第19話 賢者は勇者と対峙する
日没寸前の王都。
魔王軍は広場に集結していた。
これから勇者の討伐に向かうためだ。
王都の防衛は残る魔物達に託す。
何重にも防御魔術を施しているため問題はない。
この地だけでも数十万のアンデッドが徘徊している。
攻め落とすのは不可能に近いだろう。
斥候の働きにより、勇者の現在地は正確に把握済みだった。
彼は領軍の要塞で休息を取っている。
要塞はその領土の中でも中央にあたる場所であった。
私達がどこに現れても出撃できるように備えているのだろう。
度重なるアンデッドとの戦闘により、領軍はそれなりに疲弊しているらしい。
犠牲者も無視できない数だという。
勇者がいるとは言え、所詮は個人戦力である。
全体で見た場合は辛勝が多いのだろう。
そこを奇襲で突くつもりだった。
(いよいよだな……)
私は腰に吊るした形見の剣を意識する。
精神は落ち着いていた。
もう覚悟は固まっている。
揺らぐことはない。
新たな魔王は、勇者を抹殺するのだ。
私は整列する魔王軍を一瞥する。
誰もが沈黙して出撃の時を待ち望んでいた。
昂る気持ちを抑えているのが見て取れる。
私は転移魔術を行使した。
その際、微かな抵抗感を覚える。
やはり移動先に転移妨害の結界が張られているらしい。
ただ、ひどく脆い。
急ごしらえで施したのが分かる。
既に王国内のほとんどが魔王領と化していた。
魔術師を集める余裕がなかったのかもしれない。
私は魔術の出力を上げ、強引に結界の機能を破壊した。
直後に一瞬の浮遊感を覚え、周囲の光景が変化する。
そこは夕日の赤みと、仄暗い夜闇が混ざり合う草原だった。
前方のなだらかな丘の上には要塞がそびえる。
周囲には無数の篝火を設置され、明かりを絶やさないようにしていた。
数人の兵士が、こちらを見て慌てふためく。
金属同士を打ち鳴らすけたたましい音が鳴り響いた。
敵襲を伝える警報だろう。
要塞内から喧騒が聞こえてくる。
彼らは戦闘態勢に移っているようだ。
(あの中に勇者がいるのか)
きっと次の戦いに備えて休んでいるのだろう。
その配慮は不要だと教えてやらねば。
彼の死地はここだった。
「ヘンリー」
私は部下の名を呼ぶ。
竜の弓を携える男は、自信に満ちた様子で進み出た。
「おう、任せとけ」
ヘンリーは気負わない姿で矢を番え、狙いを要塞に定めた。
彼は不敵な笑みを湛えて呟く。
「目覚ましの一発をくれてやるよ」
風切り音と共に飛んだ一射は、堅牢な要塞を貫通した。
穿たれた箇所を中心に、要塞の一部が崩壊していく。
悲鳴と怒声が聞こえてきた。
運悪く巻き込まれた兵士のものだ。
一本の矢がもたらしたとは思えない被害である。
(先制攻撃としては上出来だろう)
相手は聖剣使いの勇者だ。
可能な限り、接近せずに戦力を削いだ方がいい。
こうして一方的に攻撃を続けていれば、向こうが勝手に動き出すはずだ。
私達は虎視眈々とそれを待つ。
要塞の崩落が治まったところで、兵士達は火矢を放ってきた。
幾本ものそれらは、雨のように頭上から降り注いでくる。
火はアンデッドに有効な攻撃だ。
聖魔術に比べて手軽で、光源の確保にもなる。
ただ、これまでの侵略において使い古された手段であった。
アンデッドの軍勢を率いる私が、その対策をしていないはずがない。
私は手をかざして突風を発生させた。
火矢を散らしながら指示を出す。
「グロム、次だ」
「はっ! かしこまりました!」
すぐさま応じたグロムは、ヘンリーと入れ替わるように前へ出る。
地面から這い上がるように、黒い靄が漂い始めた。
濃縮された瘴気だ。
グロムの操るその瘴気は、ひとりでに要塞へと流れていく。
瘴気に包まれた篝火が次々と消えた。
要塞全体が闇に包まれる。
中にいる兵士達も、瘴気の毒を吸っていることだろう。
これで彼らは満足に戦えなくなった。
