第187話 賢者は大陸情勢を俯瞰する
私が現実世界に戻ってきてから三日が経過した。
魔王領は落ち着きを取り戻しつつある。
領内に獣の気配はなく、現在はどこも復旧作業を進めていた。
魔王軍を各地に派遣しており、さっそく物資の提供や仮設住宅の建設を始めている。
まずは人々の衣食住を確保しなくてはならない。
幸いにも物資や人手は足りている。
現状、特に問題は起きていない模様だった。
しばらくは苦労するが、致命的な損害はないようである。
これも幹部達を始めとする魔王軍が尽力したおかげだった。
彼らにはいくら感謝しても足りないだろう。
大陸内の各国も、私と大精霊が獣を殲滅していた。
もっとも現在は情報が錯綜しているせいで、多くの混乱が渦巻いている。
彼らにとっては突然の事態なのだ。
ひとまずの脅威は去ったものの、主要都市が麻痺するのは仕方のないことである。
陰謀論や世界の終末を唱える者も出てくる始末だった。
実際はまったく別次元の話であったが、それを指摘する者はいない。
獣に関することを知っているのは、極一部の人間に限られている。
情報を流布したところで、さらなる混乱を招くだけだ。
いずれ密偵を使って情報操作するつもりだが、今は静観する方針である。
魔王領だけでも、すべきことが山積みなのだ。
よほどの事態に陥らない限り、ひとまずは放置しても構わないだろう。
(怒涛の毎日だな……)
城のバルコニーに立つ私は、休息を兼ねて夜風を浴びる。
アンデッドである以上、肉体的な疲労とは無縁で、魔力も常に供給されている。
それでも精神的な疲労は無視できない。
あまり無理をすると、思わぬ弊害を招く恐れがあった。
そのため、こまめに休むようにしている。
特にこの二日間は、配下からも心配されることが多い。
交代で私を見張る旨の案も検討されているほどだ。
精神世界に没入するために身体を粉砕したが、どうやらあれが駄目だったらしい。
仕方が無かったとはいえ、配下達に気苦労を強いてしまったのである。
今後はなるべく穏便な方法を採用するように懇願されてしまった。
(不死者であるのに心配されるというのは、幸せだな)
なんとなしに城下街を眺めていると、頭上に見知った気配が出現した。
隣に降り立ったのは大精霊である。
他の防御機構との情報共有へ向かったと聞いていたが、随分と早い帰りだった。
もう少し時間がかかるものかと思っていた。
事態が事態なので、早々に話を切り上げてきたのかもしれない。
しかし、大精霊をここに呼び出した憶えはなかった。
私は彼女に尋ねる。
「何か用か」
「経過報告に来ました。あなたも他の大陸の様子が気になるのではないですか」
「……確かにな」
私は素直に頷く。
他の大陸の状況について、大精霊は別の防御機構から聞いてきたようだ。
私も密偵や感知魔術で少なからず把握していたが、正確な情報が得られるのなら、それはありがたい話である。
その旨を伝えると、大精霊は必要最低限の言葉で説明を始めた。
他の大陸も、表立って暴れていた獣は殲滅されたらしい。
戦力的に防御機構が負けうことは皆無だそうだが、一部の狡猾な獣が潜伏している状態だという。
居場所が分からなくなり、捜索に追われているとのことだった。
私のように獣を正確に感知できる者は珍しいのだろう。
「なぜその情報を私に伝えたんだ。他の大陸に加勢させたいのか」
「そのつもりはありません。あなたに強要できる立場でもありませんので」
大精霊は毅然とした態度で答える。
嘘や誤魔化しを言っている様子はない。
私は首を傾げる。
(てっきり索敵を任されるかと思ったのだがな……)
そこまで切迫した状況ではないということもある。
しかし、大精霊の回答には、何よりこちらへの気遣いが感じられた。
問答無用で依頼されると思っていただけに、私は虚を突かれた気分になる。
少し安堵していると、大精霊が冷徹に指摘する。
「わたしのことを、傍若無人な災厄と思っていますね」
「……気のせいだ」
私は後ろめたい気持ちを隠して首を振った。