第178話 賢者は獣の誘いを一蹴する
「ところで、これから私をどうするつもりなんです? 条件次第では、愛人ポジションでも前向きに検討しますが」
「断る。必要ない」
「ですよねー。ハーヴェルトさんならそうおっしゃると思いましたよ、ええ」
薄い笑みを湛えるグウェンだったが、ふと表情を消した。
その眼差しは、じっと私のことを見つめている。
見つめ返すも真意は窺えない。
結界にもたれたグウェンは、淡々とした口調で話し始めた。
「まあ、冗談はいいとして。私を倒したことは、他の獣達に周知されてますよ。彼らはそういった情報に敏感ですから。きっと様々な策略を使ってハーヴェルトさんを狙ってくるはずです」
「上等だ。向こうから姿を現すのなら、探す手間も省けて良い」
外世界の獣は、元より始末するつもりだった。
下手に潜伏される方が厄介だ。
グウェンを解析することで、多少ながらも獣の感知ができるようになった。
今度は無様な姿を見せず、暴力を以て捻じ伏せる所存である。
グウェンは感心したように私を見る。
「すごい自信ですねぇ……愛人はともかく、よろしければ魔王軍の味方になりますよ。こんなに可愛くて強いヒロインなんて、魅力的だと思いませんか?」
「気持ちだけ受け取っておこう」
私は迷わず断りの言葉を返した。
突拍子もない提案は、到底受け入れ難いものだった。
私の拒絶感を察したグウェンは、閃いたと言わんばかりに笑う。
「あっ、私のことを信じてませんね?」
「当たり前だろう。いきなり味方になると言われても不審なだけだ」
「ストレートなご意見ですねぇ。私のガラスハートが傷付いちゃいます」
グウェンはわざとらしく泣き真似をする。
無論、彼女は微塵も傷付いていないだろう。
その図太い神経とふざけた性格は、もはや確認するまでもない。
(いきなり味方だと? 何が目的だ)
私は彼女を睨みながら疑念を深める。
グウェンは色々と危険すぎる。
何の前触れもなく私に精神汚染を仕掛けてくるような人物だ。
そして、外世界の獣でもあった。
これから戦っていく相手の一味という立場も含めて、さすがに信頼できない。
「言ってしまえば交換条件ですよ。私もこのまま幽閉される日々が続くのは嫌ですからね。力をお貸しする代わりに、自由の身になりたいということです。ご決断は今でなくても結構です。私はいつでも歓迎してますよ」
グウェンは気楽な口ぶりで述べた。
爽やかな口調で、彼女は自らの有用性を掲げてみせる。
「…………」
私は彼女の横顔を一瞥した。
本心は読めない。
一体、何を考えているのだろうか。
私に対する恨みを抱いているはずだが、今のところはそれも見えなかった。
きっと上手く隠しているのだろう。
とにかく、グウェンをここから解放するつもりはなかった。
その時、天井から別の気配を察知した。
目を爛々と輝かせて降下してくるのは所長だった。
「魔王様! 外世界の獣と捕えたというのは本当ですかっ!?」
「げっ」
露骨に嫌がるような声が発せられた。
見ればグウェンが顰め面を浮かべている。
彼女は結界の端に寄って、その場から動かないようにしていた。
気配も心なしか薄れている。
なるべく目立たないようにしているのは明らかだった。
そんな苦労も虚しく、所長はすぐさま結界に駆け寄る。
彼女は両手を顔を張り付かせてグウェンを凝視し始めた。
「おお! おお! 外見は人間と変わりないようですが、構成物質が根本的に異なりますね。なるほど、魔力ではなく瘴気に似た力を保有しているのですか。これは興味深いです……!」
所長は感激したような声を洩らす。
全身を震わせて喜びを表現していた。
私より先にグウェンと接触したと聞いていたが、所長はまったくの無事だった。
念のために解析するも、精神汚染の痕跡は見られない。
霊体である彼女は影響を受けやすいと思ったが、心配する必要は無かったようである。
受けた被害で考えると、私の方がよほど深刻だろう。
その事実に何とも言えない気分になってしまう。
一方、所長の視線に晒されるグウェンは、気味が悪そうに肩を抱いていた。
彼女は我慢できなくなって不満を口にする。
「ちょっと、ジロジロ見ないでください。それ以上は金銭が発生しますよ?」
「まったく問題ありません! どんな額だろうと、しっかりお支払いしますとも! 使っていないお給料が貯まってますからね。新たな研究のためならば、いくらだって注ぎ込む所存です!」
結界にへばり付く所長は力強く答える。
対応の仕方が間違っているが、訂正する気も起きない。
よほど興味を抱いているのか、床や壁や天井から続々と所長が出現し始めた。
彼女特有の能力である同時存在だ。
瞬く間に結界を埋め尽くさんばかりの人数となる。
複数の所長が口々に何事かを喋っている姿は、なんとも異様な光景だった。
その中心人物であるグウェンは、背伸びをして私を見つけると、大勢の所長を指しながら助言を投げてくる。
「わお、見事に狂ってますねぇ。ハーヴェルトさん、責任者は人格面も加味して選ぶべきですよ」
これに関しては、グウェンの主張が正しい。
所長は非常に危険だ。
それを知った上で、彼女に研究所を預けている。
私はこの判断を誤りだと思ったことは一度もない。
「所長、私は城に戻る。監視を頼んでもいいか」
「はい、お任せください! 片時も目を離さず、しっかりと見張らせていただきます……っ!」
所長はやる気に満ちた答えを返してきた。
その双眸は、表現し難き狂気を訴えている。
もっとも、それは私が気にすることではない。
魔王領に利益しかもたらさないのだから、止める義理は無かった。
「素晴らしい待遇に涙が出ちゃいそうですね、本当に」
グウェンの皮肉が聞こえたが、ここは無視しておく。
とりあえず、彼女の弱点が分かったのは大きな収穫だろう。
背後の喚き声を無視して、私は城へと転移した。