第165話 賢者は謎の一端を掴む
「世界の外……? どういうことだ」
私は少なからず戸惑う。
大精霊は当然のように言っているものの、初めて聞いた言葉である。
超常的な存在というのも気になるが、とにかく話が飛躍しすぎて混乱しそうだった。
一方、大精霊は事務的に話を進めていく。
「空の先には、何があるか知っていますか」
「魔力の存在しない虚無、と聞いている」
私は生前に学んだ知識を答える。
昔、空をどこまでも上り続けようとした魔術師がいた。
しかし彼は、途中で魔力不足となって墜落死した。
空は一定領域から空気中の魔力濃度が薄くなるためだ。
生命の維持には関わりないが、魔術の効きが悪くなって術の発動が不安定になる。
故に空の先に到達した者など存在しない。
神の住まう領域だと主張する学者もいるらしい。
人間が辿り着けないという事実も相まって、一定の支持を受けていた。
無論、私はそういった通説を信じていないが、反証するだけの材料を持ち合わせていない。
大精霊はこの答えを知っているようだ。
「半分正解ですね。確かに魔力は存在しませんが、虚無ではありません。空を越えた先には、世界の外が広がっています」
「私を不調にさせているのは、世界の外の住人というわけか」
「はい。そして彼らは、この世界をも支配しようと企んでいます。我々の間では、この住人を"外世界の獣"と呼称しています」
「外世界の獣……」
私は呟く。
防御機構の間で使われる呼び名ということは、事態は本格的に動き出しているのだろう。
想像よりも規模の大きい問題である。
「外世界の獣は、複数の個体が存在します。一部は結託しているようですが、基本的には単独で行動しています。現在は巧妙に潜伏していますが、いずれ表沙汰になるでしょう」
「こちらの密偵は、何も掴んでいない。そのような存在がいれば、すぐに発見しているはずだ」
「相手は領域外の怪物です。この世界の法則が通じるとは限りません。それはあなたも理解しているかと」
大精霊の反論に、私は何も返せない。
まさに彼女の指摘通りだった。
私自身、外世界の獣とやらを感知できていないどころか、謎の不調に悩まされる始末だ。
まったく情けない限りである。
それを棚に上げて、何かを主張する資格はなかった。
「ユゥラの記憶を閲覧しましたが、異国の諜報員と目を合わせましたね」
「やはりあれが問題だったのか」
「ええ。彼らは獣の眷属となっていました。目を合わせたことで、あなたも侵蝕されたのでしょう。今は体調不良だけで済んでいますが、いずれ取り返しの付かない状態になりますよ」
大精霊の警告は、薄々察していたことだ。
精神汚染は弾いたつもりだったが、実際は影響を受けていたようである。
それが時間差で発動したのだ。
見抜けなかったのは私の未熟さによるものである。
相手は魔術ではない能力を使った。
それでも対応しなければいけないのが、魔王たる私の務めだった。
自らの落ち度を戒めつつ、私は大精霊に問いかける。
「どうすれば解決できるんだ」
「あなたに接触を図った獣を討伐すれば完治するはずです」
「討伐しようにも居場所が分からない」
大精霊は首を横に振る。
彼女は手を伸ばすと、私の頬に触れた。
「それを探るのは、わたしの仕事ではありません。あなたなら自力でやり遂げられると考えています」
大精霊は私から離れる。
彼女は窓の外を眺めながら、感情の読めない声音で語る。
「外世界の獣は、各地に出没しています。わたしの管轄はこの大陸ですが、あなたにも駆除を手伝ってもらう予定です」
「いいだろう。任せてほしい」
私は即答する。
相手は超常の存在だ。
今の私に術を仕掛けられるほどとなると、まさしく人外の力を保有している。
そのような存在が世界に牙を剥いたのだ。
決して野放しにはできない。
彼らが跋扈すれば、私の理想――世界平和が遠のいてしまう。
幸いにも防御機構とも方針が一致している。
つまり彼らと協力できる。
非常に心強かった。
「あなたの不調が治り次第、こちらから話しかけます。できるだけ急いでください」
大精霊はそう言って気配を薄めていく。
そのまま消えるのかと思いきや、彼女は私に話しかけてきた。
「伝え忘れていたことがあります」
「何だ」
「あなたを苦しめる要素は、あなたの精神に根付いているようです」
「精神か……」
私は大精霊の言葉を反芻する。
そして彼女に感謝を告げた。
「貴重な情報だ。助かる」
「解決の糸口になれば幸いです」
それだけ応じると、今度こそ大精霊の気配は消失した。