第184話 賢者は獣を斬る
陽光を受けて、掲げられた短剣が煌めく。
流れるように降ってきたそれを、私は魔力剣で弾いた。
一瞬の衝突を経て、短剣は追撃を繰り出してくる。
こちらの防御を縫うような動きだった。
私は紙一重で受け流しつつ、地面から蔦を伸ばす。
男は器用に躱して距離を取ると、即座に転移で背後に回ってきた。
(その動きは読んでいた)
身をよじって刺突を避けた私は、勢いを乗せて斬撃を返す。
振り抜いた腕に合わせて、僅かに血が飛んだ。
飛び退いた男が顔を上げる。
顎に一筋の傷ができていた。
刃が掠めたのだ。
血が滲んで垂れる。
男は親指でそれを拭って確認し、私を睨んでくる。
「糞が……」
私は何も応じない。
ただ冷静に魔力剣を構え直す。
男はなかなかの戦闘技術を体得しているようだが、あの人の剣技には遠く及ばない。
間合いでもこちらの方が有利だった。
不利になる道理は存在しない。
そこからの男は、苛烈に攻撃を仕掛けてきた。
しかし、苛立ちのせいで太刀筋が単調になっている。
力任せな攻撃が連発しており、先読みは容易だった。
「オラァッ!」
突き出された短剣を躱しながら、男の腕を切断する。
肘から先が回転しながら宙を舞った。
「ぐっ」
呻く男だが、退く気配はない。
それどころかさらに踏み込んできた。
反射的に顔面を切り裂くも、男は怒りに染まった顔を維持する。
その肉体が泥のように溶けて、細長く伸び始めた。
瞬く間に金属製の平らな帯へと変貌する。
帯となった男は、不自然な加速を以て私に突進してきた。
肋骨を粉砕しながら突き抜けていく。
その際、瘴気を僅かに奪われた。
接触と同時に吸い取られたようだ。
「キハハハハハハハ! なんだこの味は……ッ! 最高じゃねぇかよォ!」
宙を泳ぐ男は歓喜の声を上げる。
帯の先端に、人型の名残らしき口が付いていた。
私に声を聞かせて、焦らせるために残しておいたのだろう。
帯状の男が宙返りすると、またもや突進してきた。
このまま私の瘴気を喰らい尽くすつもりらしい。
破壊力を考えた場合、その前に全身が粉砕されるだろう。
迫る男を前に、私は思考を巡らせる。
(少し試してみるか……)
私は内包する力を解放した。
その途端、片腕が立体感を消失して影に似た質感となる。
そこから無数の触手の集合体に変貌した。
溢れるように広がった触手は、帯状の男を絡め取る。
いくら速くとも、壁のように展開した触手を避けることはできなかったようだ。
捻りのない突進は、迎撃しろと言わんばかりの動きであった。
「な、にィッ!?」
触手に瘴気を吸われた男は、帯から人型に戻る。
瘴気量が不十分だと、異形の姿を保てないようだ。
実際はどちらが本来の姿なのか不明である。
何はともあれ、弱体化したのは間違いなかった。
私は触手と化した片腕を操作して、男を限界まで締め上げる。
すぐに全身の肉と骨がすり潰された。
破壊する感触がしっかりと伝わってくる。
(ふむ、上手く再現できたようだ)
この触手は、グウェンの能力である。
彼女から没収した力を私が所有し、精神に封じ込める形で内包していたのだ。
意識の切り替え一つで行使可能となっており、使い勝手は悪くない。
通常の術と異なり、瘴気を使って発動させるのが特徴だ。
調整次第で自在に変貌ができそうだった。
その気になれば、精神世界で見た触手の山にもなれるだろう。
もっとも、よほど必要に駆られない限り、実行に移すつもりはない。
剣技などを活かせる分、人型のままの方が戦いやすい。
「――、――ッ!」
触手に包まれる男は暴れていた。
満身創痍のはずだが、意外と元気である。
さすがは外世界の獣だ。
見かけは人間であるものの、そう簡単には死なないらしい。
とは言え、私は不死身の鮫を始末したばかりだった。
この男に関しても、倒し方の見当が付いている。
私は魔力剣に禁呪の炎を付与すると、触手ごと男を切断していった。
反撃の隙を与えないように手際よく手を動かす。
くぐもった悲鳴が聞こえるが、いずれも無視して作業を進めた。
禁呪によって男の全身が燃え上がり、ほどなくして灰となる。
しばらく待つも、復活の兆しはない。
完全に絶命させられたようだ。
グウェンの力を解除すると、切り裂いた触手が骨の破片になる。
失った片腕は、瘴気で誤魔化しておいた。
耐久性には乏しいが、元から脆いので気にすることもない。
私は鮫の死骸と男の灰を集めると、まとめて死者の谷に転送する。
切断した男の腕も忘れずに回収しておく。
研究所に送れば様々な応用ができそうだが、新たな厄介事の種になる予感がした。
いきなり蘇る可能性もある。
何より恐ろしいのは、所長の熱意が暴走する展開だ。
今までの研究や開発とは危険度が段違いのため、死者の谷に葬るのが確実だろう。
(……もう少し情報を得てから倒せばよかったか)
私は男とのやり取りを振り返る。
咄嗟に殺してしまったが、そこまで後悔はしていない。
今は急いでいるので、どうしても気になることはグウェンに訊けばいい。
他の獣達に情報を流すくらいなのだから、逆に彼らの内情にも詳しいはずである。
今頃、所長の監視で精神を磨耗しているに違いない。
情報も吐きやすくなっているだろう。
状況が落ち着いたら、確認に向かおうと思う。
その後、念話でローガンに報告を済ませた私は、次の戦場へと転移した。