第183話 賢者は獣の思惑を垣間見る
私は上空から船と鮫を見下ろす。
鮫は船に突進と噛み付きを試みている。
それに合わせて砲撃が行われて、損害を上手く凌いでいた。
ドルダの指揮力の賜物だろう。
ローガンも精霊魔術で船を補助しているようだ。
指示に合わせて術を行使することで、急加速や旋回を手助けしている。
目立たない働きだが、この場においては必須であった。
(まずは確実に力を削いでいくか)
前情報により、鮫の能力は概ね把握している。
とにかく水場にいられると不都合であるのは確実だった。
私は魔術の衝撃波を放ち、顔を出した鮫を打ち飛ばす。
衝撃波を受けた鮫は、樹木を倒しながら陸を転がっていった。
森の只中に横たわる鮫は、水音を立てて跳ねる。
傷は軽微で、動きに支障はない様子だった。
再生能力を抜きにしても強靭な体躯である。
私は魔術を使い、水気が無くなるまで付近一帯を高熱に晒した。
瞬く間に草木は枯れ果てて、森の中でその地点だけがぽっかりと砂漠のような様相を呈する。
高熱のあまり、所々で自然発火が起きていた。
その中心に鮫はいる。
(これで水が無くなった。再生はできない)
向こうが有利となる要素を排除したところで、私はさらなる術を放とうとする。
その時、鮫が土に潜って泳ぎ始めた。
さらに小型化して速度を上げる。
土の中も泳ぐことが可能だったらしい。
こういった状況で使うための奥手だろう。
(しかし、何ら問題ない)
私は地上に降り立って魔術の鎖を放つ。
鎖は生き物のように伸びると、土を散らして鮫を縛り付けた。
牙は魔術破壊に優れていると聞いていたので、そこだけを避けた形で拘束する。
さらに鎖を介して瘴気を抜き取っていく。
鮫はただ暴れるだけで、拘束を抜け出すことは叶わない。
抵抗する力も段々と弱まりつつあった。
(何度か戦えば、要領も良くなるものだ)
外世界の獣は瘴気を内包する。
瘴気に関する支配権を持つ私なら、その生態を逆手に取った戦法が可能だ。
こうして一方的な展開に持ち込むこともできる。
瘴気を抜き取られた鮫は、小さくなったまま痙攣していた。
何か仕掛けてくる兆しもない。
それを確かめた私は、魔力剣で鮫を粉微塵に切り刻む。
無数の肉片となった鮫は再生せず、ただそこに存在していた。
(あっけなかったな)
私は感知魔術を行使する。
付近の獣は、この鮫だけらしい。
ひとまずここの戦いは集結したようだ。
そう考えた刹那、背後に不審な反応が現れる。
突如出現したそれは、獣の力を帯びていた。
(――転移か)
私は振り向きざまに魔力剣を一閃させる。
振り下ろされた短剣を弾いた。
衝突に伴って火花が散る。
奇襲を仕掛けてきた人物は、回転しながら飛び退いた。
しなやかな動きで着地したのは、痩せ身の男だ。
刈り上げた金髪が特徴的で、四肢が細長い。
薄汚れた衣服を纏い、逆手持ちで短剣を握っていた。
紅い瞳は、飢えた眼差しを私に送っている。
「チィ、もう少しで喰えたってのに……」
男は悔しそうに舌打ちする。
彼は口から垂れる涎を、手の甲で乱暴に拭った。
その際、鋭利な歯が見え隠れする。
鮫を彷彿とさせる形状だった。
刃先の欠けた魔力剣を見ながら、私は男に問いかける。
「お前が鮫を使役していたのか」
「ああ、そうさ。あんたを炙り出すためだったが、まんまと出てきてくれたな」
「私を……?」
予想外の答えである。
ただ殺戮の限りを尽くしているだけかと思っていたが、彼なりの策略だったらしい。
どうにも私は、獣達の間で認知されているようだ。
「触手女から得た情報だ。極上の餌――現地で魔王を名乗る男は、世界を荒らすと現れるってな」
男は嘲りを含んだ調子で言う。
狙い通りに登場した私に呆れているようだ。
彼の言う触手女とは、グウェンのことだろうか。
グウェンは私の記憶を探っているため、様々な情報を持っていても不思議ではない。
ただし、現在の彼女は幽閉されている。
あそこから所長の目を逃れて外部に連絡できるとは思えないので、私に敗北する前に情報を広めたに違いない。
男は短剣を弄びながらせせら笑う。
「反応がないから死んだようだが、むしろ清々しているんだ。前から鬱陶しかったんでな。礼を言うよ」
「そうか」
グウェンは嫌われているらしい。
あの性格なら納得だった。
外世界の獣は、一枚岩ではないらしい。
「さて――」
男は短剣を構えた。
研ぎ澄まされた殺気が向けられる。
空間そのものが軋むような迫力があった。
「あんたは俺が喰う。その力、貰うぜ」
宣言した男は、獰猛な動きで跳びかかってきた。