第182話 賢者は船上の戦いを俯瞰する
私は領内の東部上空に転移する。
そこには、左右を森に挟まれる広大な河が流れていた。
その河を一隻の船が進んでいる。
黒い帆に風を受けるのは、魔王軍の船だった。
時折、不自然な加速を行っているのは、搭載した装置で推進力を得ているからだろう。
戦闘用に開発されたあの船は、様々な技術力が注ぎ込まれている。
そこに並走するのは、水面に沈む黒い影だ。
大きな背びれだけが覗いている。
やがて影が跳ね上がると、勢いよく水上に顔を出した。
大口を開けて船に襲いかかるのは、瘴気を纏う鮫だった。
体表は濃い灰色で、陽光を反射させて鈍い輝きを帯びている。
あの鮫こそ、外世界の獣なのだろう。
船に備え付けられた魔導砲が火を噴く。
放たれた砲弾は、鮫の腹に炸裂した。
弾け飛ぶ血肉。
鮫は大きく身をよじって水面へと落下する。
河がその箇所だけ赤黒く変色していった。
そのまま息絶えるかと思いきや、鮫は変わらず水中移動を再開する。
気配から察するに、虎視眈々と船を狙っていた。
(苦戦はしていないようだな)
私は船上に転移する。
そこでは配下達が慌ただしく働いていた。
彼らは、砲弾の装填や鮫への牽制に追われている。
動きは極めて機敏で、全体的に統率が取れているようだった。
旧魔族領で実施した訓練の成果だろう。
配下達の中心に立って指示をする人物がいた。
斧を掲げて叫び続けるのは、デュラハンのドルダだ。
「ありったけの魔術をぶち込んでいけェ! 消耗の心配など二の次でいい! あの鮫を沈めた暁には、儂が特上の酒を奢ってやるぞ! 分かったか野郎共ォッ!」
狼頭から威勢の良い声が発せられる。
配下達は雄叫びで応じていた。
彼らによる怒涛の攻撃は、鮫の攻撃を見事に封じている。
配下の士気は常に最高潮で、普段以上の力を発揮できているようだ。
(さすがは大海賊だ)
私はドルダの指揮力に感心する。
"雷轟"の二つ名も伊達ではない。
船での戦いは、ドルダの独壇場であった。
外世界の獣が相手でも、その点は変わらないらしい。
ドルダは卓越した戦闘能力を持ちながらも、それに頼っていなかった。
配下を鼓舞し、全体が最大の力を引き出すことに重きを置いている。
同じく軍を指揮するヘンリーとは、また違った強さであった。
一方、私のもとへローガンがやってくる。
状況から考えるに、ドルダの補佐役だろう。
ローガンは私の前まで来ると、静かに微笑した。
「無事に戻ってきたようだな。安心した」
「遅れてすまない。迷惑をかけた」
「気にするな。お互い様だ」
その時、船を大きな揺れが襲う。
鮫が体当たりしてきたのだ。
配下達はどよめくも、ドルダの一喝で行動を再開させた。
私はその様子を見ながらローガンに尋ねる。
「どういった状況だ」
「簡潔に説明する」
頷いたローガンは手早く語っていく。
前触れもなく出現した鮫は、河沿いの村や街を襲撃し始めたらしい。
大きさを自在に変化させられるとのことで、どんな小さな水路でも移動可能だという。
鮫はこの特性を利用して、人々を食い殺していったそうだ。
現在は魔王軍の船を標的に定めており、延々と攻撃を繰り返していた。
かなりの執着心で、今のところは逃げ出す様子もないようだ。
厄介な点として、水中の鮫には一切の攻撃が効かないらしい。
水上でも優れた再生能力を発揮するため、ほとんど不死身だそうだ。
そのせいで魔王軍は討伐できずにいた。
「拘束しようにも、術を食い破ってくる。あの牙には、魔術構成を破壊する力があるようだ。精霊魔術も極端に効きが悪い」
ローガンは愚痴を洩らす。
彼の表情を見れば、その苦労は明らかだった。
人々にとって魔術は強力な攻撃手段である。
それが有効でないととなると、途端に対抗策が限られてくる。
外世界の獣は、共通して術が効きにくい傾向にあった。
戦いにくさを感じるのは仕方のないことだ。
話をする向こうで鮫が跳び上がる。
そこに一斉砲撃が行われて、全弾が命中した。
仰け反った鮫は、血を迸らせながら河へと戻る。
相当な損傷を与えたはずだが、感知魔術は水中を泳ぐ鮫を捕捉していた。
動きに衰えはなく、既に傷は癒えたようだ。
(凄まじい再生能力だ)
地の利という点で、まず向こうが勝っている。
そこに魔術耐性と再生能力までもが加わると、いよいよ厄介極まりなかった。
魔王軍が倒される心配はなさそうだが、こちらにも決定打に欠けている。
戦場は膠着していた。
状況を理解した私は、戦い方を決めて船の上を歩き出す。
私ならこの状況を打破できる。
それを確信しつつ、すれ違いざまにローガンを労う。
「ここまでよく耐えてくれた。あとは私が片付ける」
「頼んだぞ」
旧友の言葉を受けて、私は空中へと舞い戻った。




