第164話 賢者は新たな脅威を耳にする
謁見の間を出た私は、強烈な立ちくらみを覚えた。
思わず片手を壁について立ち止まる。
さらには、視界に黒ずみが再発生した。
散発的にちらついては、私の意識を削いでくる。
手で振り払うも、感触はない。
やはりただの幻覚らしく、実体を伴っていなかった。
幻覚に難儀しているうちに、今度は吐き気も感じるようになる。
無論、不死者の身では吐けるわけもない。
ただ不快感を味わうだけだ。
それでも私は、なんとか足を動かして廊下を進む。
どうにも調子がおかしい。
転移を使おうとして、魔力にも乱れがあることに気付いた。
この状態で高度な術の使用はやめた方がよさそうだ。
やむを得ず私は、徒歩で移動を続行する。
(一体どういうことだ)
私は自らの変容に困惑する。
アンデッドになってから、このような症状に悩まされるとは思わなかった。
体調不良はだんだんと悪化している。
魔術による緩和を試みるも、あまり効果がない。
「……っ」
割れるような鋭い頭痛を受けて、私は頭蓋に指を立てる。
力を込めすぎてめり込む音がした。
一部が本当に割れてしまったようだ。
しかし、心なしか痛みが軽減された気がする。
私は自身の頭部に指を突き刺したまま歩き続けることにした。
たまに骨の一部が崩れて落ちる。
それらを踏み付けながらも自室を目指した。
「くそ……」
「苦しそうですね。大丈夫ですか」
前方から私にかかる声があった。
視線を上げると、そこにはユゥラが立っている。
しかし、私はすぐさま間違いに気付いた。
超然とした雰囲気が、いつもの彼女ではない。
その身に帯びた力の質量も、尋常ではないものだった。
私は相手の名を呼ぶ。
「大精霊か……」
「ええ、その通りです。本日はあなたに通達があります。とても重大な案件です」
淡々と応じる大精霊は、一方的に話を進めていく。
彼女の言葉は、半分ほどが頭から抜け落ちていた。
聞き流してはいけないと分かっている。
しかし、あまりの頭痛や吐き気のせいで、まともに集中できていない。
私は軽い聖魔術を使って頭部を浄化した。
焼けるような激痛と共に、頭蓋が一気に融解する。
だが激痛によって、症状の苦しみを誤魔化すことに成功した。
見かけ上は酷い有様だが悪くない。
私が症状に苦しむ間、大精霊は静かに佇んでいた。
何も言わず、ただ話し出す機会を待っている。
私は浄化した指先を一瞥しつつ、大精霊に確認をした。
「後回しには、できない話のようだな」
「そうですね。一刻を争う事態です。あなたを襲う異変にも関係あります」
「何だと」
私は大精霊の言葉に反応する。
現在の体調、明らかに異質なものだ。
不死者とは思えないほど、不調が重なり始めている。
大精霊はどうやらその原因を知っているらしい。
「この場で話しますか。それとも場所を移しますか。わたしはどちらでも構いませんが」
「……場所を移したい」
すぐにでも用件を聞きたいが、ここは城の廊下だ。
誰かが意図せず耳にする可能性もある。
邪魔も入らない場所で聞くべきだろう。
私は移動して大精霊を自室に招き入れる。
道中、何度か倒れそうになるも、それを精神力で耐えた。
症状は急速に悪化しつつある。
蠢く黒ずみは、視界を覆い尽くす勢いで増えていた。
私は大精霊を部屋のソファに座らせる。
その対面のソファに座り込んだ。
身体が重い。
気を失いそうになりつつも、私は話を続けることにした。
「ここなら盗聴の心配も、ないだろう」
「相当に辛いようですね。いつ症状が出始めたのですか」
「つい先ほどからだ」
「なるほど。まだ手遅れではないようですね。十分に間に合うでしょう」
大精霊は、少し安堵した様子で言う。
容姿から心情は読み取れないものの、親しみに近いものを向けられているようだ。
それを感じながらも、私は気になる点に言及する。
「何が間に合うんだ」
「それを今から話します」
大精霊は居住まいを正した。
彼女は平坦な口ぶりで話し始める。
「結論から述べると、防御機構が発動する事態となりました。すなわち世界滅亡の危機です」
「…………」
それを聞いた私は沈黙する。
少しの間を置いて彼女に尋ねた。
「冗談を言う性格ではないと知っているが、本当なのか?」
「わたしは真実しか話しません。世界の危機は、間違いなく迫っています」
「では、どういった危機が世界を滅ぼそうとしているんだ」
私は重ねて疑問を投げる。
魔王領の情報網で知り得る限りでは、世界の危機など存在していない。
精々、国同士や魔王領との争い程度くらいだろうか。
もちろんそれらを世界の危機と呼ぶには些か小規模すぎる。
少なくとも、防御機構が動き出すことなど起きていないはずだった。
私の思考をよそに、大精霊は話の核心に触れる。
「世界の外から、超常的な存在が侵略を始めています。あなたに異変を及ぼす原因も、その一柱です」