
私の正体を知った時点で生存を諦めたのだろう。
不快な笑い声が部屋を満たす中、私は国王から目を逸らした。
ため息を吐こうとして、それができない身体であることを思い出す。
「――もう、いい。十分に、分かった。その口を閉じてくれ」
私は事務的に告げる。
直後、グール達が国王に喰らい付いた。
ぶちぶちと音を立てて肉を噛み千切る。
力を込められた国王の腕が、あらぬ方向にへし折られた。
「ぐおおああがああああああぁぁっ!」
国王が絶叫する。
グール達に圧し掛かられているため、身動きがまったく取れない。
彼はただ肉を食われるだけの存在だった。
家畜の餌にも等しい。
床に敷かれた絨毯が鮮血を吸って染まっていく。
「きっ、貴様は魔王になったッ! 処刑したのは、間違いではなかったのだ! 儂は世と国の、ために……っ」
国王は私に向けて最期の主張をする。
声はだんだんと細くなり、やがてグール達の咀嚼音に掻き消された。
その時、足元に王冠が転がってくる。
表面に血が付いている。
私はそれを拾って頭に載せた。
ほんの戯れだ。
こんな物には何の価値もない。
なんとなしに室内を眺めていると、壁に飾られた一本の剣に目が留まる。
それはあの人の武器だった。
特殊な能力は持たないが、魔王を打ち破った名剣である。
何より今では、大切な形見だ。
こんな場所で埃を被っているとは思わなかった。
「返してもらうぞ。これは、あの人の剣だ」
剣を握った瞬間、馴染むような感覚があった。
扱い方が振らずとも分かる。
まるで何年も使い続けてきたかのようだ。
瘴気を取り込んだ際、どうやらあの人の経験も吸収していたらしい。
実質的に勇者の剣技を手に入れたということである。
それを誇らしく思うと同時に、私などが習得していいのかと不安になる。
(……あの人からの餞別と考えよう)
余計な心配はしなくていい。
必要な力には違いないので、存分に活かす他あるまい。
これを腐らせることこそが冒涜と言える。
王都での要件を済ませた私は、血みどろの城内を移動する。
向かう先は謁見の間だ。
崩れかけた螺旋階段を下りていく。
荒れ果てた謁見の間では、死体にグールが群がっていた。
衣服からして貴族だろう。
上等な服を血肉で濡らしながら、一心不乱に食事をしている。
私はそれらを放って玉座に腰かけた。
遺骨の入った布包みは膝の上に載せる。
鞘に収められた形見の剣は、床に突き立てて保持した。
城の内外で悲鳴と断末魔が響き渡る。
生き残りの兵士が奮闘しているようだ。
日が落ちる頃には静まり返っていることだろう。
これで王都は陥落した。
十年前の因縁は断ち切れ、私は次の段階へ移ることができる。
すなわち真の世界平和だ。
この地を拠点に推し進めていこう。
(……それにしても皮肉なものだ)
徘徊するスケルトンやグールを眺めつつ、私は不意に考える。
魔王討伐に参加した賢者が、まさか不死者となって人間の国を侵略するとは。
当時は想像もしなかったことだ。
人生とは、どう転がるか分からないものである。
――こうして私は新たな魔王となり、不死者の国を築き上げた。