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第168話 賢者は精神世界を彷徨う

 足元が僅かに沈み込む感触。

 意識が明瞭となった私は慎重に目を開ける。


 そこは夜の砂漠だった。

 変化に乏しい光景は、どこまでも広がっている。

 なんとなく現実味の薄さを感じた。


 どうやら無事に精神世界へ入ることができたらしい。

 魔力の流れを見るに、これといった不具合も感じられない。

 禁呪は正常に発動したようだ。


「ん?」


 観察をしていると、付近の砂に何かが埋もれていることに気付く。

 私は歩み寄ってそれを引き上げた。


 出てきたのは木製の折れた杖だった。

 先端には赤い宝石がはまっている。

 全体的に細かい傷が目立ち、使い込まれているのが見て取れた。


「これは……」


 私は少なからず驚きを覚える。

 この杖は、生前の私が使っていたものだった。

 まだ賢者と呼ばれておらず、初級の術を学んでいた頃だ。

 数年ほど愛用したが、修行中に折れて新しい杖に買い替えたのであった。

 そのような杖が、ここに埋まっている。


(なぜだ?)


 腕組みをして理由を考える。

 ここが私の精神世界である点を加味すると、杖は記憶の産物なのだろう。

 過去の思い出が、形を取って存在しているのだ。


 砂漠に埋まった物体を探っていくと、他にも見覚えのある品々が出てきた。

 いずれも印象深い物ばかりである。


(ここには、記憶が断片的に散在しているのか)


 私は一つの法則を確信する。

 精神世界とは、記憶とも密接に繋がりがあるようだ。

 詳しい仕組みは解析しなければ分からないものの、とにかくそういった状態らしい。


 それにしても、なぜ砂漠なのだろうか。

 私の心象を反映しているのかもしれないが、他人と比較できないため判然としない。

 結果的に、精神世界に関する謎は増えるばかりだった。

 考察を深めるほど、奇妙な性質が浮き上がってくる。


 もっとも、細かいことはどうでもよかった。

 それよりも遥かに重大な変化が、私の身に起きている。

 最初の段階で察しながらも、あえて触れてこなかった部分だ。

 私は、恐る恐る自身の両腕を見る。


 そこにあるのは、黒い骨ではなく皮膚のある腕だ。

 指でそっと触れてみる。

 肉の付いた感触で、血もしっかりと巡っていた。


「…………」


 口元は無意識に呼吸を繰り返している。

 引き結ぶように閉じると、唇同士が当たる感触があった。

 呼吸を止めると、徐々に苦しくなってくる。


 次に私は、胸に手を当てた。

 少し速まった鼓動が鳴っている。

 頭に手を伸ばすと、指の間を頭髪がすり抜けた。

 その際に耳や目の存在も確かめる。

 身に着けるローブだけが、いつもと同じだった。


 私は砂に埋まる手鏡を発見した。

 記憶が正しければ、とある街を救った際に貰った高級品だ。

 手鏡を掴み取り、自分の容姿を確認する。


 鏡に映るのは、かつての魔王を倒した賢者の顔だった。

 呆然とした表情を浮かべている。

 黒い骨のアンデッドは、どこにもいない。


(やはり人間に戻っている)


 私は顔に触れる。

 幻ではなく本物の質感だった。


 如何なる法則によるものか、精神世界の私は人間の姿が標準となっているらしい。

 ただし、感じる魔力や瘴気は魔王時と同質だった。

 あくまでも見かけだけの変化のようである。


(まさか、再びこの姿になる日が訪れるとは……)


 これが精神世界に限定された現象であるのは理解している。

 嬉しいわけではなく、かと言って嫌悪感もない。

 何とも言えない気分だった。


 さすがに驚いたものの、いつまでも気にすることではないだろう。

 ここへは人間の姿を見に来たのではない。

 体調不良の元凶を排除するために訪れたのだ。


 大精霊の話によれば、この精神世界に元凶が存在するはずだった。

 どのような形状なのかは不明だが、私にあれだけの影響を及ぼすものだ。

 きっと周囲に紛れるような類ではない。

 一目でそれと認識できるものと思われる。


 ここは私の記憶が散らばる場所だ。

 自らの感覚に従って、異質なものを暴き出せばいい。

 そこまで難しいことではないような気がした。


 私は精神世界の散策を始める。

 歩きづらい砂漠の只中を進んでいった。

 たまに懐かしい品々を発見しては、過去の出来事を振り返る。

 中には鉄砲や戦車の設計図といった代物もあった。

 ここ最近の記憶も埋没しているようだ。


 私は些細な発見を経験しながら歩く。

 砂漠はどこまでも続いていた。

 果ては見えない。

 おそらくは永遠に広がっているのだろう。

 或いは端と端が繋がっているのかもしれない。


 頭上には、三日月が鎮座していた。

 ただし一向に位置が変わらない。

 この空間は常に夜らしく、朝を迎えることはないようだ。


 月明かりを浴びながら、私は無心になって足を動かし続けた。

 砂漠に埋もれる記憶達を確かめて、それらを置いて進む。

 退屈には違いなかったが、油断できる場面ではない。

 孤独を強いられて足を動かすのは、なかなかに精神が摩耗する作業だった。

 気が滅入りつつも、私はそれでも歩いていく。


 そうして体感時間で数日が経った頃、私は前方に人影を認める。

 この世界で他人に出会うのは初めてだった。

 私のいる位置からでは背中しか見えない。


 その人影は、こちらを見ることなく声を発した。


「おや、こんな所まで来るとは思いませんでしたね。びっくりですよ」


 嘲るような声音だった。

 聞き覚えのないもので、私の知る人物には該当しなかった。


 私は一気に警戒心を強める。

 携えた杖を意識しながら問いただす。


「誰だ」


 言葉では応じず、その人影はこちらを振り返る。

 微笑を湛えて佇むのは、洒落た黒衣を纏う銀髪の女だった。

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