第181話 賢者は獣の暴走を制する
指先から一筋の雷撃が迸り、地面の亀裂へと飛び込む。
雷撃は蛙に命中すると、周囲の個体へと波及していった。
密集する蛙達を雷撃が駆け抜けて、幾千幾万もの死骸を生み出していく。
あまりの密度で、亀裂から火花が噴き出していた。
巻き添えを恐れた魔王軍は、慌てて退避する。
弾ける雷撃は勢いを増し、亀裂内を包まんばかりに光り輝いていた。
これこそが今回使った禁呪の特徴だ。
術者である私が止めない限り、半永久的に炸裂し続ける。
実質的に防御できない無限攻撃であった。
そのような禁呪に苛まれる蛙達は、次々と亀裂の底へと落下していく。
分裂の頻度は大幅に低下し、明らかに個体数が減っていた。
地上を目指す個体は、容赦なく焼き殺されている。
術の効きが妙に良いのは、世界の意思の影響だろう。
今の私は、獣達の能力や特性を無視できる。
グウェンとの戦闘で既に判明していたが、他の獣にも有効らしい。
これは相当な強みだ。
獣達にとって、まさに天敵であった。
これほど厄介な相手はいないだろう。
(しかし、どうにも都合が良すぎる力だ)
蹂躙される蛙を俯瞰する私は、自らの変容を怪しむ。
世界の意思による干渉は、やはり相手に合わせた強化を誘発するらしい。
すなわち今回は、獣を殺すために用意された力ということだ。
なぜ私が選ばれたのかは不明だが、現状においてはありがたい後押しには違いない。
とは言え、慢心は禁物だ。
些細な油断こそが、身の破滅を招く。
確かに私は獣達に対抗する能力を得た。
だが、それは絶対的なものではない。
決して過信せず、堅実な動きをしなければ。
蛙達は未だに亀裂の底を蠢いていた。
ただし這い上がってくる個体はおらず、依然として雷撃が猛威を振るう。
あとは放っておくだけで、完全に駆逐されるだろう。
不測の事態がないように見張っておくだけでいい。
そう考えた時、私は奇妙な反応を察知した。
亀裂の底で不審な動きが発生している。
私は感知魔術で詳細を探る。
(これは――)
一体の蛙が、周囲の死骸を吸収し始めていた。
死骸は雪崩れ込むようにして取り込まれている。
分裂だけなく、合体もできるらしい。
瘴気反応は急速に膨張していた。
雷撃の禁呪がなぜか失速し、間もなく完全に消滅する。
吸収される死骸に巻き込まれる形で呑み込まれたようだ。
やがて亀裂を押し広げるようにして、巨大な蛙が地上に現れた。
まるで城のような大きさだ。
色は透明のままだが、竜と並んでも謙遜ない迫力を備えている。
亀裂内にいた他の蛙は、もう残っていない。
この巨大な一体に残らず吸収されたようだった。
観察していると、特徴的な赤い一つ目が私を捉える。
「……っ」
心の内がざわつくような不快感を覚える。
精神を蝕まれそうになったのだ。
しかし、もう効かない。
グウェンとの一件で散々に懲りた私は、彼女を解析するついでに対抗魔術を開発したのである。
これで精神世界への侵入を阻み、体調不良も起こさないようになった。
ほとんど即席に近い術だが、問題なく作用しているらしい。
懸念要素である精神汚染は克服できたと言えよう。
巨大蛙は、口を開ける気配と共に何かを伸ばしてきた。
注視した私は、それが舌であることに気付く。
すぐさま魔力剣で切断しようとしたところ、迫る舌に一本の矢が突き立った。
舌は軌道がずれて、虚空を舐める。
「よそ見すんなよ蛙野郎ッ!」
地上にいるヘンリーが挑発の言葉を飛ばす。
魔王軍を退避させた彼は、単身で蛙に攻撃を仕掛けていた。
弓から放たれた矢は、今度は蛙の一つ目に命中する。
巨大蛙は空気を振動させた。
声なき絶叫である。
破損した一つ目からは、赤い粘液が流れ落ちていた。
巨大蛙はヘンリーに意識を向けていた。
彼に接近し、口から雷撃を噴き放つ。
吸収した私の禁呪だった。
体内に蓄えたそれを、任意で放てるようだ。
ヘンリーは見事な動きで回避していた。
連発される雷撃を躱しつつ、さらには弓による反撃まで行う。
短時間ながらも巨大蛙に痛打を与え続けていた。
巨大蛙は分裂しない。
合体による一個体となったことで、分裂能力は失ったのかもしれなかった。
それにしてもヘンリーの度胸は凄まじい。
正真正銘、生身の人間であるのに、外世界の獣を相手に互角以上の戦いを繰り広げていた。
魔術適性を持たない彼は、その鍛え上げた肉体と弓矢だけで死闘を演じている。
(……私も、負けてはいられないな)
眺めているだけではいけない。
そう考えた私は禁呪を行使する。
解き放たれた過重力が、巨大蛙を上から押し潰した。
当然、巨大蛙は激しく抵抗して逃げ出そうとする。
そこに禁呪の炎を撒き散らした。
巨大蛙の四肢を焼くことで、牽制しつつ動きを阻害する。
抵抗が緩んだ隙に檻状の結界に閉じ込めると、重力でそのまま圧縮していった。
多重に施された禁呪により、巨大蛙は元の十分の一ほどの厚さとなる。
念のために何度か攻撃してみるも、何の反応もない。
巨大蛙は完全に死んだようだ。
私は潰れた死骸を精査する。
死骸には多量の瘴気が残留していた。
特に罠の形跡はなかったので、空間魔術で転送する。
行き先は死者の谷だ。
あの谷に捧げることで、私の力を底上げする算段だった。
特に害はないはずである。
ほどなくして供給される力が強まった。
死体を捧げた際とは比べ物にならない上昇率だ。
私の狙い通り、外世界の獣は捧げ物として最適らしい。
『さすが大将だな! 見事な仕留め方だったよ』
「お前が気を引いてくれたおかげで術を当てることができた。感謝する」
地上で手を振るヘンリーと念話で称え合う。
私は手柄を横取りしたようなものだ。
本当に評価されるべきは、ここまで被害縮小に尽力した彼と魔王軍だろう。
これだけ有能な配下に恵まれたことには、幸運を感じざるを得ない。
「私は他の戦場へ行く。後始末は頼めるか」
『おう、任せてくれ! 土産話を期待しているぜ』
「分かった」
会話を終えた私は、転移で次の戦場へと向かった。