第188話 賢者は核心に迫る
大精霊は虚空を見上げる。
数拍を置いて、彼女は思い出したように話題を転換した。
「ところで、わたしの姿を騙ったようですね」
「ああ、使わせてもらった」
他国にいる獣を討伐する際、私は魔術の幻影で外見を大精霊のように見せかけた。
そうすることで、魔王の印象を変えることなく大陸を救ったのである。
功績を残らず大精霊に押し付けた形だった。
他所では大精霊が同様に獣を討伐していたため、ちょうどいいと考えたのだ。
大精霊のような超常の存在ならば、同時刻に別の場所にいたとしても不思議ではない。
結果、彼女は人々から崇拝されるようになった。
半ば守り神のような扱いを受けているそうだ。
大精霊の立場や存在意義を考えると、あながち間違いではない。
一方で魔王――つまり私の悪評は深刻化している。
此度の騒動は、私が元凶だという噂が流れているためだ。
他の大陸でも似たようなことが囁かされていた。
不死の魔王は大陸の支配では飽き足らず、ついに海の外への侵略を始めた、と。
確かに異形の魔物を操るなど、まさに魔王の所業である。
誰もが納得しており、別に不思議なことではなかった。
その証拠に、根も葉もない噂や陰謀論の大半には魔王が登場している。
人々はそれを真実だと思いたいのだろう。
さすがに復興作業を進める領内では悪印象も薄いが、アンデッドを使役する私ならやりかねないという声も聞く。
徐々に冷静さを取り戻してきた人々は、怒りや悲しみといった感情をぶつける相手が必要になった。
それが魔王というわけである。
何の憂いも無く憎悪を叩き付けてもいいのだから、まさに恰好の的だった。
私個人としては、良い展開だと思う。
悪という概念が魔王に集中している。
敵同士だった人々が、手を取り合いやすくなった。
獣の襲来による悪の分散が懸念事項だった。
勝手に私の仕業だと思ってくれるのなら、実に好都合である。
世界の外からやってきた獣がいると知られれば、余計な混乱を招きかねない。
魔王の仕業と解釈されている方が穏便なのだ。
ほとんど理想に近い世論であった。
とは言え、大精霊の姿を無断で使用した件は別だ。
そのことについて謝罪すると、大精霊は淡々と応じる。
「気にしていません。確認したかっただけです。ただし、今後は事前に許可を取ってください」
「分かった。約束する」
私は素直に頷く。
対する大精霊は、少しぎこちない口調で質問をしてきた。
「……姿を変えた甲斐は、あったのですか」
「おかげで魔王の面目を保つことができた。感謝している」
「それはよかったです」
大精霊は城下街を眺めながら言う。
私はその横顔を覗き見た。
感情は窺えない。
一体、何を意図した質問だったのか。
少なくとも、不快に思っているわけではない様子だった。
それだけが幸いである。
「今後の予定は決まっていますか」
「他国を監視しながら、引き続き領内の復興作業を進めるつもりだ」
「わたしは暫し待機するつもりです。大陸上に獣が現れれば、その対処に向かいます」
「他の大陸の加勢には向かわないのか」
私は関心を覚えて尋ねる。
大精霊は首を振った。
「わたし以外の防御機構がいるので必要ありません。彼らにも誇りがありますから、下手な助力は侮辱と見なされます。管轄であるこの大陸の防衛こそ、わたしの最たる役目です」
「そうか」
私は相槌を打つ。
そこで話が途切れた。
場に静寂が訪れる。
不思議と気まずさを感じない沈黙だった。
そのうち大精霊が、前触れもなく発言する。
「何かわたしに訊きたいことがあるのではないですか」
「……分かっていたのか」
「当然です。わたしは大精霊ですので」
少し誇らしげな答えが返ってきた。
大精霊であることは、私の胸中を察する理由にはならない気がする。
しかし、そこを指摘するのは野暮だろう。
彼女がそう言うのだから間違いではない、と思う。
とにかく話を振られたのだから、その配慮に甘えればいい。
そう考えた私は切り出す。
「私が訊きたいことは世界の意思――その正体についてだ」