第176話 賢者は真実の一端を知る
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
呆然とする私は、告げられた真実を反芻する。
「世界の意思が、私に……」
「そりゃびっくりしますよねぇ。こっちだって驚いてますもん」
グウェンは同情するように言った。
続けて嘆くような調子で彼女は語る。
「この感じからすると、精神世界に入った後から作用してますね。相手の能力を無視できるようになったみたいです。おめでとうございます!」
グウェンはこれ見よがしに拍手をした。
ただし、本心から祝福していないのは明らかである。
彼女はどこか投げ遣りな様子で文句を言い始めた。
「最初からおかしいとは思ってたんですよ。どれだけ弄っても誓約の魔術が解けませんし。本来なら、あのお二人が戦っている間に外すつもりだったんですよね。解除不可とか聞いてないです」
グウェンは饒舌に愚痴を垂れていく。
自らの策が失敗したことに相当な不満を抱いていたらしい。
その気持ちは分かる。
私も不測の事態には、幾度も苦しめられてきた。
賢者の時も魔王の時も似たようなものだ。
立場が異なれど、困難ばかりに直面している気がする。
「世界の意思――我々は別称で呼んでいますが、とにかくこのパワーは厄介です。星を侵略する我々にとっては、最たる天敵と言えましょう。その性質上、いつだって立ちはだかってきますから」
「お前は、世界の意思の正体を知っているのだな」
私は確信を持って尋ねる。
魔王になった私は、世界の意思の妨害を受けてきた。
外世界の獣にとって天敵らしいが、それは私も同じである。
世界の意思は、理不尽な事象で私を始末しようとする。
グウェンは大きくため息を洩らすと、遠い目をして私に応じる。
「これを潜り抜けるために、色々と試行錯誤してきましたもので。まあ、今回は見事にやられちゃいましたけどね」
ぼやくグウェンは、肩をすくめて首を振った。
どこか諦めが垣間見える。
彼女は小首を傾げて私に問いかけた。
「ハーヴェルトさん、あなたも薄々は勘付いてるんじゃないですか? 世界の意思について、ずっと考えてきましたもんね」
「…………」
「世界の意思の介入によって、一体誰が得をするのか。そこに着目すれば、自ずと答えは見えてくるはずです」
グウェンは私の目を見て述べる。
彼女の言葉は、決して無視できないものだった。
誰が得をしているのかについては、考えるまでもなく明白だ。
ただ、それ以上は考えないようにする。
導き出された答えは、頭の端に置いておいた。
それがおそらく正解と知りながらも、深くは意識しないようにする。
グウェンは、私を惑わすのが狙いかもしれない。
誤った答えに誘導されている恐れもある。
狡猾な彼女は、何をしでかすか分からなかった。
参考にはするが、真に受けないようにしなくてはならない。
まだ断定する局面ではないだろう。
「ハーヴェルトさんの場合、人間の頃から影響を受けてるようですけどね。魔王に対抗する賢者として、あなたは世界の意思から後押しされた」
「知っている」
私は魔王を倒した人間の一人だ。
賢者にまで至れたのは、ひとえに努力だけではない。
様々な出会いと経験の末に、英雄として成長した。
それらは、少なからず世界の意思が作用した結果なのだろう。
当時の魔王を滅するため、私とあの人の運命に関与したのだ。
「次代の魔王になってからは妨害ばかりされてきましたが、今回は私達――外世界の獣を相手にすることで、再び味方に付けています。いやはや、弄ばれちゃってますねぇ」
グウェンはさも愉快そうに笑った。
ひとしきり笑ったところで、彼女は無表情になる。
「……まあ、雑談はこの辺りで終わりましょう。ハーヴェルトさんとのお話も楽しいですが、これからやるべきことがたくさんあるんです。お別れの時間ですね」
「黙って見送ると思うか」
私は魔力剣を向ける。
禁呪はいつでも行使可能だった。
グウェンは腰に手を当てて思案する。
何を思ったのか、彼女は胸の前で両手の指を組んだ。
「うーん……お願いしたら見逃してくれます?」
彼女は上目遣いになって目を潤ませる。
もちろん私は剣を下ろさない。
確固たる殺気を発し続けた。
するとグウェンは、大げさに肩を落とす。
彼女はやさぐれ気味に息を吐いた。
「ですよねー。分かってましたよ、もう」
嘆くグウェンの輪郭が崩れていく。
立体感の消失して、端々から無数の触手へと変貌していった。
彼女の身体が急速に膨らんで肥大化し、見上げんばかりの高さとなる。
そうして私の前に現れたのは、砂上に鎮座する触手の山だった。
「防御機構と戦う前に、ここらで準備運動をしましょうかねぇ……」
頭上から声が降ってくる。
触手の表面に、辛うじて人型の面影を残す口があった。
そのそばに眼球が生まれて、ぎょろりと回転して私を見つめてくる。
「さあ、グウェンさんも本気モードです――虫ケラのようにぷちっと潰しちゃいますから、覚悟してくださいね?」
触手の怪物となったグウェンは、雪崩れるようにして襲いかかってきた。