「いいぞ。よくやった」
「有難き幸せでございます!」
グロムは手を胸に当てる。
喜びのあまり眼窩の炎が噴き上がり、頭部を覆い尽くしている。
「魔王サマ、破壊工作は進めておく?」
「そうだな。手筈通り進めてくれ」
ルシアナと問答をしていたその時、要塞から白い光が放出された。
瞬く間に蔓延する瘴気が掻き消される。
並の聖魔術では、あのような真似は叶わない。
遅れて魔力の光が灯される。
消えた篝火の代わりに魔術師が設置したのだろう。
(今の光は……)
観察していると、要塞から人影が現れた。
聖なる光を纏う剣を提げ、私達を見下ろしている。
「来たか」
私は目を凝らす。
年齢は二十を過ぎた頃だろうか。
もしかすると、十代後半かもしれない。
思ったよりも若い。
金髪碧眼の青年は、一般兵よりも質の良さそうな鎧を身に着けていた。
決意と正義感を据えた眼差しは、芯のある怒りに燃えている。
使命を背負うその顔は、どことなくあの人を彷彿とさせた。
勇者だ。
私という巨悪を討つため、世界に選ばれた英雄である。
勇者は聖剣を高々と掲げた。
常識で考えれば、この距離で刃が届くはずがない。
しかし、現実として彼は構えている。
何をするつもりなのかは明白であった。
勇者は聖剣を振り下ろす。
刃から放たれたのは、白い光の斬撃だった。
それは地面を抉りながら魔王軍へ飛んでくる。
私は瘴気を含ませた防御魔術を前方に展開した。
地面と垂直ではなく、角度を付けるように工夫する。
真正面から受けると破壊される恐れがあった。
間もなく光の斬撃は防御魔術に衝突する。
数瞬の拮抗を見せたのちに、斬撃は上空へと受け流された。
遥か頭上で炸裂し、日没の空を明るくする。
光はすぐに消えて闇が戻った。
それを確認した私は、振り返ってグロムに告げる。
「私が勇者を引き離す。お前達は要塞の陥落に専念しろ。万が一の際は呼ぶ」
「承知しました! ご武運をっ!」
私は目視による転移を行い、勇者の目の前に移動した。
勇者はこちらを見て驚愕する。
「お、お前は……ッ!」
「勇者だな。少し用がある」
私は魔術を行使する。
胴体から非物質の手を伸ばし、勇者を掴み上げた。
そのまま力任せに拘束していく。
「ぐぅっ、この……ッ!?」
もがく勇者が、聖剣の力を送り始めた。
光の斬撃で一掃するつもりなのだ。
この至近距離で受けるとさすがに不味い。
故に私は淡々と告げる。
「ここで戦うと被害が大きい。場所を変えさせてもらう」
斬撃が放たれる前に、私は勇者を投げ飛ばした。
魔王軍と要塞の両陣営から離れる方角で、何もない草原地帯である。
空中を舞う勇者は、落下の際に聖剣を振るった。
発射された光の斬撃は、正確に私を狙う。
(咄嗟の行動にしては上手いな。戦いに慣れている)
私は防御魔術で斬撃を妨げた。
軌道のずれた光の斬撃は、すぐそばを突き抜けていく。
その余波で地面に深々と亀裂ができた。
「こ、こいつが魔王か……!」
「畜生、畜生畜生畜生ッ!」
「やってやるぞ俺達は!」
要塞から出てきた兵士達が、私に斬りかかろうとする。
しかし、彼らの相手をしてやる暇はない。
私は勇者の相手をしなければならないのだ。
片時も目を離すわけにはいかない。
「邪魔だ」
片手を振って術を発動する。
瘴気で編み上げた槍が、十数人の兵士を串刺しにした。
刺さった箇所から兵士が腐り果て、骨の死体だけが残される。
死体は顎を鳴らして動き出した。
スケルトンに変貌した兵士達は、瘴気の槍を持って要塞内へと侵入する。
丘の麓では、魔王軍が前進を始めていた。
あとは彼らに任せればいいだろう。
要塞はほどなくして陥落する。
(つまり、あとは私次第ということだ)
決して失敗はできない。
どこまでも運命に逆らってみせよう。
固く誓った私は、草原に落下した勇者のもとへ向かった。